熱き心に きみを重ね 夜の更けるままに

 ……「気をつけないと」と思った時点でもう手遅れだったってことでした。
 今年度は木曜日が授業なしの時間割。ですので若し風邪を引くとしたら木曜日か日曜日かの2択だろうなぁ(私の身体はその程度の責任感なら持ってます)、と解ってはいましたが果たして今日(水曜)の授業5コマ終了後に体調が崩れました。測ると後悔するだろう熱っぽさだったので、葛根湯を飲んで、もりきでニンニク山盛りのパスタ。
 明日の夕方は母君の病院で主治医Y先生から治療方針の説明が予定されています。まさか風邪引きで伺う訳にはいかないので、今日のお見舞いは取りやめて家で昏々と眠ることにしました。再び味覚障害の症状を訴えている母君が心配ではありますが取り合えず先ずは自分の身体。

いきものがかり

 本を読まない国語教師というのは形容矛盾なんですけれども、4月1日を最後にこの日記から「読了」の文字が消えております。活字を読む時間も4月はほとんど取れていない。私、ちゃんと仕事やってるんでしょうか。
 吉本ばなな『毎日っていいな』読了、★★★★。この人の本はいつも感情の熱量に中てられてしまうんで、徐々に徐々にしか読めないんです。特に、父親の看取りについての部分はちょっときつかった。

 自分の年齢「わかってんのかい」、略して名づけて「若手会」、の新任歓迎会は新任某先生が中華のご希望だったので市内の「S」を予約。予約名は毎回「イケノト」では通じないと分かっているので「イケモト」なのですが、「S」は現地の方による片言経営なので更に厳しかった。
 S「お名前は?」
 私「イケモト、です」
 S「あー、イキモノさん?」
 私「いいえ、イ・ケ・モ・トです」
 S「はいはい、イキモノさんね」
 私「えっとですね」
 S「あなたはイ・キ・モ・ノですね?」
 ……確かに「死に物」ではないので「はい」と答えざるを得ませんでした。当日の予約名は「生き物」です。

 本日は授業4つ。放課後は、コーラス練習の後でクラスの生徒と面談(現代文朗読テープ吹き込み)の約束……があったのに、急遽病院から呼び出しがかかって約束を反故に。その上、その約束の延期を生徒氏に伝え忘れたまま学校を飛び出すという大失態。
 病院から呼び出されたその用件自体は大事ではなかったので一安心だったのですが、その直後に連絡を忘れたことを思い出して蒼白になりました。幸いなことに夕方の内に本人と連絡が取れて謝れた(上で、明日の朝の録音を承諾してもらえた)ので良かったのですが、こういうレベルの失態は要反省です。新クラス・文化祭・私的事情、等々で疲れがたまってますね。最後に大きな風邪を引いたのも5年前の文化祭直前でした(63回生の高1C組の担任でした)。気をつけないと。

かごの外など知らぬアゲハ蝶 ワンツーパンチで

 学校の廊下にて、高3文系の某くん(文転の相談で高2の段階で話したことがあった生徒)に呼び止められる。
 某「先日、先生の授業を初めて受けさせていただきまして」
 私「そうですね」
 某「僕、講演Pをやっているのですが」
 私「はい」
 某「先生は授業で、最初10分の自己紹介とオリエンテーション、マシンガントークで次々に爆笑をさらわれました」
 私「でしたっけ」
 某「で、僕、講演について研究をしていまして」
 私「そんな研究があるんですか」
 某「冒頭で場を支配すれば講演でも有利だと思うんですが、先生はそういう明確な意図を持って予めトークを設計なさるのですか?」
 私「話の内容を? まさか! 即興に決まってます」
 某「本当ですか?」
 私「えっとね、板書は全部準備するからそれに即した話になるのは規定路線だけど、細かい内容とかくすぐりとかは全部その場」
 某「僕は、先生流の講演ストラテジーがあるのではと」
 大笑いしそうになりました。ストラテジーて。その返しの方がよっぽど面白いよ、とは言わなかったけれども。講演ストラテジー、椎名林檎の初期アルバムみたいですね。

 土曜日の練習後、珍しく「飴ちゃんBOX」の減りが悪くて半分程度残っている。B組某くんと。
 私「珍しいよね、飴が残ってるの」
 某「はい。土曜日は練習の人が少なかったですし、そもそも来てる人があまり飴を持っていくタイプでは……」
 私「おおっ、それは皆まで言うと角が立つ! 土曜にサボる程度のモチベの人に限って飴だけはたくさん持っていく! これが世間だ! 社会の縮図だ!」
 ったく、飴だけに集ってる子、舐めるなら歌えやっ、ってなもんですね。とニコニコしながらまたまた飴ちゃん投入。

