そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人

 本日は、67回生高3の修了式、つまり卒業式を前にした最後の登校日です。これ以降、高3は登校の義務がなく、3週連続で開催されるテスト会への参加を自由に決めれば良いという形。修了式は4限授業の後で行われます。要するに、高3諸氏がF校で授業を受ける最終日ということ。私は文系東大コースの授業があって、扱うのは16年の内田樹反知性主義者たちの肖像」です。

 3時起床の書斎で二次対策授業・自主提出の過去問の添削を。東大・京大・一橋大・神大・九大……。その後、16年東大・内田樹反知性主義者たちの肖像」の板書準備。
 東大入試、15年の池上哲司『傍らにあること』は「自分」とは何か、16年の内田樹は「知性」とは何か、を定義する文章です。「我思故我在」である以上、東大の出題に一貫性があるのならば両者の定義は同じものになるはずで、果たして同じであったことに16年入試を見た私は感動しました。そこには「他者」が関わり、最後にはF校の校是であるところの「和而不同」に至る。授業で説明するのは初めてですが、上手に伝え(まとめ)られるでしょうか。

 1・2限で東大文系授業(ギリギリ時間内に話をまとめられました)、その後添削。自宅往復で母君の昼食を作成。5・6限に修了式と卒業式予行。
 夕方まで添削をした後で帰宅、いつも通り家事をこなして、夜は二日市「月空」に出て読書独酌。

母も見た 旅路のはての

 午前中は自宅で添削。母君の昼食には昨夜文化街入口のファミマで売っていた小さな恵方巻きを出します。味噌汁は鮭・豆腐・白菜で、上に散らす小葱は母君がご担当。後は卒業生からもらった梅干しの蜂蜜漬け、スーパーで買ったおきゅうと、「もりき」でもらったやましお漬け。それだけ作って学校へ行き、アポイントのあった生徒某くんと医学部小論文添削面談。日曜出勤の御礼なのか、某くんから福豆をもらいました(母君の夕食にお出しすることにしました)。14時半に自宅に戻り、外出の支度をお願いしていた母君と一緒に市内ホールにてコンサート。67回生主任地理先生・事務嬢さんが所属するアカペラサークル「P」の単独公演を聴きに行きました。母君と一緒に遊びの外出をするのは久しぶりです。ホール入口の大階段を歩いて上るのは母君には出来かねますので、裏口からエレベーターを使って入場しました(事前に電話でホールに確認を取って)。2時間のコンサートの、後半1時間だけ聴かせてもらったのは母君の体力を考慮して。後半のプログラムには「青い山脈」や「リンゴの唄」といったメジャーな楽曲が多かったので、母君もお喜びでした。「P」は20年の芸術活動が認められて昨年K市から表彰されていますので、パンフレットには市長からのコメントも。帰宅後は、入浴・夕食作成。夜は「もりき」で読書独酌。

まるで自分ひとりだけが

 『99人の壁』に東大クイズ研究会の先輩Sさんが出場なさって100万円を獲得なさったという情報が、TwitterのTLに。ジャンルは「昭和お笑い史」だそうでこれは然もありなん。5期上の方なので直接お目にかかったことは数度しかないのですが、伝え聞いた話や嘗て読ませていただいた文章などから推察するに、他にも取れるジャンルがいくつもありそう。秋田で教鞭、国語教師としての先輩でもあられます。
 Sさんは勿論、15期のTさん(F校の先輩でもあります)、18期(同期)のがっ様・オツカル様がそうでしたが、私が現役会員だったころのTQCには芸能に異様に詳しい人たちがいました。最初は中高6年間寮生活(TVは自宅帰省の土曜夜だけ)のハンデなのかとも考えましたが、直ぐにそうではなく彼らが絶対的に異様なんだと判りました。18期2人に至っては、40歳近い今も現在進行形で常に情報更新をしててやっぱり異様なんです。
 さて、よく考えたら「昭和お笑い史」って面白いワードだな、とTwitterで検索してみたら、Sさんのボタン捌き(早押しボタンの押し方)がプロのものだと指摘する声や、Sさんの古典の授業が楽しかったという元教え子らしき人の声(これは冥利ですね)や、色々と。あと、自分ならブロック出来た(出来なかった)という声が溢れていて、番組が視聴者を巧く乗せている様子が窺えました。

