あんしんパパ

 職場から支給された携帯電話を、入院前後のゴタゴタで頻繁に利用していた母君ですが、本来は仕事以外の用件で使うことを大変嫌がっておいででした(生真面目なんです)。で、それなら個人で携帯電話をお持ちになれば良いではないですか、ということで、私名義の携帯を1台購入してお渡しするお約束。携帯の新規購入って2時間とか時間がかかるので、本日はそれを中心に一日の動きを考える日になります。

 というわけで、先ずは「日常性の維持」で職員室デスクワーク。7時に入って13時まで、授業準備・担任業務。
 高2現代文は内山節「連帯という言葉の意味」、出典の『怯えの時代』は当然発売直後に購入しているのですが、目次だけチェックして未だ読んでいない状態です(こういう本、い~っぱいあります)。で、対立他者との連帯の可能性を「折り合い」という概念を軸に探るという内容の本文なのですが、同じ内容をどこかで読んでそれが何だったのかをず~っと思い出せず、それが作田啓一『恥の文化 再考』だったことに今日の昼前に漸く思い至りました。「羞恥・公恥」の話ですね。これで明日の授業で話す「枕」は確定。

 13時に学校を出て、徒歩20分強で血痰ネーミングショッピングモール「You Meタウン」。auショップで携帯電話新規購入は、いわゆる高齢者向けの「かんたんケータイ」。1~3番によく使う番号を登録しておけば、ワンプッシュでその相手にかかるという優れもの。母君は携帯電話を通話とCメールとでしか使われないので、パカパカの「かんたんケータイ」で十分なのです。電話代は、まぁ私がもちましょうね。

 本日の母君は、脳の痺れが気になるのかあまりご機嫌がよろしくない様子。当たられるのは家族の特権ですが、私だって2球に1回は打ち返したいタイプなので(多いな)、今日は携帯電話の使い方だけをお教えして(3件のワンプッシュ番号を登録して)早々に退散することに。
 さて、職場の携帯はもう使わないので返送しようという話になったのですが。
 母「そっちの職場の携帯の電話帳の『は行』を開いてもらえる?」
 私「はいはい、『は行』ね……あら、原口さん」
 母「それ、消しといて。職場に見られたくないから」
 そこには、私の生みの父親の名前が登録されておりまして。おぉ、30年以上前に離婚した元夫と実は密かに連絡を取り合っておられたなんていうドラマティックな展開が? と番号を見たら私の番号でした。何でやねん。

12階の一番奥

 昨日の「飴ちゃんBOX」、5袋分入れていたのですが、放課後には生姜味のものが1粒だけ残っていました。この手の味は要らんぞよ、という意思表示なのでしょうか。まぁ、1日目に全残しされていたミントが全て消費されていたのは良かったかな。本日も4、5袋分を投入します。因みに、練習は逃走逐電出奔(サボり)がゼロの真面目さで感心するやら呆れるやら。まぁ、全員が心一つという訳でもないでしょうが(大体、先ずもって担任がずっとは付いていられないのが申し訳なく)。
 授業は高2現代文が1コマだけで、放課後にコーラスの練習。半ドン後のコーラスなら練習についておけます(母君のお見舞いはその後で良いので)。

 夕方に母君のお見舞い。小倉の職場に連絡があるということで、2通の手紙を託されました。送り手の欄には名前だけで住所を書いていないという失礼ですが、極力見舞われたくないという意図なのでしょうから口出しはしませんでした。ご足労が申し訳ないというよりかは、外見が変わる治療なので積極的には人目に、というご判断でしょう。
 外見が変わる治療、ですがまだ11回の治療のうち1回しか終わっていないので、特段何がどうということはなく。途中で様子を見に来られた主治医のY先生によれば、昨日の金曜日が1回目、土日は治療なしなので、来週の月~金、再来週の月~金、にかけて残る10回を行うということ。私が「再来週の金曜日は大学の創立記念日ですが、病院はお休みではないのですか?」とお聞きしたら、何を言っているんだろうこの患者家族はという顔で「いえ、お休みではありません」と言われました。ふ~ん。
 因みに、午前中1分で終わる全脳照射の治療以外は、点滴治療が午前午後に1回ずつ。他はず~っと寝たきりで、照射の時の階の移動は全て車椅子。病室は12階の個室なのですが、フロア内にある給湯器から湯茶を汲んでくるのも看護師さんにお願いして、用便以外では立って歩くことがない状態だそうです。
 私「床離れ出来なくなってしまうんじゃ?」
 母「脳だから仕方ないでしょう」
 プライドが高いお方が「仕方ない」とかいうフレーズを発する程度には弱気になっているということには若干のショックを受けました。

 託された2通の手紙を持って、病院から郵便局まで徒歩徒歩と行き、西鉄の薬局とダイソーとをはしごしてのど飴狩り。結果、ダイソーの「のど飴力」が意想外に強烈で大漁大猟に呵呵。コーヒー味、牛乳味、梅味などありそうで未入手だった味から、栗味、芋味みたいに作りゃいいってもんじゃないやつまで。のど飴ハントは今日の漁果で60種類を突破。っつか、日本人の喉、大丈夫なの?
 と、勝手に日本人の心配をしていたのがブーメランで刺さるのは来週の話(予告口調)。

 夜は、K市の母・Hさんちでさし飲み。
 私「ビールはですね、私の家のれ~ぞ~こでた~んと冷えてますからね、大量にお持ち致しますわ」
 H「あら、悪いわねぇ、うふふふふふふふふふふ」
 ビールと1000円札1枚とを持っていったら、あら不思議こんなおご馳走に預かれるなんて。日本酒は、私が冷やしてもらってた(卒業生からの)プレゼント1本と、Hさんが仕事先で買ってきた佐賀のお酒が1本。4合瓶2本、二人で空けちゃいました。