 今日は授業が1コマだけだったので、年休を取って学校を中抜け、タクシーで病院を往復してお見舞い。小倉ではなくK市の病院を選んでもらったのは要するにこの為で、それが役に立つ機会というのは出来れば訪れて欲しくなかったんですけれども。

 それにしても、母子でしみじみと語ったのは、私がK市(福岡県)で就職して良かったという話。何しろ母子2人ですので、どちらかが倒れたらどちらかが面倒を見る他ないのですが、私が22歳で社会人になった時には母君も44歳(年齢算を思い出しますね)と若く、どちらかが倒れるなんて想定は全くしていませんでした。母君も、私に対しては東京だろうが大阪だろうが北海道だろうがどこへでも行って就職しなさいというお積りだった訳でして。
 それが、12歳でF校に入って直ぐにここに永久就職すると決めた(実際に6年間、就職活動としての国語トップ層キープを果たした)訳ですから、四半世紀前の自分を褒めてやりたい気分です。他は措きますが少なくともこの一点だけに関しては、私はとても頭が良かった。

 K市で就職したおかげで、ご近所さんにも恵まれましたよ。今日も今日とてK市の母・Hさんちで日本酒パーティー。タクシー三昧で出費が多いことを愚痴ったら、「1000円で食べられるところを使いなさい!」と呼んで下さったのです。でもって、「肉を食べなさい!」ということで土曜日にまたまたすき焼きパーティーをすることにも。

あんしんパパ

 職場から支給された携帯電話を、入院前後のゴタゴタで頻繁に利用していた母君ですが、本来は仕事以外の用件で使うことを大変嫌がっておいででした(生真面目なんです)。で、それなら個人で携帯電話をお持ちになれば良いではないですか、ということで、私名義の携帯を1台購入してお渡しするお約束。携帯の新規購入って2時間とか時間がかかるので、本日はそれを中心に一日の動きを考える日になります。

 というわけで、先ずは「日常性の維持」で職員室デスクワーク。7時に入って13時まで、授業準備・担任業務。
 高2現代文は内山節「連帯という言葉の意味」、出典の『怯えの時代』は当然発売直後に購入しているのですが、目次だけチェックして未だ読んでいない状態です(こういう本、い~っぱいあります)。で、対立他者との連帯の可能性を「折り合い」という概念を軸に探るという内容の本文なのですが、同じ内容をどこかで読んでそれが何だったのかをず~っと思い出せず、それが作田啓一『恥の文化 再考』だったことに今日の昼前に漸く思い至りました。「羞恥・公恥」の話ですね。これで明日の授業で話す「枕」は確定。

 13時に学校を出て、徒歩20分強で血痰ネーミングショッピングモール「You Meタウン」。auショップで携帯電話新規購入は、いわゆる高齢者向けの「かんたんケータイ」。1~3番によく使う番号を登録しておけば、ワンプッシュでその相手にかかるという優れもの。母君は携帯電話を通話とCメールとでしか使われないので、パカパカの「かんたんケータイ」で十分なのです。電話代は、まぁ私がもちましょうね。

 本日の母君は、脳の痺れが気になるのかあまりご機嫌がよろしくない様子。当たられるのは家族の特権ですが、私だって2球に1回は打ち返したいタイプなので(多いな)、今日は携帯電話の使い方だけをお教えして(3件のワンプッシュ番号を登録して)早々に退散することに。
 さて、職場の携帯はもう使わないので返送しようという話になったのですが。
 母「そっちの職場の携帯の電話帳の『は行』を開いてもらえる?」
 私「はいはい、『は行』ね……あら、原口さん」
 母「それ、消しといて。職場に見られたくないから」
 そこには、私の生みの父親の名前が登録されておりまして。おぉ、30年以上前に離婚した元夫と実は密かに連絡を取り合っておられたなんていうドラマティックな展開が? と番号を見たら私の番号でした。何でやねん。

12階の一番奥

 昨日の「飴ちゃんBOX」、5袋分入れていたのですが、放課後には生姜味のものが1粒だけ残っていました。この手の味は要らんぞよ、という意思表示なのでしょうか。まぁ、1日目に全残しされていたミントが全て消費されていたのは良かったかな。本日も4、5袋分を投入します。因みに、練習は逃走逐電出奔(サボり)がゼロの真面目さで感心するやら呆れるやら。まぁ、全員が心一つという訳でもないでしょうが(大体、先ずもって担任がずっとは付いていられないのが申し訳なく)。
 授業は高2現代文が1コマだけで、放課後にコーラスの練習。半ドン後のコーラスなら練習についておけます(母君のお見舞いはその後で良いので)。

