一体全体何を信じればいい?

 67回生の高1Aで一年間を過ごしてから東京の私立大学に転向、そこから東大に進学するSさんが職員室にご挨拶に来られました。彼女はF高67回生から東大に現役合格をしたお姉様の教材一式を受け継いで、ほぼ完全に独学で合格したという猛者でいらっしゃいます。
 九州の進学校の人間からしたら、学校に通って勉強してたならそれは「独学」ではないだろうという感想になりますが、東京の有名進学校が受験勉強を外部(塾予備校)に丸々委託している(要するに都会はそれだけ教育環境が充実している)のは有名な話。実際に、Sさんが通った高校(東大合格者多数)も純粋に高校の単元を行うだけで受験的な教科指導はほぼ一切なしだと言い切っていい状態だったそうです。オール自前のF校とは全く違いますね。ただ、私立だからなのかどうか東大合格者の数は気にするらしく、Sさん曰く「受けさせるカリスマ」みたいな先生が居るそうで。
 私「何その『受けさせるカリスマ』ってメチャメチャ面白いじゃん。えっと、学年集会の魔術師みたいな?」
 S「そうです。政経の先生なんですけど、『数学5点で合格した人が居る』みたいな例外を並べて上手に誘導を」
 地「ネ●ミ講じゃんか!」
 そんなSさんは東大合格が「高校の手柄みたいになってるのが嫌」だと仰る。でも、そこで高校の単元をきちんと学んで基礎を作ったのは事実ですし、高校を卒業したからこそ大学進学の権利が与えられるわけですから、と宥めてみたり。因みに、現代文に関しては私が郵送で添削のやり取りをしましたから、F高の手柄は少しはあるんじゃない? と。口幅ったいですけれども、オール自前の田舎進学校の教師は、「受けさせるカリスマ」かどうかは脇において「受からせるカリスマ」を目指さないといけませんからねぇ(それにしたって現代文の教員なんてやっぱりトリックスターなんですけどね)。

 本日は職員会議、からの学年会議。この「学年」は勿論新年度の学年で、これを書いているのは新年度が始まった4月1日だから良いと思いますが、私は高校70回生高1の副担任を務めることになっています(高1副担任、兼、進路指導主任)。
 夜は、その新高1担任団が集まって決起集会を。今日の会は私が幹事ではなく主任体育先生(タメ年)が御自ら予約をとって下さったイタリアン。初めて訪れる店でしたが美味しかった。二次会は私が先導して小料理屋「A」でしっとり。

出会いと別れを 繰り返す日々の中で

 5時起床、入浴後に母君の朝食を作成。そこで、母君が尿に血が混じり出したと仰ったので、本日仕事の合間に自宅徒歩3分(母君と一緒なら12分)のところにある「Y泌尿器科」に行くことにしました。
 今日から職場は会議だらけ。この日記を書いているのは4月1日で新年度が始まっているので書きますが、新年度は進路指導部主任を担当することになりました(昨日買ったPCは進路指導室の自分の机に設置します)。で、本日は新年度の進路指導部が年度計画を立てる会議です。1時間ちょっと。
 会議後に自宅に戻り、母君と「Y泌尿器科」を訪れました。検査の結果は膀胱炎だということで、朝昼晩1錠ずつ飲むお薬をいただきました。腹部を手持ちマッサージ器みたいなのでゴロゴロやったら内臓の様子が見える検査(膀胱の中に尿が溜まっているかどうか判るんですね)、あれ、私もこないだ受けたんですけど、ひたすらくすぐったくて困っちゃうんですよね。母君はそうでもないようでしたが。自宅に戻ってから母君に昼食を供してから再び学校へ。
 進路指導室の机にPCを設置する作業。ネットにつないだり、「一太郎」その他のソフトをインストールしたり(未だに「一太郎」? という向きもありましょうが、国語科のデフォルトはこれなんです)、コピー機と繋げたり、割と時間がかかりました。PCの初期設定に関しては、「ヤマダ電機」の売り場担当の人が「声に出して指示をしてくれますから、ひたすら従って下さい!」と強調していたのに完全に従いました。