沢山の気づかいと人生をありがとう

 3時起床、入浴、着替えて5時に学校入り。本日は、高2現代文が4コマ、高3文系漢文(新年度初授業)が1コマ、HR活動(コーラス練習)が1コマ、で計6コマ。昼休みと唯一空いている5限との時間を使って、高3文系漢文(二次対策授業)の添削を行います。要するにフルで学校に張り付き。ですので、申し訳ないですが母君には自力で入院をして頂かなくてはなりません(親不孝が服着て歩いてます)。

 5時から始めた授業準備(板書計画・プリント準備等)が予定より早く終わり、その後の担任業務まで含めて7時過ぎには一旦体が空きました。で、タクシーでホテルに往復して母君の様子を見ようかなぁ、とも思ったんですけれども、昨日行かないと言っておきながら「来ちゃった」みたいなのをとても嫌う方なのでそれはやめておきます。
 代わりに、私の大切な大切な仕事であるところの「幹事」をやっちゃおう、と。何の幹事なのかというと、F校職員室有志による集まり「若手会」の新任歓迎会です。自分の年齢「分かってんのかい?」、略して名付けて「若手会」。他人から言われる前に言っておきますね、そら36歳のオッサンですから会の最年長ですよ、私より若いけれども早々に若手会を引退しておられる先生、いらっしゃいますよ(大抵は所帯持ち)。さいでざいますけれども、「若手会」のメンバーである条件は自分が若いと思っているかどうかという一点なわけで、じゃあ自分のことを一文前で「36歳のオッサン」とか言ってるお前はどうなんだと言われたら返す言葉もございません。すいません、今年を最後に引退しますんで、どうか今年まで幹事をやらせて下さい。
 と、方々の年若い先生に頭を下げつつ、新任(数学常勤・英語常勤・地理非常勤)3先生の日程を中心に多くの先生方が集まれる日を調査する「仕事」を、始業前の空き時間にやりました。

 さて、高2B組餌付けーしょんの「飴ちゃんBOX」、昨日指揮者の某くんに管理を任せたその箱が朝の職員室、私の机上に帰ってきてたんですけれども感想一言「お前ら、舐めすぎ」。しかも、大量投入した中でミント味のやつだけ一袋分全く(殆ど?)手つかずみたいなワガママっぷりです。あぁ、これが一年前に高1Aを全溶けさせた甘やかし。分かっちゃいるけど今日も5袋分を投入です。

 さて、高2の現代文の授業はいつも通りですが、高3漢文(文系・二次対策授業)は初対面の人々(66回生)との初授業ですので若干の緊張。
 初回の教材は2012年の東大漢文『春秋左氏伝』から、「和而不同」の精神を論じて(それを校是とする)F校生へのサービス問題だった本文を扱いました。先ずは10分ほどの自己紹介・授業展開の説明(5分教材説明→20分解答→25分解説→翌朝添削答案返却)、その後は実際に問題を解いてもらって解説という形。これは、昨年の高3(65回生)に行ったことと全く同じです。最後の中学男子校学年ということで、若干の「古きF校イズム」の名残があるのか、ギャグやくすぐりを入れたら結構気持ちよく笑ってくれる人々だったので安心しました(女子がいるのであんまり下ネタは言えないかなぁ)。授業は4限で、昼休み~5限の2時間弱を使って50人分を根性の添削。
 7限目のHR活動はコーラス練習。週末の大会に向けて「部活に行きたいよ~」「コーラス面倒くさいよ~」というオーラを出してる一派も居ますけれども、まぁそれは仕方ないから授業時間くらいは付き合ってねというスタンス。「付き合いのいい人」って、人生が絶対巧く行きますから。これ、本当ですから。

 7限終了後は、練習の後始末を係に任せて「のど飴探してきます!」と学校を飛び出しました。大学病院に直行です。
 母君は、今日から2週間超の入院で、早速治療開始(1回目の全脳照射)だったそうです。元気そうではありましたが、お会いして最初の私の「仕事」は、入院故にしばし休職の職場「N苑」へ送るお礼状文面の「添削」でした。
 病人(の割には40分喋りっぱなし!)に配慮して面会は短め、帰りは「ドラモリ」その他に寄って「まだ見ぬ味ののど飴」を買い漁りました。自分でも徐々に夢中になってきてますけれども、のど飴って本当にたくさん種類があるんですね。既に30種類を大きく上回っています。

 夜は「もりき」。環境が整った場所に24時間置かれている(個室というのがお気に召された様子の)母君はそれだけで満足だったご様子なので、杯を傾ける息子氏の気分も若干お気楽、7限全力疾走後のビールの美味しいことと言ったら。

HEY!たくちゃん

 ホテルのベッドで4時に起床、室内のデスクで漢字の小テスト採点・学級日誌コメント等の仕事。持ち出したらいけないんでしょうけれども許してね。電灯が眩しかったのか、母君も5時ごろに起きて来られました(とは言っても、洗顔の後はベッドに横になりましたけれども)。
 昨日、母君の夕食(お弁当)を買うついでに、市内のスーパーと薬局とを回ってのど飴を大量に買い込んできました。全て種類の違う16袋。今日の放課後から、「男く祭」コーラス大会の練習が始まるのです。担任は、練習が間に合えば(別に生徒が望んでいるわけではありませんが)壇上に学ランで上がります。でもって、「餌付けーしょん」はのど飴を毎日差し入れる「飴ちゃんBOX」。思えば、高1A組の餌付けーしょんも、1年前のここから始まったんでしたね。

 さて、本日は学校と病院とをタクシー往復ピストン状態の一日。学校では授業はないのですが、朝・帰りのSHR、及び昼休みに体育館でクラス写真撮影があるのです。という訳で、ホテル1階のレストランで朝食(母君は洋風モーニング、私はコーヒー)のテーブルをご一緒した後で、