 夕方に母君のお見舞い。小倉の職場に連絡があるということで、2通の手紙を託されました。送り手の欄には名前だけで住所を書いていないという失礼ですが、極力見舞われたくないという意図なのでしょうから口出しはしませんでした。ご足労が申し訳ないというよりかは、外見が変わる治療なので積極的には人目に、というご判断でしょう。
 外見が変わる治療、ですがまだ11回の治療のうち1回しか終わっていないので、特段何がどうということはなく。途中で様子を見に来られた主治医のY先生によれば、昨日の金曜日が1回目、土日は治療なしなので、来週の月~金、再来週の月~金、にかけて残る10回を行うということ。私が「再来週の金曜日は大学の創立記念日ですが、病院はお休みではないのですか?」とお聞きしたら、何を言っているんだろうこの患者家族はという顔で「いえ、お休みではありません」と言われました。ふ~ん。
 因みに、午前中1分で終わる全脳照射の治療以外は、点滴治療が午前午後に1回ずつ。他はず~っと寝たきりで、照射の時の階の移動は全て車椅子。病室は12階の個室なのですが、フロア内にある給湯器から湯茶を汲んでくるのも看護師さんにお願いして、用便以外では立って歩くことがない状態だそうです。
 私「床離れ出来なくなってしまうんじゃ?」
 母「脳だから仕方ないでしょう」
 プライドが高いお方が「仕方ない」とかいうフレーズを発する程度には弱気になっているということには若干のショックを受けました。

 託された2通の手紙を持って、病院から郵便局まで徒歩徒歩と行き、西鉄の薬局とダイソーとをはしごしてのど飴狩り。結果、ダイソーの「のど飴力」が意想外に強烈で大漁大猟に呵呵。コーヒー味、牛乳味、梅味などありそうで未入手だった味から、栗味、芋味みたいに作りゃいいってもんじゃないやつまで。のど飴ハントは今日の漁果で60種類を突破。っつか、日本人の喉、大丈夫なの?
 と、勝手に日本人の心配をしていたのがブーメランで刺さるのは来週の話(予告口調)。

 夜は、K市の母・Hさんちでさし飲み。
 私「ビールはですね、私の家のれ~ぞ~こでた~んと冷えてますからね、大量にお持ち致しますわ」
 H「あら、悪いわねぇ、うふふふふふふふふふふ」
 ビールと1000円札1枚とを持っていったら、あら不思議こんなおご馳走に預かれるなんて。日本酒は、私が冷やしてもらってた(卒業生からの)プレゼント1本と、Hさんが仕事先で買ってきた佐賀のお酒が1本。4合瓶2本、二人で空けちゃいました。

沢山の気づかいと人生をありがとう

 3時起床、入浴、着替えて5時に学校入り。本日は、高2現代文が4コマ、高3文系漢文(新年度初授業)が1コマ、HR活動(コーラス練習)が1コマ、で計6コマ。昼休みと唯一空いている5限との時間を使って、高3文系漢文(二次対策授業)の添削を行います。要するにフルで学校に張り付き。ですので、申し訳ないですが母君には自力で入院をして頂かなくてはなりません(親不孝が服着て歩いてます)。

 5時から始めた授業準備(板書計画・プリント準備等)が予定より早く終わり、その後の担任業務まで含めて7時過ぎには一旦体が空きました。で、タクシーでホテルに往復して母君の様子を見ようかなぁ、とも思ったんですけれども、昨日行かないと言っておきながら「来ちゃった」みたいなのをとても嫌う方なのでそれはやめておきます。
 代わりに、私の大切な大切な仕事であるところの「幹事」をやっちゃおう、と。何の幹事なのかというと、F校職員室有志による集まり「若手会」の新任歓迎会です。自分の年齢「分かってんのかい?」、略して名付けて「若手会」。他人から言われる前に言っておきますね、そら36歳のオッサンですから会の最年長ですよ、私より若いけれども早々に若手会を引退しておられる先生、いらっしゃいますよ(大抵は所帯持ち)。さいでざいますけれども、「若手会」のメンバーである条件は自分が若いと思っているかどうかという一点なわけで、じゃあ自分のことを一文前で「36歳のオッサン」とか言ってるお前はどうなんだと言われたら返す言葉もございません。すいません、今年を最後に引退しますんで、どうか今年まで幹事をやらせて下さい。
 と、方々の年若い先生に頭を下げつつ、新任(数学常勤・英語常勤・地理非常勤)3先生の日程を中心に多くの先生方が集まれる日を調査する「仕事」を、始業前の空き時間にやりました。