 大島薫『大島薫対談集 贅沢なカラダ 好きなものを着て好きな人を好きになった7人の賢者にボクが聞きたいこと』読了、★★★。最初の対談相手がしみけん氏(クイズ好きのAV男優)だったんですけれども、食便の話とクイズの話を違和感なく同じプレートに載せてきたのには思わず笑ってしまい、それが本書のピークだった。サムソン高橋氏によるゲイコミュニティの終活観とか、安冨歩氏による東大dis(←お家芸)とか、ちょこちょこと面白い箇所は。こういう本を抽象するとついつい「みんなちがって、みんな(どうでも)いい」に落ち着いてしまうから、そこの自重はいるかな、と。

 3時起床、自宅書斎で添削。通常通りに出勤して半ドンの授業(文系難関大学コース)。自宅に往復して母君に昼食をお出しした後、医学部「志望理由書」の添削や面談を。15時に仕事を切り上げて自転車で血痰ネーミングショッピングモール「You Meタウン」へ。書店と食品コーナーとを回ってから16時半に帰宅。入浴、母君の入浴のお手伝い、夕食作成。夜は居酒屋「A」で読書独酌の後、タクシーで文化街に出てライブバー「A」。最近入り浸ってますけど、完全にここのカラオケがストレス発散になってます(おっさんだなぁ)。

ヨーソロー 進路は東へ

 医学部「志望理由書」添削は、一度の往復で済む人も多いですが、そうはならない生徒も居ます。今はそれを3人抱えていて、1人は内容が(昨日の日記に書いた「テンプレ」から逸脱する)面白いものでよく練り直すだけの価値がある文章。最初に書いてきた時にどこがどう読みにくくてどういう方向で書き直す算段をつけたらいいかを詳しく話したら、聞いている彼の目に涙が溢れてきたので焦りました。真面目なんですね。残る2人はテンプレにしてもこれはちょっとというやつで(多分、本人も判ってて「まぁいいか」と持ってきた感じ)、こちらはダメ出しすらせずに草稿を私が目の前で圧縮要約(中身を一切変えずに字数を削ること)して1/3にして、「残りの2/3を自分の来歴と展望とから捻り出す」と指示。面談と推敲立ち合いとだけで3時間超かかって、私、途中から「お前の人生だから!」「お前が舵をとれ!」と長渕剛みたいになってました……とがっ様に話したら「若干『宙船』も入ってるな」と返され。そうか、「宙船」は「Captain Of The Ship」だったのか、と。
 念のために書きますが、中身に手を入れることはしません。「志望理由」は出来不出来問わず内発的なもの以外ありえないので、兼好が高師直にしたみたいな風にはいかない。教員が内容に手を加えることはありません(原理的に無理なのです)。

 2時過ぎに起床、書斎で添削三昧。本日は東大文系コースで03年文系専用問題(篠原資明)を扱うのでその板書準備も。この問題は最難(災難)で、解けない生徒が傷つくという意味で今扱うのは酷ですらあるかもとは思うのですが、解答解説用のプリントに56回生文系Yくんが描いたイラスト(この問題文を解釈した内容を描き起こしたもの)を貼り付けているのでつい配りたくなっちゃうんですね。Yくんは東大文三から現在は「宝酒造」にご勤務。断定するのはあれですが、私見では私が関わった文系の生徒の中で最も国語が出来た人で(勿論、私の読解力・記述力なんて軽く上回っています)、少なくとも20代だった私に手の負える生徒ではありませんでした。彼が描いたイラストには霊験がある、とこちらは断定するのに躊躇いはありません。

 学校では午前中に文系東大コースと、文系難関コースのテスト会と(九大・一橋大・京大)。午後は明日の授業準備と添削と、16時から1時間の会議と。18時に自宅に戻って母君の夕食を作成。お風呂を温めて母君には入っていただきましたが、時間が足りず私は入浴を断念。「もりき」でせめて美味しいものをと思ったらタイミングが悪く鴨コース2組が入っておりマスターに私の料理を作る余裕がない。冷奴だけでビール2本、日本酒1合飲んで帰宅。帰りのスーパーでカップ麺を買って食べました。良くないなぁ。