 タクシー①(ホテル→学校)。
 7時30分に学校に着いて担任業務。朝のSHRは、4月の内は文化祭を中心に連絡事項が多くて大変です。その後、課題テストの成績処理等の教務関係の仕事。印刷室でコピー用紙(B5)の箱を1つ貰い、前述の「飴ちゃんBOX」の作成も。中にのど飴を5袋分ほど入れて、メッセージ「和而不同のハーモニーを目指して、喉を十分に労わって下さい(味の好き嫌いは言わないで)」 フルーツ系は人気なんですけど、のど黒飴とかミント系とか漢方系とかを嫌がるお子ちゃま舌の方、多いんです。

 タクシー②(学校→ホテル)
 ホテルに戻って母君をお迎え。今日は主治医のY先生から、入院開始が何時になるのかを決めていただく日。ホテルの部屋は今夜1泊分まで押さえていますので、明日から入院ならそれで良し、明後日以降からの入院ならホテルの延泊が必要になります。

 タクシー③(ホテル→病院)
 Y先生の予約時間は11時30分なので11時に病院に入ったのですが、今日はなんだかとても患者の数が多い日のようで、加えて思うように患者が捌けていない様子で、12時になっても12時30分になっても母君の順番が回って来ません。同じく別の先生の順番待ちが30分とか60分とかになっているらしい老人男性が、窓口や通りがかる医師看護師に手当たり次第クレームを言い続けているのが母君の心身に響くようだったので、私だけが待合に残って(順番待ちのビジョンを眺めて)、母君は少し離れたところに移動してもらいました。

 タクシー④(病院→学校)
 昼休みクラス写真撮影が始まる13時には学校に居ないといけないのに、前述のように12時半になっても母君の順番が回って来なかったので、一旦母君を病院に残して学校に戻りました。4限の授業が終わるB組まで生徒を迎えに行き、「全力で体育館に移動! 最初に揃ったクラスから撮るらしいからB組を1番にするよ!」と初手からヒステリー気味に叫んで生徒を急かします。でもって、写真撮影を始める前に、体育館下にタクシーを呼びました。

 タクシー⑤(学校→病院)
 撮影が終わったらそのまま体育館下のタクシーに飛び乗って病院へ。大体そういうタイミングなんだろうなぁ、と思っていた通りに、私がタクシーで学校まで往復していた間にY先生の診察は終わっていました(その後、母君は先生に頼んで点滴を1本打ってもらっており、私が到着したのは点滴治療中でした)。病院の待合で伺ったところ、入院は明日からで、今日はこの後で放射線科の診断、及び全脳照射治療時につける(個人別の)マスク(顔型みたいなもの?)を作成することになると。暗い階段を歩いて、物々しいエレベーターを乗り継いで、何だか病院の奥の奥の隠れ部屋、隔離病棟じゃないけれどもこういう所には精神科があったりするんじゃないかしらん、という所まで2人でとぼとぼと歩きます。
 放射線治療のH先生から、全脳照射の手順(ガンマナイフと違って照射は1回1分程度、これを11回繰り返して入院は2週間超になるということ)、考えられる副作用とその対処法、本日このあと作る顔型マスクについて、等々色々なお話を伺いました。話が進んでいくに連れて、ご自分が末期の癌患者であること、副作用列挙の治療に進んでいかなければならないこと、をじわじわと「身分け」て来られた母君の顔が蒼白になって行きます。こっちはと言えば時計をチラ見しながらドキドキハラハラ。

 タクシー⑥(病院→学校)
 H先生から入院・治療の手順を聞けるところまで聞けた(私が記憶する係で母君が治る係です)後、マスク作成は母君にお任せしてタクシーで学校へ。後2、3分というギリギリのところで何とか帰りのSHRには間に合ったので、連絡事項を伝えたり「飴ちゃんBOX」を見せびらかしたりするために教室へ行き、SHRと教室掃除監督と。高2Bの人たち、というかその内の内進組はほぼ全員「無音清掃」が身についている様子で、その粛々に元高1A組生徒は完全に気圧されモード。う~む、こんなに真面目な人たちが(私が担任になったせいで)これから溶けていっちゃったりするんでしょうか。
 コーラス練習は、最初の集合とパート分け(私はもちろん男声高音)の途中まで立ち会って、残りはコーラス委員と指揮者・伴奏者にお任せしました。「まだ見ぬ味ののど飴を探す旅に出ます!」と言い残して、再びタクシーを呼びます。

 タクシー⑦(学校→病院)
 病院に着いたら17時30分、母君は明日の入院を前に、入院受付横の個室にて福祉士の方(?)と入院前のカウンセリング中でした。カウンセラーの方曰く「お母さまはプロでいらっしゃるからお話が大変早くて結構でございました」だそうですけれども、プロだから入院中も小姑だったりクレーマーだったりするんじゃないかとちょっと心配な息子さんです。

 タクシー⑧(病院→ホテル)
 連泊のホテルに母君を戻した後、私は母君の夕食(部屋食弁当)や生活用品の買い出しに出ます。もちろん、ついでに「まだ見ぬ味ののど飴」を探すことも忘れてはいません。のど飴の種類って、本当に多いんですねぇ。2日間で既に25種類以上見つけています。ホテルのお部屋に買い込んだものをお届けしましたが、流石に病院で一日過ごした母君は疲労のご様子。ただでさえ体調が悪いですし、病院って居るだけで心身をやられますからねぇ。

 タクシー⑨(ホテル→自宅)
 非情の極みですが、私はツインの部屋に母君を残して今晩は自宅泊にしました。2日ぶりに着替えたいですし、何より明日は3時起床がマストなのです(授業・HR活動・添削で1~7限がフルで埋まっています)。ど早朝起床に母君を巻き込む訳にはねぇ。
 自宅の湯船で汗を流した後、夕食は「もりき」。21時半の就寝です。