 さて、高2B組餌付けーしょんの「飴ちゃんBOX」、昨日指揮者の某くんに管理を任せたその箱が朝の職員室、私の机上に帰ってきてたんですけれども感想一言「お前ら、舐めすぎ」。しかも、大量投入した中でミント味のやつだけ一袋分全く(殆ど?)手つかずみたいなワガママっぷりです。あぁ、これが一年前に高1Aを全溶けさせた甘やかし。分かっちゃいるけど今日も5袋分を投入です。

 さて、高2の現代文の授業はいつも通りですが、高3漢文(文系・二次対策授業)は初対面の人々(66回生)との初授業ですので若干の緊張。
 初回の教材は2012年の東大漢文『春秋左氏伝』から、「和而不同」の精神を論じて(それを校是とする)F校生へのサービス問題だった本文を扱いました。先ずは10分ほどの自己紹介・授業展開の説明(5分教材説明→20分解答→25分解説→翌朝添削答案返却)、その後は実際に問題を解いてもらって解説という形。これは、昨年の高3(65回生)に行ったことと全く同じです。最後の中学男子校学年ということで、若干の「古きF校イズム」の名残があるのか、ギャグやくすぐりを入れたら結構気持ちよく笑ってくれる人々だったので安心しました(女子がいるのであんまり下ネタは言えないかなぁ)。授業は4限で、昼休み~5限の2時間弱を使って50人分を根性の添削。
 7限目のHR活動はコーラス練習。週末の大会に向けて「部活に行きたいよ~」「コーラス面倒くさいよ~」というオーラを出してる一派も居ますけれども、まぁそれは仕方ないから授業時間くらいは付き合ってねというスタンス。「付き合いのいい人」って、人生が絶対巧く行きますから。これ、本当ですから。

 7限終了後は、練習の後始末を係に任せて「のど飴探してきます!」と学校を飛び出しました。大学病院に直行です。
 母君は、今日から2週間超の入院で、早速治療開始(1回目の全脳照射)だったそうです。元気そうではありましたが、お会いして最初の私の「仕事」は、入院故にしばし休職の職場「N苑」へ送るお礼状文面の「添削」でした。
 病人(の割には40分喋りっぱなし!)に配慮して面会は短め、帰りは「ドラモリ」その他に寄って「まだ見ぬ味ののど飴」を買い漁りました。自分でも徐々に夢中になってきてますけれども、のど飴って本当にたくさん種類があるんですね。既に30種類を大きく上回っています。

 夜は「もりき」。環境が整った場所に24時間置かれている(個室というのがお気に召された様子の)母君はそれだけで満足だったご様子なので、杯を傾ける息子氏の気分も若干お気楽、7限全力疾走後のビールの美味しいことと言ったら。

HEY!たくちゃん

 ホテルのベッドで4時に起床、室内のデスクで漢字の小テスト採点・学級日誌コメント等の仕事。持ち出したらいけないんでしょうけれども許してね。電灯が眩しかったのか、母君も5時ごろに起きて来られました(とは言っても、洗顔の後はベッドに横になりましたけれども)。
 昨日、母君の夕食(お弁当)を買うついでに、市内のスーパーと薬局とを回ってのど飴を大量に買い込んできました。全て種類の違う16袋。今日の放課後から、「男く祭」コーラス大会の練習が始まるのです。担任は、練習が間に合えば(別に生徒が望んでいるわけではありませんが)壇上に学ランで上がります。でもって、「餌付けーしょん」はのど飴を毎日差し入れる「飴ちゃんBOX」。思えば、高1A組の餌付けーしょんも、1年前のここから始まったんでしたね。

 さて、本日は学校と病院とをタクシー往復ピストン状態の一日。学校では授業はないのですが、朝・帰りのSHR、及び昼休みに体育館でクラス写真撮影があるのです。という訳で、ホテル1階のレストランで朝食(母君は洋風モーニング、私はコーヒー)のテーブルをご一緒した後で、

 タクシー①(ホテル→学校)。
 7時30分に学校に着いて担任業務。朝のSHRは、4月の内は文化祭を中心に連絡事項が多くて大変です。その後、課題テストの成績処理等の教務関係の仕事。印刷室でコピー用紙(B5)の箱を1つ貰い、前述の「飴ちゃんBOX」の作成も。中にのど飴を5袋分ほど入れて、メッセージ「和而不同のハーモニーを目指して、喉を十分に労わって下さい(味の好き嫌いは言わないで)」 フルーツ系は人気なんですけど、のど黒飴とかミント系とか漢方系とかを嫌がるお子ちゃま舌の方、多いんです。