 本日の佐賀大学医学部後期試験の発表を以て、F高67回生に関する今年の合格発表が全て終了しました。202人の卒業生の内、東大が36人、京大が8人、国立大学医学部が37人、で計81人という「異常」値。春から大学生になる人数も120人を確実に超え、我らB組からも現在25人が大学生確定(プラス、私大保留中の人もいます)ということで担任としては有難いと思える結果。
 午後の職員室では、浪人生予備軍の相談に乗ったり、大学生予備軍と駄弁ったり。長話の結果帰宅が少し遅れ、お風呂・夕食がいつもより30分遅い18時、18時半、私が飲みに出たのが19時。

遠ざけてみたり 見失ってしまったり

 ちょっと前の日記に「男く祭」の「体験授業」が消えるの? と書いたんですけれども、普通に行われるそうなので当該の部分を削除。資料が「公開授業」という名前になっており気がつかなかったというアホなミスでした。恥。

 祭日。午前中は書斎で、午後は学校に出て少し仕事。自転車で「岩田屋」(西鉄K駅前の岩田屋、2館あるうちの「新館」が今月閉店です)に向かい、地下で食料品を購入。

 新年度に自分のパソコンが必要になる役職に就くよう命じられたので、帰宅後にタクシーでヤマダ電機に行き新品を購入しました(勿論、支給など夢のまた夢です)。デスクトップ型が94824円、海外(アメリカだったかな)の会社の製品です。先日自宅用のPCを買ったばかりの人間ですからね、もう「あれ、このパソコン、箱(本体)は別売りなんですか?」みたいな浦島発言はしません。でも、「一太郎」などのソフトに「アカデミック版」なるものがあることは全然知らなくて、無知も甚だしいと後で職場の人に言われました。あと、購入したとtwitterで呟いたら56回生Oくんから「家電を買うなら俺に言えっつっとったろーが!」と叱られてしまいました。そういやパイプ持ちさんだったですね、さーせん。
 今日のヤマダ電機は新生活応援のセール真っ最中だったそうなのですが、入り口にずらり並んだ幟に「絶対に負けられないSALEがそこにはある」という形容矛盾も甚だしいコピーが対処されており、見た瞬間踵を返しそうになったんですが、この高圧的な(?)物言いに反して実際には2000円も値引きしてくれました。ツンデレなんですかね、っつかコピー考えた人の周りにつっこむ誰かはいなかったんですかね。

 夜は「もりき」。年度の終わりは飲み会イベント続きなので、我が家の台所と言っても過言ではないこのお店に訪れる頻度が著しく低下します。 

行かないでと 泣いて追いすがって

 63回生Iさんは九医に現役合格、2月26日の前期試験終了翌朝には職員室の数学先生に後期試験用の添削答案を出しに来たという猛者で、職員室口を揃えて「そら、通る」 そのIさん、合格発表後の職員室訪問の時に、地元熊本からお土産のシュークリーム(某有名店のもの)を携えて来てくれたのですが、その数が……何と50個! 職員室口を揃えて「そら、通る」の根性者でした。
 その、弟くん。高1Aで私が担任をした後、理系Eクラスで2年間頑張って、昨日の合格発表で見事医学部に合格、という弟Iくんが本日の職員室訪問にシュークリームを……やっぱり50個! 出勤していた職員のほぼ全員に行き渡りました。根性者の姉弟です(実は、65回生にもご兄弟がいらして、こちらも医学部、でもってシュークリームは3人合わせて150個!)。