傷口から、不思議なことにおっぱいのような「赤ん坊のにおい」が

 3時半起床、5時入りの職員室で通常業務は授業の準備・担任業務。SHRと1限の授業(高2現代文)とを終わらせた後、年休をとって学校を中抜け、タクシーで大学病院に移動します。送迎のS氏にご挨拶・御礼の後、母君のMRI撮影に付き添い。呼吸器センターの窓口に撮影終了を告げに行ったら、窓口の方に呼び止められ、明日の予定だった診察を急遽本日行う旨を伝えられました。小倉の「S」病院から母君のCT検査の結果、入院治療措置についての情報が送られているためでしょう。
 急遽お時間をとって下さった主治医のY先生からお話を伺う。事前に小倉の「S」病院で「予習」を聞かされていたので、恐らくそうなるだろうという全くその通りの流れになり、そんなに心的負担なく方針を受け容れることができました(少なくとも患者の家族である私は。患者本人のことはわかりません)。病棟のベッドが確保でき次第即入院で、小脳の転移に関する全脳照射の治療を開始。並行して、タラセバの服用も開始する。
 入院の開始日は、明日の診断で教えてくださるそう。母君は小倉の職場に関しては綺麗に片づけて来られたそうなので、入院の日まではK市のホテルで待機することを即決されました。その場で、JR駅前(病院最寄り)のホテルをツインで確保(取り敢えず2泊分)。

 入院時のお薬のおかげで味覚が戻ってきたという母君は、お昼にちゃんとしたご飯が食べたいというお話。かつ丼であるとか親子丼であるとかでしっかり米を取りたいというご希望ですが、そういうものが食べられる場所は大抵が喫煙可ですので、考えた結果、K市名物の鰻で我慢していただくことに。この後チェックインするホテルから徒歩2分の場所に、江戸時代から続く老舗「T」があるので、そこで2人で鰻を食べました。母君、定食のご飯をお代わりまでして満足そうでしたので何より。

 ホテルチェックイン後、母君を部屋に残して私はタクシーで学校へ。6・7限の授業(高2現代文)を行って、帰りのSHRでは荒井由実ひこうき雲」をクラスの41人に聴いてもらいました。CDは、曲目が決定する以前から国語科に置いてあったものを引っ張り出して。伊達に25年のファンじゃないのよ。
 学校からホテルへ移動する途中、弁当屋に寄って母君の夕食(部屋食)を購入。作ってから時間が経っておらず、まだ温かいものが買える店を事前に調べておいています。飲み物は500mlの牛乳。19時前にはお休みになった母君を部屋に残して、私はホテル徒歩2分のフレンチ屋台「S」に初入店。前々から気になっていた屋台型店舗。選択式のメイン(牛頬肉赤ワイン煮)、サラダ・一品料理・フレンチおでんのバイキング、ソフトドリンクバー、デザートワゴン、が一式ついて2000円の安さ。お運びに多少の難はありましたが、値段が値段ですし料理は上質本格派。アルコールは別料金でしたが、グラスビール・ワインが290円という良心。鱈腹飲み食いしてホテルに戻りました。読書は水木しげるの自伝。

人類の至宝。まさに科学の勝利ね。

 3時半起床、5時入りの職員室で通常業務は課題テストの採点・集計の残り、及び本日行われる初回の授業(内山節「連帯という言葉の意味」)の準備。本日、生徒は1・2時間目が課題テスト(英数)の続きで3時間目が集会、4~6時間目が通常授業。私は課題テスト監督、学年集会監督、及び現代文2コマ。
 昨年に引き続いて現代文を担当ということで、これはもう事実上高3での現代文担当が決まったも同然なので、67回生は3年連続で私が現代文ということになります(外進組の場合、F校の現代文=池ノ都、ということに)。合わなかった人、ごめんね。親と教員とは選べないんだわ(あ、塾の文化は知りませんけど)。

 さて、放課後のSHRにて、「男く祭」のコーラスの曲決めが行われました。コーラス委員・指揮者に事前に選んでもらった候補曲(6曲)の中から多数決です。セカオワRPG」やRADWIMPS前前前世」などというキャッチーな曲が入っていたのでそれらが選ばれるのかなぁ、と思っていたら、豈に図らんや、荒井ユーミンの「ひこうき雲」が選ばれてしまいました(それも結構な大差で)。私は、全く口を出していないのに、25年間ファンを続けているアーティストの曲が選ばれるなんて、なんて素敵なんでしょう、と個人的には大喜び。私生活がドタバタしてるので今年は無理かとも思ったのですが、この曲なら歌詞を覚える必要がないから舞台に上がれるわ、とか考えたり。いや、そりゃ、客観的に考えたら、1曲しか歌わないのにレクイエムて、という話なんですけどね。

 さて、昨日、K市の自宅に遂に届いた冷蔵庫。昨日から十分冷やしており、退勤の道すがらにあるディスカウントストアにてその中に詰め込むものをば購入する運び。で、文明的独身生活の先達であるところの英語パイセン女子と。
 英「何入れるつもり? 酒?」
 私「と、水分とアイス。鍋皿が要るものは絶対に入れない! 生活は変えない! 供給に需要を生ませない!」
 英「とかなんとか言いながら、段々食べ物を入れ始めるようになるよ。絶対」
 私「断固拒否!」
 ……を、初回の買い物で示した格好。冷蔵室3段の棚は仕切り2枚のうち1枚を外して、広い方に500mlの缶ビールを15本、狭い方に350mlの缶ビールを15本詰め込みました。側面には、ミネラルウォーターペットボトル、野菜ジュースにお茶に飲むヨーグルトに牛乳に、等々のノンアルコールに加えて、ワイン・日本酒の小瓶を何本か。冷凍室には、阿呆ほどのアイスクリームを詰め込みました。冷蔵庫の料金の半分弱は使ったかも知れません。ビールはキリン・サッポロ・ヱビス、日本酒は「東一」なんですけど、その写メをTwitterにアップしたら、がっ様から「ヱビスと獺祭で揃えたら、ミサトの冷蔵庫だったな」とリプが来ました。そういうところに一手間かけたら「いいね」を荒稼ぎできるんでしょうか。