みんな 毎日 おなじこと話す

 家族が医者で背中に憧れ、若しくは家族または自分が入院した時の献身に感動しその道を意識し始め、高校の進路口座を聴いて自らの志望を確信し、確かな技術に加えて患者に寄り添う人間性を備えた医師を理想像に、将来は地域医療に軸足を置きながら得意の英語を活かせるグローバル社会における医療にも関心を持ち続け、臨床医でありつつ最先端の研究にも注力したい。
 ……以外の「志望理由書」を読ませてくれ、と思いながら添削。どっかにテンプレが転がってるのかってくらいみんな同じで、「ババ抜きだったら最初に捨てられんぞ」とか考えたり。ただ、あれだけの難易度の入試を出す学部に進学しようと思ったら生半可な勉強量では済むはずもなく、青春期の時間はごっそり持って行かれることになります。経験の幅がある程度狭いのは仕方ないですし、医師志望の生徒の親の多くが医師であるのも仕方ない話ではあります。そして、理想の医師像に関しては各大学が出す豪華なパンフレットにでかでかと書かれている以上それから逸脱することは難しいでしょう。要するに、学部の方も「大体みんな同じよう」だというのは解っているはずで、それを苦々しくだとか悲しくだとか思うなら思う方が間違っているんですね。別に何に対する批判でもありませんが、添削は基本的に退屈。但し、特に推薦入試の場合などにおいて稀に素晴らしい文章に出会うことがあって、直近だと63回生のHさんの文章は感動的でした(内容も文体も)。それはコピーを取らせてもらって、未だに医学部志望の生徒と面談をするときに見せます(Hさんとは在学中の直接の交流は多くありませんでしたが、あの一枚に感心して未だに年賀状の応答を続けています)。こういう一枚が読みたくて、大学もババ抜きみたいになると判っていながら「志望理由書」を書かせているのかなぁ、とか考えたり。勿論、佐賀大学の後期のように、自己推薦書に毎回独特のテーマを絡めて書かせるような工夫をしているところもあるのは承知しています。ここの医学部に関して言えば、嘗て「あなたがこれまで見た最も美しいものに絡めた自己紹介(大意)」というテーマで、自宅にある大きな仏壇を開けた時の光について書いてきた生徒の文章がまさに美しいもので、届け出る前から合格するのが目に見えていました(実際に合格しました)。

 さて、その医学部志望理由書について職員室でとある生徒と面談中。その某くんが、翌日に受験するF校親玉大学医学部の「試験開始時刻ですか? えっと……知りません」と言ったのに思わず「はぁ?」と返した声が、後で英語科パイセンから「池ノ都にあの声色を出させたか」と仰った程度には尖っていたそう。だって、他者どころか自分に対する誠意(打算と言っても良いです)すらドブに捨てた18歳って、流石にアウトでしょう。B組の生徒ではなかったですけど、もし自分のクラスの生徒だったら、野原みさえ式に頭グリグリやるか、花井拳骨式にゲンコツ落とすかしてます。

 授業は東大理系コース(2015年の池上哲司)、京大理系はテスト会(本番と同形式で90分)。未明の書斎で、空き時間の職員室で、ひたすら添削をガシガシ。
 17時過ぎに自宅にケアプランナー氏をお招きして話し合い。夜は近所のラーメン屋「M」にてラー飲み読書。

 川西ノブヒロ『バスルームのペペン(5)』読了、★★★★。

残像に口紅を

 坪内祐三は好きな書き手なのですが、先日発売された新刊の中でユーミンに関して書いてた内容は解ってなかった。45周年でテレビに出まくるユーミンに「50周年を待て(大意)」という記述。持ち堪えるか分からない状況の中で、関係者やファンは必死に「残像に口紅を」塗っているのに。