 タクシー②(学校→ホテル)
 ホテルに戻って母君をお迎え。今日は主治医のY先生から、入院開始が何時になるのかを決めていただく日。ホテルの部屋は今夜1泊分まで押さえていますので、明日から入院ならそれで良し、明後日以降からの入院ならホテルの延泊が必要になります。

 タクシー③(ホテル→病院)
 Y先生の予約時間は11時30分なので11時に病院に入ったのですが、今日はなんだかとても患者の数が多い日のようで、加えて思うように患者が捌けていない様子で、12時になっても12時30分になっても母君の順番が回って来ません。同じく別の先生の順番待ちが30分とか60分とかになっているらしい老人男性が、窓口や通りがかる医師看護師に手当たり次第クレームを言い続けているのが母君の心身に響くようだったので、私だけが待合に残って(順番待ちのビジョンを眺めて)、母君は少し離れたところに移動してもらいました。

 タクシー④(病院→学校)
 昼休みクラス写真撮影が始まる13時には学校に居ないといけないのに、前述のように12時半になっても母君の順番が回って来なかったので、一旦母君を病院に残して学校に戻りました。4限の授業が終わるB組まで生徒を迎えに行き、「全力で体育館に移動! 最初に揃ったクラスから撮るらしいからB組を1番にするよ!」と初手からヒステリー気味に叫んで生徒を急かします。でもって、写真撮影を始める前に、体育館下にタクシーを呼びました。

 タクシー⑤(学校→病院)
 撮影が終わったらそのまま体育館下のタクシーに飛び乗って病院へ。大体そういうタイミングなんだろうなぁ、と思っていた通りに、私がタクシーで学校まで往復していた間にY先生の診察は終わっていました(その後、母君は先生に頼んで点滴を1本打ってもらっており、私が到着したのは点滴治療中でした)。病院の待合で伺ったところ、入院は明日からで、今日はこの後で放射線科の診断、及び全脳照射治療時につける(個人別の)マスク(顔型みたいなもの?)を作成することになると。暗い階段を歩いて、物々しいエレベーターを乗り継いで、何だか病院の奥の奥の隠れ部屋、隔離病棟じゃないけれどもこういう所には精神科があったりするんじゃないかしらん、という所まで2人でとぼとぼと歩きます。
 放射線治療のH先生から、全脳照射の手順(ガンマナイフと違って照射は1回1分程度、これを11回繰り返して入院は2週間超になるということ)、考えられる副作用とその対処法、本日このあと作る顔型マスクについて、等々色々なお話を伺いました。話が進んでいくに連れて、ご自分が末期の癌患者であること、副作用列挙の治療に進んでいかなければならないこと、をじわじわと「身分け」て来られた母君の顔が蒼白になって行きます。こっちはと言えば時計をチラ見しながらドキドキハラハラ。

 タクシー⑥(病院→学校)
 H先生から入院・治療の手順を聞けるところまで聞けた(私が記憶する係で母君が治る係です)後、マスク作成は母君にお任せしてタクシーで学校へ。後2、3分というギリギリのところで何とか帰りのSHRには間に合ったので、連絡事項を伝えたり「飴ちゃんBOX」を見せびらかしたりするために教室へ行き、SHRと教室掃除監督と。高2Bの人たち、というかその内の内進組はほぼ全員「無音清掃」が身についている様子で、その粛々に元高1A組生徒は完全に気圧されモード。う~む、こんなに真面目な人たちが(私が担任になったせいで)これから溶けていっちゃったりするんでしょうか。
 コーラス練習は、最初の集合とパート分け(私はもちろん男声高音)の途中まで立ち会って、残りはコーラス委員と指揮者・伴奏者にお任せしました。「まだ見ぬ味ののど飴を探す旅に出ます!」と言い残して、再びタクシーを呼びます。

 タクシー⑦(学校→病院)
 病院に着いたら17時30分、母君は明日の入院を前に、入院受付横の個室にて福祉士の方(?)と入院前のカウンセリング中でした。カウンセラーの方曰く「お母さまはプロでいらっしゃるからお話が大変早くて結構でございました」だそうですけれども、プロだから入院中も小姑だったりクレーマーだったりするんじゃないかとちょっと心配な息子さんです。

 タクシー⑧(病院→ホテル)
 連泊のホテルに母君を戻した後、私は母君の夕食(部屋食弁当)や生活用品の買い出しに出ます。もちろん、ついでに「まだ見ぬ味ののど飴」を探すことも忘れてはいません。のど飴の種類って、本当に多いんですねぇ。2日間で既に25種類以上見つけています。ホテルのお部屋に買い込んだものをお届けしましたが、流石に病院で一日過ごした母君は疲労のご様子。ただでさえ体調が悪いですし、病院って居るだけで心身をやられますからねぇ。