 さて、間違いなく母君が望んだものとは全く異なった方向性に走った息子が冷蔵庫に毒を詰め込んでいる間、その母君は小倉の「S」病院を気分良く退院なさったとの連絡。職場のAさんが介添えをして下さり、病院からほど近い実家へ戻られたそうです。明日は職場のS氏がまたまたK市へ送迎して下さるのですが、その後はF校親玉大学病院にてMRIを撮ってその後の治療方針を決めます(MRIが明日、主治医の先生の診断は明後日)。脳・肺の転移は既に(身体で)分かっているので、その点に関しては不安はないのですが。

 夜の「もりき」では、母君の入院について話したり、毒々しい冷蔵庫の写真をマスターにお見せして笑ってもらったり。

「10兆万円かけるかー!!」 わけのわからん単位を口にしてるヤツ

 本日は春休みの課題テスト、私は現代文50点分の出題が2限にあります(1限英語、3限数学)。5時入りの職員室でデスクワーク(学級通信作成・印刷など)。始業後は1限監督、2限出題、3限監督(中に、本当はいけないんですけれども2限に終わったテストの採点をガシガシ)。半ドンで生徒は下校、とは言っても部活だとか月末の「男く祭」の準備だとかで学校に残る生徒は多く。担任としては、自分のクラスの生徒が下校する18時まで残っておくのが礼儀(義務に非ず)なのでしょうが、今日は礼儀(義務に非ず)をすっ飛ばして学校を飛び出しました。タクシーでJR、新幹線で小倉、タクシーで「S」病院です。新幹線内では、B組41人のフルネーム(漢字)暗記の「お勉強」など。これ、新学期が始まるまでにやっときたかったんですけど、私生活の後ろに回してしまってて。

 この4月だけで、例えば大学時代の1年分くらいの時間はお会いしているのではないでしょうか。本日の母君は点滴が効いたとのことで顔色良く、空嘔吐きは多少残るものの呼吸も安定。何より固形物が口に出来たことが喜ばしいわけでして、動物はやっぱり食べて寝てナンボだという話。「池ノ都くん(←二人称)も一日一食とか我を張らずに、しっかり食べないと駄目ですよ」と頻りに仰有る母君に、本日18時の約束で自宅に冷蔵庫が届く旨お伝えする親孝行(ん~と、親孝行のために、中にどんなものを入れるつもりなのかはお教えしませんでした)。

 昨日の方とは別の主治医の先生が来てくださり、患者の家族(要するに私)に対して、患者(要するに母君)の病状と、K市大学病院にて今後受けるであろう治療に関する(先生曰く)「予習」を施して頂きました。主治医先生は私より多少上、アシスタントの年若い先生と同じく年若い女性の看護師さんと3人で、みっちり1時間もかけた説明が行われまして。
 主治「今まで2年半、無治療だったということで」
 息子「14年末にこちらで肺の手術を行って頂きました後は、直後にK市の病院で小脳転移のガンマナイフを。16年の5月にも小脳転移再発ということで同じ病院でガンマナイフの施術を。後は、2ヶ月おきの大学病院通いで、血液・CT・MRIと定期的に」
 主治「あぁ、息子さんの方がご記憶がはっきりしておられる。お母様は施術の日時が曖昧で」
 息子「当事者ですし、その施術以外は働くだけの毎日で変化や区切りがない生活でしたものですから」
 主治「成る程」
 母君は、明日この病院を退院した後で徒歩2分の自宅に1泊、翌日K市に移動して(またもや職場のS氏に車で送って頂く!)MRI検査という流れ。
 主治「その後の治療がこうなるであろうということを、予め予習なさっておくと良いかと」
 息子「脳の転移をどうするかということですか?」
 主治「それと、並行して抗癌剤の治療も始まるかと思います」
 息子「肺にも転移が見られると昨日伺いました」
 小脳の転移は、ガンマナイフだけで良いのか、或いは長期入院をして全脳照射が施されるのかどちらかでしょうというお話。全脳と聞くと引きますね、人格が変わったり認知症が進んだり……。
 主治「……ということよりも、脳ですので、例えば手足の麻痺であるとか、そういう後遺症が出る可能性がゼロではないことは知っておいていただかないと」
 患者「私、動けなくなるんですね? 寝たきりみたいな」
 息子「可能性の話ですから」
 患者、食い気味に怖がります。
 息子「外見にも影響が出ますでしょう?」
 主治「えぇ。頭皮にも影響がでますし、頭髪も」
 息子「ですって。そっちの方がちょっとねぇ」
 患者「それは別にいいわ。今更。見た目だけの話でしょう?」
 患者、そっちは気にならないようです。話は、並行して行われる(であろう)抗癌剤治療の方へ。
 息子「こちら(←母君)は、分子標的薬が使えるということを、確か手術をして下さった先生から当時伺った記憶が」
 主治「そうですね。例えば、×××××(←失念)、タラセバというお薬を勧められる可能性が高いでしょう。それで、肺や脳の癌を抑える効果を期待して……」
 ……「福岡タラセバ娘」とかいうど血痰フレーズが出て来たことをおくびにも出さずに。
 息子「確か2年前は、分子標的薬は首から上に関しては効果が薄い、というようなことを主治医の先生に伺った記憶が」
 主治「……あぁ、そうですね。そのようなことが言われたかも知れません。実によく覚えておられますね」
 患者「覚えるのはこの人(←私)の仕事で、治るのが私の仕事なんです」
 患者、瞬時の反応で親ばかを発揮します。
 主治「ですが、肺癌のお薬は、進歩が著しいんです。当時とは少し状況が違うと言えるかも知れません。そのタラセバの効果がいつまで続くのかというのを見ながら、続かなくなったらまた別のお薬をという形で、年単位の治療を……」
 患者「私、一年しか保たないんですか?」
 息子「『単位』を落としてる。『年単位』ね」
 学生だけではなく母親まで単位を落とす程教師に向いてないのか私は。
 息子「こちらの方(←母君)、ここの病院で手術をして頂いた日に、主治医の先生から『これで5年は生きられます』という言葉を頂戴したのを拠り所になさってるんです。多分、病気に関して覚えてお出でなのはこれだけなのでは、と」
 その他、大学病院では免疫系の治療を若しかしたら勧められるかも知れないけれどもそれだけはオススメしないこと、抗癌剤治療に関しては「S」病院でも母君を受け容れて下さる準備があること、等々を丁寧に説明していただきました。