 本日は中1・中2と高1・高2とが午前中に修了式。中3は午後に卒業式、その後で学年行事として「F高校生になるために」という説明会が行われます。「F高校生に~」の進行を務められるのは現中3学年主任(多分そのまま高1学年主任になるはず)の体育先生で、彼は私と同じ1980年生まれの出世頭でいらっしゃいます。その体育先生から「俺のべしゃりを拝聴しに来いや」と命じられ(←実際にはこんな人ではありません)、私はへえこらと体育館へ出向き後ろの方で90分間ひたすら行事を見学しました。
 堂々の貫禄で司会進行を努めるタメ年体育先生のお姿を仰ぎながら、「そう言えば職員室にいるタメ年5人衆、体育・同窓数学・世界史・英語・国語私という男5人の境遇を考えるに、私以外の全員が奥様と可愛らしいお子様(方)とのお幸せなご家庭を築かれており、且つ担任・部主任・学年主任という形で着々とキャリアをアップさせている働き盛りであるのに対し、勤続年数だけはいちばん長いはずの私一人だけが『はい授業はじめま~す』と言ったら生徒に『授業中に私語をするな』(←56回生)と返され『たまには日直が黒板を消してもよくない?』と言ったら『お前はウンコした後で人にケツを拭かせるか?』(←63回生)と返されるような土下座接客を強いられつつ出世レースから完全に脱落し、というか始めからレースに加えてもらえすらしないまま15年間ちまちまと働き続けて来たのだなぁ」と、歳月とそれがもたらした帰結とを噛みしめつつ、「そうだ同窓数学は我々F校47回生の生徒会長だったではないか学年カーストの頂点だったではないか既にあの時に勝負はついていたではないかヤツが頂上に立って民草を睥睨していたあのピラミッドを築くべく鞭打たれながらレンガ運んだのは我々だったではないか」とか懐かしい時代にしみじみと思いを馳せていたら、90分の行事なんてあっという間にやり過ごせます。

 夜はその中3担任団のお疲れ様会があったのですが、主任体育先生から「俺のビールを注ぎに来いや」と命じられ(←繰り返しますが、実際にはこんな人ではありません)、へえこらと野菜料理「B」に出向き端っこのほうで150分ひたすら宴会を見学しました。二日振りの「B」ですがここの会場を押さえたのも私で、一昨日主任体育先生から「俺らの慰労会会場を押さえろや」と命じられ(←くどいですが、実際にはこんな人ではありません)、「年度末の祭日前日にやる10人単位の宴会予約が実施2日前なんかに取れるわけねーだろがっ!」などと言い返す権力や度胸やがあるはずもなく、へえこらと20軒くらい電話したんですけれども果たして全滅(どこも予約満席)で、一昨日63回生Iくんと「B」に行ったときにマスターに直接交渉して何とか席を空けてもらったという次第(予約済みテーブルを鮮やかに15ゲームして下さったマスターに感謝。我々が入ったことで「B」は満席になりました)。で、今夜の私はビールを注ぎに来たのだからと近くの座席3人に瓶ビールを注いで注いだ端からご返杯というやり取りを繰り返していたら当たり前ですがこちらは3人分のビールを飲むことになるわけで、久しぶりに1軒目でガッツリ酒にやられました(二次会幹事すら出来ぬまま逃げ帰るようにタクシー帰還)。

出て来たよ どこのどいつが

 本日から国公立後期試験の合格発表。今日は、いきなり産業医大(厳密にはここは「後期」ではなく私大ですが)に現役4人が合格する快挙。我らB組からも1人合格が出て、これで春から大学生になる生徒が41人中24人に。半分が大学生になれば素晴らしいと思っていたのですが、後期の結果如何では6割の大台という夢のような結果すらあるかも知れません。

 夜は、飲み友達Hさんに誘っていただき、K市の商工会が主催する「K市の新酒を楽しむ会」。地元16の蔵元が集まって新酒の味見(要するに飲み放題)。ホテル宴会場に300人超の人々(しかも商工会という太いパイプ)が集まる社交の場、夏の選挙を控えた時節柄ですので、会場には県知事・市長・議員が来賓にぞろぞろです。その中でも第一等の立場にあられる来賓、福岡県酒造組合組合長さんは、61回生Eくんパパ(「菊美人」酒蔵)でいらっしゃいまして。酔って忘れてしまわないうちにと、開会直後にご挨拶に上がりましたら、めっちゃフレンドリーにハグされて並んで写メをとられてそれをEくんに送信されて、お隣に座っていた県知事・市長から馬の骨を見る目をされました。うん、その目、慣れてる。

今、僕たちにできる事

 折坂悠太、CDショップ大賞に選ばれとるがな。今年から「赤」「青」2作が選出されるそうで、エバーグリーンな「赤」は星野源、新人激推しの「青」が折坂悠太だということ。ここまで来てるならカラ鉄にアルバム『平成』の全曲を入れてくれてもいいじゃんねぇ、と思って検索してみたら、タイトルチューンの「平成」は新しく加わっていました。これで、練習しなくてもオツカル様カラオケで最新曲(1年以内に発表された曲)が1曲歌えます。
 現在のところ次のカラオケでは、亡くなった森山加代子(←大好き)を追悼することと、「平成」を歌うこととが決定。2曲以外ノープランだとさすがにキツいかなぁ。