 タクシー⑨(ホテル→自宅)
 非情の極みですが、私はツインの部屋に母君を残して今晩は自宅泊にしました。2日ぶりに着替えたいですし、何より明日は3時起床がマストなのです(授業・HR活動・添削で1~7限がフルで埋まっています)。ど早朝起床に母君を巻き込む訳にはねぇ。
 自宅の湯船で汗を流した後、夕食は「もりき」。21時半の就寝です。

傷口から、不思議なことにおっぱいのような「赤ん坊のにおい」が

 3時半起床、5時入りの職員室で通常業務は授業の準備・担任業務。SHRと1限の授業(高2現代文)とを終わらせた後、年休をとって学校を中抜け、タクシーで大学病院に移動します。送迎のS氏にご挨拶・御礼の後、母君のMRI撮影に付き添い。呼吸器センターの窓口に撮影終了を告げに行ったら、窓口の方に呼び止められ、明日の予定だった診察を急遽本日行う旨を伝えられました。小倉の「S」病院から母君のCT検査の結果、入院治療措置についての情報が送られているためでしょう。
 急遽お時間をとって下さった主治医のY先生からお話を伺う。事前に小倉の「S」病院で「予習」を聞かされていたので、恐らくそうなるだろうという全くその通りの流れになり、そんなに心的負担なく方針を受け容れることができました(少なくとも患者の家族である私は。患者本人のことはわかりません)。病棟のベッドが確保でき次第即入院で、小脳の転移に関する全脳照射の治療を開始。並行して、タラセバの服用も開始する。
 入院の開始日は、明日の診断で教えてくださるそう。母君は小倉の職場に関しては綺麗に片づけて来られたそうなので、入院の日まではK市のホテルで待機することを即決されました。その場で、JR駅前(病院最寄り)のホテルをツインで確保(取り敢えず2泊分)。

 入院時のお薬のおかげで味覚が戻ってきたという母君は、お昼にちゃんとしたご飯が食べたいというお話。かつ丼であるとか親子丼であるとかでしっかり米を取りたいというご希望ですが、そういうものが食べられる場所は大抵が喫煙可ですので、考えた結果、K市名物の鰻で我慢していただくことに。この後チェックインするホテルから徒歩2分の場所に、江戸時代から続く老舗「T」があるので、そこで2人で鰻を食べました。母君、定食のご飯をお代わりまでして満足そうでしたので何より。

 ホテルチェックイン後、母君を部屋に残して私はタクシーで学校へ。6・7限の授業(高2現代文)を行って、帰りのSHRでは荒井由実ひこうき雲」をクラスの41人に聴いてもらいました。CDは、曲目が決定する以前から国語科に置いてあったものを引っ張り出して。伊達に25年のファンじゃないのよ。
 学校からホテルへ移動する途中、弁当屋に寄って母君の夕食(部屋食)を購入。作ってから時間が経っておらず、まだ温かいものが買える店を事前に調べておいています。飲み物は500mlの牛乳。19時前にはお休みになった母君を部屋に残して、私はホテル徒歩2分のフレンチ屋台「S」に初入店。前々から気になっていた屋台型店舗。選択式のメイン(牛頬肉赤ワイン煮)、サラダ・一品料理・フレンチおでんのバイキング、ソフトドリンクバー、デザートワゴン、が一式ついて2000円の安さ。お運びに多少の難はありましたが、値段が値段ですし料理は上質本格派。アルコールは別料金でしたが、グラスビール・ワインが290円という良心。鱈腹飲み食いしてホテルに戻りました。読書は水木しげるの自伝。

人類の至宝。まさに科学の勝利ね。

 3時半起床、5時入りの職員室で通常業務は課題テストの採点・集計の残り、及び本日行われる初回の授業(内山節「連帯という言葉の意味」)の準備。本日、生徒は1・2時間目が課題テスト(英数)の続きで3時間目が集会、4~6時間目が通常授業。私は課題テスト監督、学年集会監督、及び現代文2コマ。
 昨年に引き続いて現代文を担当ということで、これはもう事実上高3での現代文担当が決まったも同然なので、67回生は3年連続で私が現代文ということになります(外進組の場合、F校の現代文=池ノ都、ということに)。合わなかった人、ごめんね。親と教員とは選べないんだわ(あ、塾の文化は知りませんけど)。