 図々しい言い方ですが、丁寧に説明していただけばいただく程、母君の疲労は(心身共に)溜まっていくわけでして。1時間のお話の後、母君はベッドにお休みになり私は辞去。
 夢の新幹線なら40分弱でK市、自宅着の5分後に家電運送の業者さんから電話が入りました。夢の冷蔵庫の到着です。とは言え、電源を入れてから中が完全に冷えるまでは暫く時間がかかるので、冷蔵庫内に食品飲料を入れるのは明日のお話。
 母君が盛んに「肉を食べなさい」「太りなさい」と仰有っていたので、夜は自宅徒歩1分の焼き鳥屋「K」。串を何本かと名物のお好み焼き鉄板を肴に、ビールと日本酒。

月ときつね屋

 始業式が土曜日という日程だったので、春休みの課題テストは10日・11日(月・火)、本日の生徒は終日自宅で学習(のはず)。一方教員である私には全くノルマがなく、午前中は学校で仕事をして午後に小倉往復……くらいのつもりだったんですが、朝の電話で事情が一変。
 久しぶりに書きづらい日記ですが、書ける範囲で、以下。

 朝、母君が身を寄せている小倉の職場から携帯に電話があり、母君を救急車で小倉の「S」病院に緊急搬送した、と看護師の方に説明されました。昨日の夕食ごろまでは心身とも落ち着いていたのですが、夜中頃から壮絶な嘔吐が始まり、前に「最終手段として考えている」とその看護師の方から言われていたその手段であるところの救急車にお出まし願ったという流れ。
 丁度風呂上がりの時間に電話を受けたので、そのまま着替えて急遽小倉へ移動。K駅→小倉駅で乗り換え無しの新幹線がピッタリのタイミングで私を運んでくれたので、こういうタイミングの良さは幸先が、なんて。電話口の看護師さんの口調が落ち着いていたこともあり、多少感情はざわついていましたが、新幹線内では本を読む程度の余裕はあり。

 駅からタクシーで「S」病院へ。看護師さんと携帯でやり取りをして時間外入口で落ち合い、母君の居る階に直行しました。「S」は母君が今回の肺癌で手術を行った病院で、私が到着した時には母君はCTを撮っている最中でした(緊急だったためか造影剤は無し)。事前に様子を聞いていたので予想はしていましたが、CT室の外まで母君の空嘔吐きの声が聞こえてきます。
 勿論母君は即入院で、CT室から移動ベッドに寝かされた状態で病室まで運ばれるのですが、その上でのたうち回って苦しまれておりここは筆舌謝絶で記述カット。まぁ、食べられない・眠れない・歩けない・頭の痺れと空嘔吐きとが止まらない、という端的に拷問状態な訳でして、看護師さんからも事前に聞いていましたが100%脳の腫瘍が原因。過去2回の小脳転移(ガンマナイフでやっつけました)の時は自覚症状がなかったのですが、3度目の今回は初めて症状が出たのです。

 果たして脳浮腫が原因だったと後で聞かされるその症状を抑える薬は点滴にて、ということで病室(ベッド3床の部屋に母君だけ)にて先ずは点滴準備。母君は空嘔吐きの合間の譫言で盛んに「暑い暑い」と仰有います。以前、肺を取る手術をした後のベッドでは「寒い寒い」と仰有ってたので、「ここの病院って暑かったり寒かったり色々なんですかねぇ」とか母君に聞こえてないのを良いことに適当な独り言で相づち打ってるフリ、要は息子はずっとオロオロしているだけ。
 さて、点滴(ステロイドと、後なんだっけ、忘れました)の間は私・職場の看護師さんは待機しておく他ないので、休憩スペースで母君の昨夜の様子を伺ったり、この後の治療の流れ(の予測)をお話したり。

 CTの結果を呼吸器の先生から。
 先「お母様ですが、これは勿論来週K市の病院でMRIを受けてもらうまでは厳密にどうだとは言えない訳ですが、間違いなく脳に2つ以上の転移があって、肺の中にも小さな転移が多発状態で起こっています。肺の方は本当に小さくて今すぐ悪さをすることはありませんが、脳の方が緊急で、こちらが今の症状の原因になっています。脳浮腫と言うんですが」
 私「済みません『フシュ』って漢字で書いていただけますか? あぁ、分かりました。腫れてるってことですね」
 先「その腫れを抑えるお薬が効けば、症状自体は癒えるでしょう」
 私「心肺停止・呼吸停止ってここ(検査結果を書いた紙、私は写しをもらいました)に書いてありますね」
 先「脳の話ですので、このまま放置したらそこに至る可能性も無いではないという意味で、一応書かせてもらいました」
 私「そうなんですよねぇ。さっきお話した通り、無治療経過観察の2年間半、自覚症状が出たことが無かったんですね。それで私、多分こちらの方(←母君)もそうだと思うんですが、死ぬような病気に罹ってるという事実を忘れていました。反省です。以前こちらで肺を取る手術をして頂いたとき以来、それを思い出した感じです」
 先「無治療というのは珍しいですが、忘れるというか、慣れてしまうというのはあるかも知れませんね」
 私「そうですね。もしも手術後もこちらの病院でお世話になるとなった場合は、確か分子標的薬の何とかというお薬を使うという説明を受けた記憶があります」
 ……まぁ、2年半も働かせてもらえたんだから、良しとするしかないんですかねぇ。