 学校では一日デスクワーク。150ページ超の学年文集の校正をず~っとやっていると、目が痛くなってきますね。午後は(生徒は半ドン下校で)長めの職員会議。

 夕方に帰宅して入浴。私が入った後で母君が入られる(これは母君のご希望)なのですが、この順番だと、私が上がる時に浴室の濡れた床を全部拭き上げる(転倒防止のため)必要があります。大した労力ではありませんが。母君がお風呂に入られている間に夕食を作って、お風呂上がりに薬と一緒にお出ししたら、今日は「出張」と偽って(方便です)軽やかに飲み会に。

 63回生我らB組Iくん(Iちゃん、って呼んだ方がしっくり)とのサシ飲みは、先方のご希望に従って野菜料理「B」。いつもいつもここで良いのかと聞くと、開発はしたいけれど椎茸の誘惑には逆らえないというお返事。ここで出てくる椎茸のソテーは、確かに肉か鮑かという美味なのですね。そんなにたくさんお酒を召し上がる方ではないので、「B」を出た後は「ミスド」で珈琲を飲んでお別れしました。夜遅くのミスドも早朝と同じく高齢者の社交場。朝と違うのは、中に泥酔して店員さんに宥められている方が混じっていることです。
 Iくんとのトーク、先ずは留年話。数年前に一留が決まってそれをご家族に言い出せず、一年経って「話した?」「まだ」、二年経って「話した?」「まだ」、今回の帰省ではとうとう観念した(というかもう隠しきれる時期ではなくなった)そうで、「お母さん、怒った?」「いや、静かに悲しんでました」「うわぁ、いちばんキツいやつだ」
 隠しきれる時期ではなくなったのは就活などが理由に挙げられるのですが、その就活に関して、Iくんは放送畑を考えてお出でで、今夜の話の中心はIくんがバリバリとADバイトをしている深夜ラジオの話題でした。バイト先は現場も現場だそうで、固有名は伏せますがあんな芸能人やあんな芸能人と直に触れたという話は私のごときオッサンでもみーちゃんはーちゃんな心が震えます。深夜ラジオ(の現場)が如何に楽しいか、珍しく夢中で話すその様子が私には楽しい。
 そういえば、「ミスド」入店前、店の近くで国籍の解らない外国の女性(大学への留学生かな、という年格好)から何かの寄付を求められ、間、髪を入れずのスピードで1000円を渡しました(握手と祝福の言葉とを貰いました)。軽く酔ってたのもあり別段何にも考えずに出したんですが、Iくんに「ああいうの、払うタイプ?」と聞かれた質問ははぐらかしました。こういうのは二次会の話題としてちっとも面白くない。それよりも深夜ラジオ。
 そういえば、Iくんはバイト掛け持ちしてることになるのか。偉いな。もう一つのバイト先の食堂には行きたい行きたいと言ってまだ行けてないので、黄金週間こそ! と誓い合ってからお別れしました。

 健康睡眠。明日から、後期入試の合格発表が始まります。

幾千の泡がきらめいて 昇り続けて

 オツカル様は時々私の知らない若者語を教えてくれることがあります。ちょっと前(オッサンの時間感覚ですよ)には、「かわいいはきゃわたん」「つらいはつらたん」という一読首を捻るメッセージを送ってきて、私が「何? 大丈夫?」と返したら、「イントネーションは『パピヨン』と同じ」というメッセージで言葉のドッジボール。それももう死語になった先日、これは私でも「OK」の意味だと分かるんですけれどもメッセージに「おけまる水産」という語が。何回か使ってきたんですけれども、オツカル様一流の言い回しなのか、それとも流行ってるのかが分かんないんですよね。ネットの検索は信用おけないし。そこで元B組の生徒に「『おけまる水産』って、流行ってる言葉なの?」と聞いたら、「あぁ、軽度のオタクが使ってる印象です」ですって。困った、オツカル様は重度のオタクなのに。