 橋本治は、10分間読書を指定図書にする学年に所属した時に『勉強ができなくても恥ずかしくない』を推したのを始め、様々な授業教材の参考資料として生徒に文章を紹介しまくり、名前を覚えておくように言いました。知的な意味できちんとした人生を歩んでいたら、将来必ず再会しますから、と。
 本人がどこかで書いていたように、『浮上せよと活字は言う』以外の全著作が(内容やスタイルのために)試験にできない文章で書かれており、10年と少し前の京大で同書が出題された以外では、入試や模試で彼の文章を読むことはありません。かく言う私も、『負けない力』で高校入試を作ろうと苦心して結局諦めた口です。
 最後に読んだのは『いとも優雅な意地悪の教本』でこれが2017年の末。膝を打った本は2016年の『いつまでも若いと思うなよ』と2015年の『負けない力』で、評論随想ではなく小説はどうかと言えば10年前の『巡礼』以降の作品を読んでいません。読むべきはたくさん残っていますね。合掌。

 本日は入試作業日曜出勤の代休で生徒も休みなのですが、高3は授業時間確保のために出校して授業、担任団も出勤です。私は、文系難関コースの授業を。母君は水曜恒例のデイケア・リハビリですので、昼食を準備しに自宅に戻る必要がありません。 授業以外で空いている時間は、過去問提出ボックスに続々と出される答案の添削。ところが、63回生・64回生で高3現代文をやっていた時には回っていた添削がどうも巧く回っていない。この学年の生徒の提出量が特別に多いわけではなく、たった3・4年で私の添削体力が著しく落ちたとも考えにくく、一体これは何故のこと……というのは実は考える必要もなく明らかで、九大医学部が「志望理由書」の提出を求めるようになったため。他大学の医学部も含めて、志望理由書の添削を続々と持ってきて、これが大変なのですね。

 さて、こなしきれない添削を14時で一旦中断して年休。先ほどデイケアの日は昼食作成の往復をする必要がないと書いたのですが、今日はそれよりも時間を食うイベントがあって、リハビリステーションにて、ステーション長であるところのお医者様・療法士の方・ケアプランナーさん・母君・家族私、の5人でリハビリプランについて話し合う会議があるのです。タクシーでステーションまで出かけ、到着の15時はちょうどおやつの時間でしたが、フロアの長テーブルで他の利用者さんたちとニコニコと語らう母君の様子をちらと見ることができました。余所行きのお顔だわ。
 定期的に開かれるというその会議(仕事の都合もあり、必ずしも家族が出席皆勤になる必要はないとのこと)は、本日が初回ということもあり母君の病歴から説明してたっぷり1時間。母君に関わってくださるプロであるお三方が、いずれも柔らかい物腰で丁寧にお話を聞いて下さって助かりました。リハビリは、機械を使った運動からゲーム性の高いレクレーション、そして別料金ではありますが脳トレ的なテストもオプションでつけてもらいました。簡単な計算等はともかく、そのオプションには鉛筆を使って「書く」という要素が組み込まれていたからです。

 母君はステーションでお風呂も済ませて来られるので今日は自宅での入浴はなし。そうそう、ステーションでは「連絡帳」を用意してくださっていて、職員の方が毎日の様子を教えて下さいます。今日は「ゲームで500点の優勝、お喜びでした」と。何のゲームなのか500点がどのくらいなのか全く判りませんが、「お喜び」だったらいいではないですか。赤ペンで毎回「長男・辰也」の返事も書きます。東大120字やTwitterで鍛えてますからね、オチのある小文を書くのは苦手ではありません。

 今日は、マンションの総会が19時から(マンションエントランスで)行われ、今期の副理事長として出席。20時終了後に、「もりき」で魚しゃぶの独酌。帰宅後即就寝。明日は3時起きで添削です。

 山口恵以子『真夏の焼きそば 食堂のおばちゃん(5)』読了、★★★。母君のお食事を準備するようになったから、ではりませんが最近食堂・居酒屋系の本を手に取ることが多い。次の小説は蝉川夏哉です。