 さて、放課後のSHRにて、「男く祭」のコーラスの曲決めが行われました。コーラス委員・指揮者に事前に選んでもらった候補曲(6曲)の中から多数決です。セカオワRPG」やRADWIMPS前前前世」などというキャッチーな曲が入っていたのでそれらが選ばれるのかなぁ、と思っていたら、豈に図らんや、荒井ユーミンの「ひこうき雲」が選ばれてしまいました(それも結構な大差で)。私は、全く口を出していないのに、25年間ファンを続けているアーティストの曲が選ばれるなんて、なんて素敵なんでしょう、と個人的には大喜び。私生活がドタバタしてるので今年は無理かとも思ったのですが、この曲なら歌詞を覚える必要がないから舞台に上がれるわ、とか考えたり。いや、そりゃ、客観的に考えたら、1曲しか歌わないのにレクイエムて、という話なんですけどね。

 さて、昨日、K市の自宅に遂に届いた冷蔵庫。昨日から十分冷やしており、退勤の道すがらにあるディスカウントストアにてその中に詰め込むものをば購入する運び。で、文明的独身生活の先達であるところの英語パイセン女子と。
 英「何入れるつもり? 酒?」
 私「と、水分とアイス。鍋皿が要るものは絶対に入れない! 生活は変えない! 供給に需要を生ませない!」
 英「とかなんとか言いながら、段々食べ物を入れ始めるようになるよ。絶対」
 私「断固拒否!」
 ……を、初回の買い物で示した格好。冷蔵室3段の棚は仕切り2枚のうち1枚を外して、広い方に500mlの缶ビールを15本、狭い方に350mlの缶ビールを15本詰め込みました。側面には、ミネラルウォーターペットボトル、野菜ジュースにお茶に飲むヨーグルトに牛乳に、等々のノンアルコールに加えて、ワイン・日本酒の小瓶を何本か。冷凍室には、阿呆ほどのアイスクリームを詰め込みました。冷蔵庫の料金の半分弱は使ったかも知れません。ビールはキリン・サッポロ・ヱビス、日本酒は「東一」なんですけど、その写メをTwitterにアップしたら、がっ様から「ヱビスと獺祭で揃えたら、ミサトの冷蔵庫だったな」とリプが来ました。そういうところに一手間かけたら「いいね」を荒稼ぎできるんでしょうか。

 さて、間違いなく母君が望んだものとは全く異なった方向性に走った息子が冷蔵庫に毒を詰め込んでいる間、その母君は小倉の「S」病院を気分良く退院なさったとの連絡。職場のAさんが介添えをして下さり、病院からほど近い実家へ戻られたそうです。明日は職場のS氏がまたまたK市へ送迎して下さるのですが、その後はF校親玉大学病院にてMRIを撮ってその後の治療方針を決めます(MRIが明日、主治医の先生の診断は明後日)。脳・肺の転移は既に(身体で)分かっているので、その点に関しては不安はないのですが。

 夜の「もりき」では、母君の入院について話したり、毒々しい冷蔵庫の写真をマスターにお見せして笑ってもらったり。

「10兆万円かけるかー!!」 わけのわからん単位を口にしてるヤツ

 本日は春休みの課題テスト、私は現代文50点分の出題が2限にあります(1限英語、3限数学)。5時入りの職員室でデスクワーク(学級通信作成・印刷など)。始業後は1限監督、2限出題、3限監督(中に、本当はいけないんですけれども2限に終わったテストの採点をガシガシ)。半ドンで生徒は下校、とは言っても部活だとか月末の「男く祭」の準備だとかで学校に残る生徒は多く。担任としては、自分のクラスの生徒が下校する18時まで残っておくのが礼儀(義務に非ず)なのでしょうが、今日は礼儀(義務に非ず)をすっ飛ばして学校を飛び出しました。タクシーでJR、新幹線で小倉、タクシーで「S」病院です。新幹線内では、B組41人のフルネーム(漢字)暗記の「お勉強」など。これ、新学期が始まるまでにやっときたかったんですけど、私生活の後ろに回してしまってて。

 この4月だけで、例えば大学時代の1年分くらいの時間はお会いしているのではないでしょうか。本日の母君は点滴が効いたとのことで顔色良く、空嘔吐きは多少残るものの呼吸も安定。何より固形物が口に出来たことが喜ばしいわけでして、動物はやっぱり食べて寝てナンボだという話。「池ノ都くん(←二人称)も一日一食とか我を張らずに、しっかり食べないと駄目ですよ」と頻りに仰有る母君に、本日18時の約束で自宅に冷蔵庫が届く旨お伝えする親孝行(ん~と、親孝行のために、中にどんなものを入れるつもりなのかはお教えしませんでした)。