 今日は学校に行かない「安息日」と決め、全ての作業は自宅の書斎で行うことにしました。その「作業」の中には、日記の更新やテスト問題の作成などが含まれています。「安息日」にも仕事はしますし、「休肝日」にもお酒は飲みます。あくまで相対的な話ですから。

 近所の書店で買ってきた雑誌で、東大・京大の受験特集記事を読みます。私にはF校が東大現役36人(浪人と合わせて50人)と躍進した理由は分かりませんが(当該の学年を3年間指導しても)、外部で言われるであろう「東大シフト」は端的に違うということは分かっています(先日も書きました)。東大を受験する人数は年々減少しています。中学女子共学化が理由という分析には言葉を返せません。合格者は激増しましたがそれは女子激増によるものではないということははっきり言えるのですが、男子激増の理由に共学化が影響しているかどうかは解らないからです。

 夜は、「もりき」で常連10人による日本酒持ち寄りの会。普段店では出さないような銘柄の四合瓶を持ち寄って味見をしながらお喋りするという定例のイベント。私は、B組Mくんのお母様から頂戴したとある銘柄を持って行きました。他の参加者が持ってきた中で圧倒的に好きだったのはやっぱり「鳳凰美田」で、ワイン酵母のしぼりたて(まだ酸が残っている)を一口飲んで「あっ!」と叫んだら提供者のH先生にドヤ顔をされてしまいました。いや、でも、参った。

なりふりを構いもせず 前へ向くように出来ている

 月末からの上京旅行の大まかな日程が固まりつつあります。
 31日(日)……夜・渋谷「かつ吉」(67回生)
 1日(月)……昼・渋谷「ラ・ブランシュ」(63回生)/夜・池袋「酒菜家」(63回生)
 2日(火)……昼~夜・オツカル様とデート!
 3日(水)……夜・五反田「デビルクラフト」(56回生)
 4日(木)……昼・渋谷「SANS DECONNER」(67回生)
 67回生は卒業ほやほやの未成年ですからお酒は飲めません(私は飲むけれども!)。というか、上は56回生から下は67回生までほぼ一回りの年の差。あら、私、中堅なのかしら、ってなりますね。「ラ・ブランシュ」と「デビルクラフト」の2店舗は初訪問です。

 職員室には春から東大文ⅢのYさんが凱旋ご挨拶で少しお喋りを。彼女は高1A外進組で私が担任を務め、2~3年生は文系A組で頑張っておられた方。お兄様は64回生でこちらは理系から東大。兄・妹で両方東大というのはF校でも珍しいんじゃないかな(65回生のお姉様、67回生の弟くんが両方東大というペアも居ますね)。

 夜は、卒業ほやほやB組Kくん(春から慶應)と二日市「月空」で焼き鳥を食べてきました。Kくんはノンアルコールカクテル(おっさんからしたらこれで焼き鳥が食えるとは信じられない味蕾)で、私はビールから焼酎(高校生からしたら焼き鳥で飲んだくれるなんて信じたくない未来)。ちょっと前まで担任を務めていた卒業生氏から、67回生の中学時代のお話を聞いたり、これからのことを話したり。当たり前ですが初めて大学生になって、初めて東京で独り暮らしをして、という環境激変を前に緊張至極の状態ですね。2時間ほど喋ってお別れ。
 高2Bの3分間スピーチで「医学部進学した兄がチャラい件」というテーマを選んだKくんは、来週そのお兄様のプロデュースで初めて髪を染めるそうです。「LINEって画像送れるっつってたよね、染めたら写真送ってよ」と軽い気持ちで言ったら、後日本当に送ってくれました。真面目か。

 電車でK氏に戻った後、文化街の「A」で軽く飲み直してから帰宅……の前に〆のうどんまで食ってデブ活。
 因みにこの先、17日(「もりき」)・18日(Hさん)・19日(63回生Iくん)・20日(職員室)・23日(職員室)・27日(職員室~58回生)・28日(63回生保護者)・29日(58回生)、と飲み会の予定が入っていて、30日がユーミンのライブ、31日からが4泊5日の上京旅行です。幸せですけど、倒れるかも。