 さて、先に休憩室で母君の職場の看護師さんと話した今後のこと、来週のMRIまでは小倉の「S」病院(要は今居られる病室)に入院、その後K市のF校親玉大学病院でMRI、この「S」病院での検査結果も大学病院に送られるはずでその後はガンマナイフだろうが全脳照射だろうが投薬治療だろうが兎に角入院は必須な筈で、いずれにしても暫く職場には出られなくなります。でもって、時間はこの時点で12時。
 私「折角小倉に来た訳ですし、『N苑』(←母君の職場)にご挨拶に行かないといけませんね」
 看「丁度、理事長が休日出勤していますから、今日の結果と暫く職場に出られないであろうことを直接伝えられたら良いと思います。場所は分かりますか? 送りましょうか?」
 私「タクシーで行きますので大丈夫です。駅ビルかどこかでお土産を買わないと行けませんね」

 丁度お昼時だったので、小倉のソウルフード(?)である「はるやうどん」にて肉うどんを食べて、「井筒屋」の地下でお土産を購入。タクシーで母君の職場「N苑」へ向かいました。小学生の時に数度の訪問がありますが、伺うのは20数年ぶりということになります。
 受け付け窓口の女性に名前を名乗って、理事長様にお目にかかりたい旨お伝えしたら、ご本人でいらっしゃっていきなり頭を下げまくることに。母君から年齢を伺っていたのですが、それよりもずっとお若く見えたので全く気がつかなかったのです。
 お土産をお渡しして、母君の本日の検査結果、先に看護師さんとお話をした今後の治療(の予想)についてお話しし、来週のMRIの結果が分かったら直ぐにお伝えすることをお約束しました。理事長様からは、母君の普段の職場での様子を(かなり好意的な見方で)お伝え頂き、お優しい励ましのお言葉も頂戴しまして恐縮でした。回復の暁には、再び「N苑」に戻れるよう、母君本人も私も願っている旨をお伝えし、余り長居するのも失礼なので20分ほどで辞去。
 帰りは、丁度最寄りのバス停から「S」病院までほぼ直行の便が出ていた(発車3分前にバス停に到着でした。タイミングの良さ!)ので、それに乗って。車内ではスマホでゲームの36歳、ちょっと疲れた時には、な~んにも考えなくていいRPGレベル上げなんてのが打って付けなのです(ゲームは『DQ3』)。因みに、バスに揺られた時間は30分、「S」病院は実家直ぐそばなので、要は実家と母君の職場とはバスで30分の距離ということになります。ここに自転車で通ってたって言うんですから、まぁこの2年半、割と大変な労働をしていたんだなぁ、と。

 病室に戻った時には、薬って本当に効くんですね、母君の様子はだいぶ落ち着いておられ、会話も普通に出来るようになっていました(疲労困憊ではありましたが)。前述の地獄の苦しみはご本人にもかなりのショックだったそうで(そらそうだ)、もう一回これを味わうならいっそ以下略とのお言葉(地獄の名残は臭いに現れ、空っぽの胃からの嘔吐きと嘔吐との果てに胃酸の臭いが漂うのがお辛いそう)。私も、母君が人が死ぬ病気に冒されていることを2年間も忘れ果てていたことを申し訳なく思う旨。

 明日も必ず訪問するお約束の後、夕方に病院を出てK市に戻りました。明日は課題テストで半ドンです。採点は後回しにして、取りあえず昼から小倉往復をすることになります。K市の自宅に18時に冷蔵庫が届く(先週金曜の予定でしたが、母君のご病気の都合で延期していました)ので、それまでにはK市に戻らないといけません。
 新学期の出だしから慌ただしいですが、何とか学年に迷惑をかけないようにしないとですね。頑張ろ。

 K市の部屋に着いた直ぐ後に、母君から電話がありました。薬って本当に効くんですね、「味が分かって久しぶりに固形物が口に入った」んですって。それ聞いた瞬間にへたり込みましたよ。良かったって感じるよりも前に、あぁ、私、こんなに疲れてたんだぁ、って。

船が見えます

 朝のホテルツインにて起床、7時にお迎えに来てくださったS氏に母君をお引き渡しし、チェックアウト後に自宅経由で(着替え・入浴)出勤。学校入りは8時を過ぎており、新学期初日バタバタの日なのに出足から遅れ気味。
 始業式と新任式。今年から、校長・生徒指導部長が新しい先生になり、それぞれが長めの着任挨拶。新任紹介では英語科に配属になった(私と同じ年の)先生が代表挨拶でしたが、お話を少し聞いただけで直ぐに分かりました、「これは悪者(わるもの)の系譜だ! 逸材だ!」

 私が勝手に定めたF校教員の一カテゴリに「悪者(わるもの)」というのがあります(「悪人」とは違います)。条件は以下の通り。
 ①滅茶苦茶遊び好き
 ②宴会大歓迎
 ③年令より(且つ誰に対しても)腰が低い
 ④ネゴシエーション大得意
 ⑤必要な時には敵を殺せる
 以上、①~⑤だけだと単なる隠れヤクザでしかないですが、ここに加えて
 ⑥教科に関して滅茶苦茶仕事する
 というのが必須でして。例えば私は①・③・⑤に欠ける所があるので該当しません。63回生担任団なら、数学担任先生は「悪者」、体育担任先生は元「悪者」ですが今は大ベテランだから「親分」、主任理科先生は傾向はあるけれど③~⑤がやや弱いかな、というところ。この「悪者」と密に人間関係を結んでおくと、職員室の日々が大変楽しいんです。
 というわけで、英語科新任先生とは積極的に仲良くして頂きたいと思った所存。