再出発に戻っておいでよ 花咲く季節がくれば

 ギリギリに出勤して入試関係の秘密のお仕事、その他デスクワーク。本日は中学の合格発表で、入試ちょっと前から動きが活発化していたネット上の某受験情報掲示板(私はちょいちょい見てます)にあるF校スレッドで、高校50回生だと仰る方がお子様の中学合格のお喜びを書き込んで居られました。そうですか、私の3つ後輩が、もうF校の保護者なんですか。何と言いますか、心が凪いで行きますね……。
 終業後に西鉄K駅に向かい、構内の書店と近くの酒屋とを梯子。酒屋では熨斗付きで「鶴齢」の4合瓶、これは本日リニューアルオープンの肉料理「I」へのお祝い。
 自宅で入浴、母君の入浴のお手伝い、夕食作成。その後、肉料理「I」にお祝いを携えて。コースがほぼ半額になる「29(肉の日)」に改装再オープンですから20席は埋め尽くされてるだろうなぁ、と予測していたら果たして満席御礼。但し、カウンター2席が遅い時刻の予約だったので制限時間付き(っつっても2時間以上ありました)で座らせてもらいました。読書独酌。宿命でしょうが、単品の値段が少しずつ上がってたり、サイズが小さくなってたりしてます。原価を考えたら仕方がない、と料理長くん(マスターとは別人)が頭を掻いてました。

さぁこれからご陽気に

 ギリギリに出勤して、入試に関する秘密のお仕事を終日。昼食は職員室にちょっと高級な店屋物が届いて全員で「いただきます」をする恒例行事で、こういうのを自粛しようという風潮もあるやも知れませんが私は重視したく、予算の関係で数年前から補助がなくなり自弁になったもののそれでも続けるという決定を下した職員室に敬意を表します。入試期間3日目にして初めて業務以外のことをする時間的余裕が出来たので、添削や授業・テスト会準備なども少々。今日は、八木沢敬『「正しい」を分析する』、野矢茂樹『心という難問 空間・身体・意味』、松浦寿輝『晴天有月 エセー』、塩野谷祐一『エッセー 正・徳・善 経済を「投企」する』、鬼界彰夫『生き方と哲学』をチョキチョキ、ペタペタ。本のコピーを鋏で切って(チョキ)コピー用紙に糊付けする(ペタ)作業、嘗てはTwitterで専用アカウントを作って記録していました(遠い目)。

 17時前に、母君をお預けしていた「N病院」にタクシーでお迎え。いくつかの書類を書いて料金を支払い(介護施設ショートステイよりはずっと高いですね)、自宅にお連れします。お風呂は病院で入ったということで、直ぐに夕食を準備してお出しして、今日は早めに寝ていただきました。母君曰く、病院ということで安心感がある(母君は「怖いことがない」という表現をされました)、食事は美味しくない(病院ですし、と言ったら時代遅れなのかな)、一応「患者」なのでベッドから起き出すのにちょっと罪悪感がある(積極的に動いていただききたいところですが)、とのこと。

 何だ母君が帰ってきて一人じゃなくなったっつっても結局飲みに行くんじゃん、ということで事務嬢さんとの待ち合わせは嬢が一度行ってみたいと仰っていたK市の新星「I」。明治通り沿いに出来た炭火焼き、超ベテラン体育先生も大絶賛の味・コスパです。予約の10分前に入店してお通しと単品の地鶏サラダを注文し、ジャストのタイミングで到着の事務嬢さんと乾杯。ここの生ビールは「香るエール」で、ちょっとお洒落がお好きな方には喜ばれるチョイス。ここ以外で生ビールとしてこれを出すのは居酒屋「T」に串焼き「T」、K市では他にちょっと思いつきません。長々と書きましたが、私はちょっとお洒落に全く興味がないのでキリンの瓶ビール。私はキリン派で、単に「クラシックラガー」と「一番搾り」、そして特に「秋味」の味が好きだというのが理由なのですが、人から何故と聞かれたら「母方の祖父の名前が『麒麟』だから」と答えるようにしています。誰が名付けた明治のキラキラネーム、祖父は自分の名前を何時から漢字で書けるようになったのでしょうか。その次女である母君の名前は極々一般的な名前なんですが。
 鶏刺し盛、地鶏焼きを中心にその他幾つかおつまみ。嬢はハイボール、私はビールの後で日本酒。〆の炭水化物は満腹で諦め、店を出たのは20時過ぎで丁度ライブバー「A」が開く時刻。2人なので「F校カラオケ倶楽部」番外編、残るメンバー1名を加えたのが正式な例会なのですが、最近は正式な例会がご無沙汰で番外編ばっかりやってます。残る1名が学年主任に就いて以降、ちょっとお誘いするのが躊躇われるようになっちゃってねぇ。