よくよく通って くれました 唄ってよ 騒いでよ

 午前中に年休を取って母君の月一健診のために「S病院」へ。レントゲンと採血の結果は異常(悪化)なしで投薬治療継続。というわけで、病院を出た後、近くのギャラリーで開催中の絵画教室発表会を一緒に観に行くことに。「近くの」と言っても、私なら歩いて10分の距離を母君に歩いていただくわけにはいかないので、ワンメーターのタクシー移動です。
 ギャラリーには、母君の先生であるところの、美術先生の奥様がいらっしゃいました。子どもの部・高齢の部、という二本立てで、美術教師に通っておられる方々の作品が所狭しと並べられています。母君が描くのは葉書大の紙に果物や風物やというもので、先生方が気を遣って下さり、わざわざ会場の一角に個人のスペースを作って下さっていました。私のスマホで記念写真(母君と私と、母君の絵と)を撮っていただきましたが、母君のお写真を撮ったのは随分前の山口バスツアーの時以来ですね(この先、私が進んでお写真を撮ろうとすることはないでしょうから、記念になりました)。
 タクシーで自宅に戻り、近くのお惣菜屋さんで買い物(毎日通ってすっかり常連です)。その後、母君に昼食をお出ししてから出勤。

 学校で卒業生と挨拶。進学していく生徒にはなむけの言葉を贈ることもありますし、もう一年頑張る生徒に予備校のことや(必要だという生徒には)今後の添削のことをアドバイスすることもあります。春から予備校の生徒に私から言うことといえば3月1日の繰り返し、「この3月の勉強をサボるな」「予備校の講義を切るな」「大学生との関係を続けるな」の3本です。因みに、予備校生に対する添削は、現代文と漢文とならストックがあるので郵送往復で受け付けています。先ず4月から暫く予備校に通ってリズムをつかんで、必要な場合は国語(現代文・漢文の二次)にどのくらいの労力・時間を割けるのかを自分なりに考えてから、学校に電話をして私を呼び出して下さい、と生徒には伝えます。
 合格して大学に進学していく何人かの生徒(主に文系)には、餞別に本を差し上げたり。そのために、上田三四二『無為について』・霜山徳爾『人間の限界』・内田樹『ためらいの倫理学』・斎藤緑雨『緑雨警語』・別宮貞徳『「あそび」の哲学』、等々の文庫・新書本を何冊もストックしています。でも、なんだかこのラインナップ、タイトルだけ見たら希望とやる気とに充ちた大学生に差し出して大丈夫か? ってなりそうですね。本には「○○學兄(○○讃)、虎視淡々、日常性のEASY!」のメッセージを添えて。行ってらっしゃい。

 午後はちょっと早めに学校に出て、たまに行きたくなる銭湯「Y」へ。バイパス沿いの憩いの場、露天風呂や2種類のサウナやとなかなかアトラクティブなんです。諸々合わせて1時間超の入浴タイム。
 自宅に戻って母君の入浴をお手伝い、夕食をお出しした後、肉料理「I」で読書独酌。二週間後の29日に、58回生Fくんから誘われて同回生Sくんも合わせた3人で飲みに行くんですが、会場はこの「I」を押さえています。29日は「にくの日」ということで特別コースが安く提供されるんですね。通い詰めているお店ですが、これを利用するのは初めてで楽しみ。あと、Sくんは66回生に弟くんが居て、今年一浪で東大に合格してくれたんですけれども(何度か添削の往復をしたり電話で話したりしてました)、お兄様との29日の約束は合格発表の前に取り付けていましたから、合格発表までかなり緊張していました(合格不合格で29日の雰囲気はガラッと変わるぞ、と)。