 話は戻りまして。初日から「我らが」の形容をつけて良いものかは分かりかねますが、とにかく今日から高2B組がスタートです。文理混合41名のクラス(文系男子8名・文系女子11名・理系男子22名)で、私というもやし中年の「みちび機」で2年間を過ごさなければならない彼ら彼女らの運命を思うと自然と涙が。でもって、初日から暫く(1~2週間くらい?)は人間関係様子見状態で(私を含めて)みんな温和しいもんですから、学級委員・書記・「男く祭」コーラス委員・指揮者、等々をほいほいと決めたら後は諸連絡でお仕舞い。
 41名の中に、元高1A組だった生徒は11人。出席番号1番の才女からは「本当に成績だけで分けたんですか?」と(学級日誌日直感想で)訝しがられましたが、本当にコンピューターが弾き出した結果なんです。

 さて、夜は先ほど「悪者」から進化して「親分」になった我らが63回生体育先生、そして63回生「日常性の維持」担当の東大教育学部Eくんと3人で飲み会。こないだ新歓(テント列)でお会いした(っつーか朝飯奢った)後、急転直下の勢いでダブルダッチサークルに危機が訪れたという話(詳細秘す)を手に汗握って聞きながら、ビールビールビールビールワインビールビール。どか食いEくんですからイタリアン一次会の後に二次会中華料理なんて軽いもんという勢いで、おじさんと「親分」は胃がもたれて大変なんです。

 母君は無事に小倉に着かれ、職場に準備されたベッドで療養中とのこと。電話でお話をしましたが、栄養士の方が準備して下さったお好み焼きの夕食(母君のリクエストメニュー)を完食された、と気分上々の様子で何より。

TESLA doesn’t know how to cry

 さてさて、親不孝が服着て歩いてるみたいな国語教師、本日のお目覚めは市内ホテルのツイン、横でお休みの母君を起こさないように洗顔、タクシーで一旦自宅に戻って着替え。この時点で6時半。7時に開店の中華粥のお店で持ち帰りを注文してからホテルへ。既にお目覚めの母君に食べられるかどうか一口、でしたが塩味がきつすぎて受け付けられませんでした。レンチンの(普通の)お粥を買ってくるしかないですね。
 母君をホテルに残し(同部屋で連泊します)、8時前に学校に入ってデスクワークを色々。明日が始業式ですので、仕事はどんだけでもあるんです。今日は、月曜日に出題する課題テスト(現代文50点分)の作成・印刷が主な業務。

 昼前に一度ホテルに戻り、やはり症状が一向に改善されない(夜中にも何度も嘔吐いておられ眠れない様子だった)母君と再び徒歩で「S」病院へ。ですが、やはり看護師の方の言葉は昨日と同じで、食事が取れない母君の点滴についても「出来れば口から食べて頂きたい」ということなので(母君自身の意向もあって)今日は行ってもらわないということに。
 はっきり言って背負った方が早いんですけれども、F校生が歩いているかも知れない西鉄構内でそんな目立ち方しても仕方がないので、肩を貸して徒歩、西鉄構内の和食処にて、母君が「口から食べる」ことが出来るかどうかの実験。何を食べても苦いという味覚障害、煮麺を注文して1/3程をゆっくり、ゆっくりと(私はアイスクリームを注文)。

 「智恵子はもとの智恵子となり」ではないですけれども驚いたこと。病院内でも外を歩くときにもふらっふらの状態だった母君がたった2度だけ「シュン!」と輝いた瞬間があって、それが待合室の見知らぬ御老嬢に声を掛けられた時と、病院前の公園で植えられた花の香りを感じられた時と。前者は介護の仕事で、後者は野草・街路樹観察の趣味ですね。やっぱり、こういう時に人間は生き返るんだなぁ、としみじみ。

 昼食とも呼べない昼食の後、母君は再びホテルのお部屋で横になり、私はタクシーで学校に出向いて仕事の続き。明日からの牙城(?)になる高2B組の教室の板書準備をして、入口に生徒座席表を張ります。寮生は今日から寮に戻りますし、通学生も学園祭の準備で学校に来ている生徒は多いですので、このクラス分けの名表は今日の内にオンラインで生徒に拡散されることになるでしょう。

 タクシーでホテルへ。途中、小倉の病院で処方箋を受け取ったまま放置していたというエンシュアリキッドを近くの薬局で受け取って、スーパーであれこれ液体・ゼリー状の食料品を購入。
 少しずつ少しずつ、口に入れられるだけ入れるということを繰り返すしかない状態。昨日は夜中に一度嘔吐があったので、これはもうシジフォスの努力なんじゃないかと暗澹。隣で見てるだけの人間が勝手に落ち込んでも仕方ないですが。

 夕食はホテル近くの居酒屋、事務嬢さんから「お薦め」と言われていた通り、初入店ですが良い店でした。ホテル暮らしで幹事力アップ、これをお仕事に還元出来そうなこと「だけ」が今回の収穫かしら。
 母君は、明朝に小倉へ戻ることになりました。勿論、自分一人では移動は不可能、何と母君の職場のSさんがまたもや朝5時発でお迎えに来てくださるとのこと。小倉では、職場であるところの介護施設にベッドを準備して下さるそうです。看護師も介護福祉士も栄養士もいらっしゃる環境で、夜も知己の人物が近くにいる環境が母君にとっていちばん良いだろうというご配慮。有難いやら情けないやら、愚息はこれに完全に甘えます。

 さて、明日からの新年度、親不孝が服着た国語教師は、41人のクラス生徒(209人の学年生徒)にどの面下げて会いに行くのでしょうか?