あの子を見受けておくんなまし 酔いどれ張り子の物語

 5時半起床で7時過ぎに校門をくぐる。昨日と同じ動きですが、敷地内の引率者(塾関係者・保護者)の数が中学入試よりは少ないのが高校入試の毎年の傾向です。今日も朝食作成と洗い物とがなく朝はゆったり。朝夕の薬は看護師の方に管理をお願いしているので飲み忘れることは絶対にないのですが、一応、8時と18時とに電話をして母君に確認を取るようにはしています。

 で、高校入試に関しても「1限目の国語の監督をする」「それ以降は深夜まで採点をする」だけです。少し違うところと言えば、作文の採点がないので「深夜まで」というのは多少大袈裟かなぁ、というところと、中学入試と違い高校入試では塾が国語の解答速報を作らない(数学と英語だけだったかな)のでその分楽しみが減る、というところの2点ですね。昨夜「もりき」から自宅に帰る途中で、飲み直し用の缶ビールと一緒にお茶・カフェラテのパックを買っており、電子ポッドの横に設置。昨日同様、鹿児島県にある九州で一番知名度の高い進学校と受験日が同じということで、別日程だった昨年よりも受験者は減っています。
 夜まで採点。高校入試国語の出典は、中野好夫「言葉の魔術」、青木奈緒「尾ひれのついた紹介」、井原西鶴『日本永代蔵』でした(これを井原西鶴著とするのは「便宜上」になるのかな。森銑三翁に叱られてしまうやも……)。

 深夜の有志打ち上げは10人、心地よい疲れと酔いに任せて参加者の口調は滑らか。でも、「全員野球」の後ですから、ネガティブな話題はほぼ皆無で、あらこのメンバーってこんなに穏やかな性格の人たちだったかしら、なんて。今年度新任の或る先生をお誘いする時には、あたかも恒例の正式な行事であるかのような雰囲気を匂わせつつ、私「まぁようは騙くらかしたんですけれども」 新「えっ、そうなんですか!?」

 健康的に(っつーか時間的にか)1軒で解散。飲み会の途中、携帯にライブバー「A」のマスターからショートメールで本日のライブへのお誘いを受けていたので、打ち上げに差し入れでも、とお店へ(途中でシャンパンを購入して)。したらお店はシャッターで、どうやら別のライブハウスでのイベントだった様子。電話したら打ち上げ会場はお店から徒歩圏内にあったので、差し入れとご挨拶だけとを済ませてタクシーで帰宅しました。

 健康睡眠。

窓の外には のぞくように 傾いた月

 本日、F中入試。5時半起床でゆったりと入浴。母君が居らず、朝食を作る(鍋釜を持つ)必要がありません。入試当日の開門は7時ですので、その少し後に正門を潜れる時間に自宅を出て、徒歩出勤。正門では、臨時で増員された警備員さんたちが誘導を。門を潜ると、校舎までの直線坂道に「等間隔の法則」で塾の腕章をつけた方がずらり並んでおり、歩道を歩く受験生を激励するシステムになっている様子。私は激励される謂れがありませんので、車道の端っこを身をかがめて歩きました。

 入試業務については細かいことを書けませんが、国語科の私の場合、ざっくりと言えば「1限目の国語の監督をする」「それ以降は深夜まで採点をする」ということだけです。この採点、構内某室に教員が籠ってまさに「全員野球」、広い部屋は閉め切りですから空気清浄機がいくつも置かれますし、脳が疲れるのでお菓子と蜜柑とがたくさん置かれています。電子ポットは2台で、ティーバッグのお茶とインスタントのコーヒーが準備されているのですが、毎年とても足りるもんじゃないという分量しか置かれていないので、スティック型のカフェラテとティーバッグの紅茶とを差し入れました(保健室の先生も、ドリップオンの珈琲の差し入れをして下さっています)。私は兎に角この仕事が楽しくてたまらないので、周りの環境にちょっと貢献するのも全て私のためです。