真直な線を 引いてごらん 真直な線なんて

 「鉛筆なんて持たせるのは初めてですよ」と奥様ダブルダッチ体育先生、「そんなことしたら家の壁が終わる」と旦那同窓数学。ということは、今私の机に座って私のプリント作成のためのコピー用紙にガシガシと筆を走らせているこれがお嬢様(1才)の初お絵かきなわけですね。
 先ずは一本、キャンバス(B4長方形横向き)左下から中央上にえいやっ! と黒一本を斜めに走らせる。次いですかさず、キャンバス中央下から右上にえいやっ! と黒一本を斜めに。丁度平行に引かれた2本の黒一本の中を、今度は無数の平行線でえいやっ! えいやっ! と塗り上げてお出で。その後、右端の黒一本の右側、キャンバスの右下の部分を、何本もの短い線で彩って行かれました。
 「画伯、そこまでで御座います」とお嬢様を抱き上げ(私、最近、幼児が触れるようになりました)、完成した作品をしげしげと眺めます。作品の左下から右上に向けて黒い流れ、これは私が見るに「川」ですな。作品左上は無地の岸、右下は黒く塗られた岸、「成程、向かって右は此岸、左は彼岸を表してお出でと見ました。流石、画伯! 世には決して渡ってはならぬものがあるということをその御年にして見抜いておられる」
 奥様体育先生に「他人の子に何を教えようとしてるんですか」と窘められました。が、今日からお嬢様は「画伯」です。

 高校入試に合格した受験生の中で入学を決めた人、即ち春からF高70回生高1Aクラスのメンバーになる方々、が親子で参加する「入学者説明会」が行われました。この中に数学・英語・国語科からF高での教科教育についての説明をするコーナーがありまして、私が国語科として5分間ほど喋りました(67回生の時以来3年ぶりです)。本来なら、現在中学3年生をメインで(即ち現代文の授業を)担当されている先生、若しくは国語科主任の先生が話すところなのですが、今日はお二人とも授業・校務で動けず、だったら高3も終わって授業の一切が無く暇を持て余しているだろうお前が喋れや、と言われたからです。3年前の我ら高1Aの生徒・保護者の時もそうでしたが、突然細長いのが現れてなんぞ意味の分からんことを喋って去って行くという展開にきょとん顔の人々が散見され面白かったです。

 挨拶に来る卒業生と連絡先を交換するんですけれども、私は電話番号・ショートメールかEメールかの2択で(一緒に飲める年齢になったらTwitterという手はありますが)、この情弱アラフォーの提示する連絡手段が18歳世代にとっては頗る都合の悪い様子。メルアドなんていらねえよ、夏。って感じです(←言い回しで年齢感を出してみました)。
 流石社会科の先生方はLINEを自在に使いこなしてお出でで、世界史先生と女子数人が車座になって(座ってはいませんが)携帯をふるふると振っているのを見た時には本当に「え、何やってんの? 流行の儀式なの?」と思ってしまいました(あれで連絡先が交換できるそうですね)。主任地理先生など、生徒への緊急連絡先としてご自分のLINEを用いておられたくらいです(配布プリントにQRコードってやつ? を載せておられました)。
 で、私も、先日故あってLINEの登録をしたんですよ(卒業式謝恩会のスピーチでは少し話したんですけれども、お見合いみたいなことをやった関係でですね)。で、今は殆ど使ってないんですけれども、数人(例えば55回生Tくんとか、56回生Yくん・Nくんとか)とはそれでやり取りをしてるんですね。これを67回生に解放するか否かをちょっと悩んで……我らB組春から慶應ボーイのKくんから「LINEなら画像、簡単に遅れますよ。東大の得点開示」と言われた瞬間に即陥落、連絡先を交換してました。仕事じゃ仕事じゃ。因みに、とあるご恩に報いるために、Kくんとは明後日の夜に焼き鳥を奢ることを約束しています。

 シタラマサコ『おそ松さん(8)』読了、★★★。やたら刊行されてる気がしてるんですけど、一応半年に一冊のペースなんですね。
 向田邦子『父の詫び状』読了、★★★★★。山本夏彦翁に「『ほとんど』って要るんですか?」と伺いたくなるくらい巧い。38才にして満を持しての向田邦子読み始め、これから読める作品は要するにこれより面白いわけでしょう? こんな幸せなことってありますかね。そう言えば、でっくんはF高同級生だった時代に既にこの『詫び状』が面白いって言ってた記憶。凄いなぁ(彼の読書歴は「血筋」でしょう。二度だけお会いしたことのあるお父様がそういうお方でした)。高校時代の私にこれは読めなかったと思います。

 美術先生の奥様が先生を務められている高齢者向けの絵画教室に週一で通われている母君。市内のギャラリーで開催中の展示会に作品を飾っていただいているということで、明日の「S病院」月一受診が何事も無く終えられたら二人で足を伸ばしてみましょうか、などと計画しています。