 昨日の方とは別の主治医の先生が来てくださり、患者の家族(要するに私)に対して、患者(要するに母君)の病状と、K市大学病院にて今後受けるであろう治療に関する(先生曰く)「予習」を施して頂きました。主治医先生は私より多少上、アシスタントの年若い先生と同じく年若い女性の看護師さんと3人で、みっちり1時間もかけた説明が行われまして。
 主治「今まで2年半、無治療だったということで」
 息子「14年末にこちらで肺の手術を行って頂きました後は、直後にK市の病院で小脳転移のガンマナイフを。16年の5月にも小脳転移再発ということで同じ病院でガンマナイフの施術を。後は、2ヶ月おきの大学病院通いで、血液・CT・MRIと定期的に」
 主治「あぁ、息子さんの方がご記憶がはっきりしておられる。お母様は施術の日時が曖昧で」
 息子「当事者ですし、その施術以外は働くだけの毎日で変化や区切りがない生活でしたものですから」
 主治「成る程」
 母君は、明日この病院を退院した後で徒歩2分の自宅に1泊、翌日K市に移動して(またもや職場のS氏に車で送って頂く!)MRI検査という流れ。
 主治「その後の治療がこうなるであろうということを、予め予習なさっておくと良いかと」
 息子「脳の転移をどうするかということですか?」
 主治「それと、並行して抗癌剤の治療も始まるかと思います」
 息子「肺にも転移が見られると昨日伺いました」
 小脳の転移は、ガンマナイフだけで良いのか、或いは長期入院をして全脳照射が施されるのかどちらかでしょうというお話。全脳と聞くと引きますね、人格が変わったり認知症が進んだり……。
 主治「……ということよりも、脳ですので、例えば手足の麻痺であるとか、そういう後遺症が出る可能性がゼロではないことは知っておいていただかないと」
 患者「私、動けなくなるんですね? 寝たきりみたいな」
 息子「可能性の話ですから」
 患者、食い気味に怖がります。
 息子「外見にも影響が出ますでしょう?」
 主治「えぇ。頭皮にも影響がでますし、頭髪も」
 息子「ですって。そっちの方がちょっとねぇ」
 患者「それは別にいいわ。今更。見た目だけの話でしょう?」
 患者、そっちは気にならないようです。話は、並行して行われる(であろう)抗癌剤治療の方へ。
 息子「こちら(←母君)は、分子標的薬が使えるということを、確か手術をして下さった先生から当時伺った記憶が」
 主治「そうですね。例えば、×××××(←失念)、タラセバというお薬を勧められる可能性が高いでしょう。それで、肺や脳の癌を抑える効果を期待して……」
 ……「福岡タラセバ娘」とかいうど血痰フレーズが出て来たことをおくびにも出さずに。
 息子「確か2年前は、分子標的薬は首から上に関しては効果が薄い、というようなことを主治医の先生に伺った記憶が」
 主治「……あぁ、そうですね。そのようなことが言われたかも知れません。実によく覚えておられますね」
 患者「覚えるのはこの人(←私)の仕事で、治るのが私の仕事なんです」
 患者、瞬時の反応で親ばかを発揮します。
 主治「ですが、肺癌のお薬は、進歩が著しいんです。当時とは少し状況が違うと言えるかも知れません。そのタラセバの効果がいつまで続くのかというのを見ながら、続かなくなったらまた別のお薬をという形で、年単位の治療を……」
 患者「私、一年しか保たないんですか?」
 息子「『単位』を落としてる。『年単位』ね」
 学生だけではなく母親まで単位を落とす程教師に向いてないのか私は。
 息子「こちらの方(←母君)、ここの病院で手術をして頂いた日に、主治医の先生から『これで5年は生きられます』という言葉を頂戴したのを拠り所になさってるんです。多分、病気に関して覚えてお出でなのはこれだけなのでは、と」
 その他、大学病院では免疫系の治療を若しかしたら勧められるかも知れないけれどもそれだけはオススメしないこと、抗癌剤治療に関しては「S」病院でも母君を受け容れて下さる準備があること、等々を丁寧に説明していただきました。

 図々しい言い方ですが、丁寧に説明していただけばいただく程、母君の疲労は(心身共に)溜まっていくわけでして。1時間のお話の後、母君はベッドにお休みになり私は辞去。
 夢の新幹線なら40分弱でK市、自宅着の5分後に家電運送の業者さんから電話が入りました。夢の冷蔵庫の到着です。とは言え、電源を入れてから中が完全に冷えるまでは暫く時間がかかるので、冷蔵庫内に食品飲料を入れるのは明日のお話。
 母君が盛んに「肉を食べなさい」「太りなさい」と仰有っていたので、夜は自宅徒歩1分の焼き鳥屋「K」。串を何本かと名物のお好み焼き鉄板を肴に、ビールと日本酒。