 どういう基準なのかは知りません(知っていても書けませんし、本当は知っているのかどうかも書けません)が、F中・高の入試は、鹿児島県にある(九州で一番知名度の高い)某進学校と同日受験日になったりならなかったりするみたいです。で、昨年度は別日程だったんですが、今年は同日受験日。で、そのために何が起こるのかというと、受験生が激減することになります。受験層がどうだとかそんなこた知りませんけれども、ただ一つ間違いなく言えるのは「これで採点はかなり楽になる!」ということ。
 お前たった今「私は兎に角この仕事が楽しくてたまらない」とかほざいたばっかりやんけ、と仰る向きもあるやもしれませんが、あのね、作文の採点(毎年200字作文か聞き取りテストかが出題される中学国語、今年は200字作文でした)、深夜までかかるのよ。睡眠挟んで採点基準がぶれるようなことはあってはなりませんから、入試の採点は当然のこと全員分が終わるまで帰れないのよ。そしたら、1限後すぐに始まったはずの作文の採点が、算数が終わり社会が終わり理科が終わって「作文は他所の科じゃあ手伝えませんもんね、ごめ~んあっさっせ~」とか言いながら他の科のお先生方が(それにしても通常の退勤時刻からしたら随分と遅い時刻ではありますが)帰りやがった後になっても終わりゃしないのよ。「国語科の皆様で」とか差し入れられたコンビニおにぎりを採点後に食べようと思ったら賞味期限が2時間前に切れてて「差し入れのおにぎりぐらい当日に買えやっ!」ってなったこともあるのよ(深夜業務、あの淡白な国語科一同が多少気が立ったりするような異常事態を引き起こしたりも)。
 だから、受験生が減って「もしかしたら、日付跨がずに帰れるかも知れない!」となったら、それは喜んでもバチは当たらないでしょう?

 さて、ガシガシ採点をしながら。そろそろ最終時限が終了して受験生が帰る時刻になる頃、徐に数学科が採点しているシマに近づき、最若手中1担任先生に声をかける。
 私「ねぇ、ピンク~」
 数「だから『ピンク』って何ですか今僕ピンク着てないでしょ青いでしょピンクはこないだの山登りの時だけだったでしょ」
 私「分かった分かった。でね、そろそろ受験生が帰るんだよね」
 数「あ、もうそんな時間ですか? じゃあ行かなきゃ」
 私「うむ、こういうのは若手の仕事であるからな。では参ろうか」
 ここ数年、ずっと2人で行ってるんですけれども、4教科受験を終えた受験生が帰宅しようと受験会場を出たら、大手塾(Z塾・E塾)が午前中に試験が行われた国語・数学の解答速報を配布してるんですよ(早業!)。それを今採点している最中の教員が貰う! 毎年「すいません、教員なんですが、いただけますか?」と図々しいお願いをしては失笑を買ってる(或いは気持ち悪がられてる)んですけれども、どんだけみっともなくてもやっぱり解答速報っつーのは見てみたいわけですよ。今年は、チューターだか何だかでF校卒業生(数学先生の教え子)が配布していたので、やり取りがスムーズでした。Z塾(私が小学校の時に通った塾)の解答速報で、中学国語に関して「全体的に力の差のつく良問であったと言えよう」と、畏れ多くも有難いお言葉を頂戴し、泣き土下座で感謝。
 そうそう、みんなで解答速報を見ながらあれやこれや言っていた最中に、割と大きな揺れを感じました。熊本震源の大きな地震です。試験中ではなかったですが、これを受けて明日の高校入試では(そして勿論来年以降の入試でも)受験生への注意事項が一つ付け加わることになります。

 さて、今年度の中学入試終了。国語の出典は、北杜夫『どくとるマンボウ昆虫記』、岡野薫子「良平と鉄棒」、吉田夏彦『なぜと問うのはなぜだろう』。200字作文は「『砂時計』がどういうものかを知らない人に、『砂時計』がどういうものかを一五〇字以上二〇〇字以内で説明しなさい」という問題でした。

 最後に残ったのは国語科(と、管理職の先生方)。時分時を大きく過ぎた夜道を国語科先輩先生の車で送って戴き、「もりき」で軽く独酌、無人のリビングで軽く飲み直し、の後で就寝。