馬鹿にのんきそうじゃないか どこまでゆくんだ

 高2の授業4コマは、お久しぶりの「表現実習」。今回は、「短詩」を短歌(5・7・5・7・7)訳するというお題。具体的には、以下の15の短詩を、三十一文字に収めるというもの。
 A「おうい雲よ/ゆうゆうと/馬鹿にのんきそうじゃないか/どこまでゆくんだ/ずっと磐城平の方までゆくんか」
 B「薔薇ノ木ニ/薔薇ノ花サク。//ナニゴトノ不思議ナケレド。」
 C「この明るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美しさに耐えかね/琴はしずかに鳴りいだすだろう」
 D「まてどくらせどこぬひとを/宵待草のやるせなさ/こよいは月もでぬそうな。」
 E「落ちてきたら/今度は/もっと高く/もっともっと高く/何度でも/打ち上げよう/美しい/願いごとのように」
 F「コノサカヅキヲ受ケテクレ/ドウゾナミナミツガシテオクレ/ハナニアラシノタトエモアルゾ/『サヨナラ』ダケガ人生ダ」
 G「うしろすがたのしぐれてゆくか」
 H「こんなよい月を一人で見て寝る」
 I「いったい、何事があるんだろう? もう夜の九時、それにあそこの家では、まだ明りがついている。」
 J「一匹一匹が、3という数字に似ている。/それも、いること、いること!/どれくらいかというと、33333333333……ああ、きりがない。」
 K「二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。」
 L「風邪の季節には出嫌いで、例の麒麟のような頸をひっこめたまま、蝸牛は、つまった鼻のようにぐつぐつ煮えている。」
 M「いい天気になると、精いっぱい歩き回る。それでも、舌で歩くだけのことだ。」
 N「髪の毛をつかんで硬直している、真っ黒な毛むくじゃらの小さい手。」
 O「一晩じゅう、月の名によって、彼女は封印を貼りつけている。」

 A山村暮鳥、B北原白秋、C八木重吉、D竹久夢二、E黒田三郎、F井伏鱒二、の短詩。G種田山頭火、H尾﨑放哉の自由律。I~Oはルナール『博物誌』の岸田國士訳(I蛍、J蟻、K蝶、L蝸牛、M蝸牛、N蜘蛛、O蜘蛛)。
 長いものは削いで、短いものは補って、原詩の意味を変えずに短歌の形式に収める。こういう遊びをさせると、無論意欲や出来には個々人のばらつきはあるものの、200人総体として見れば無茶苦茶面白い作品が集まるというのが高校生のクオリティ。

 特に、文系クラスA組の生徒の楽しみ方は見ていて嬉しくなるほど。大体、原詩が原詩だから、何というかこう、真面目にやればやる程「厨二」っぽく見えてくるという罠があるわけで、そこを超克する精神力が必要なんですね(隣同士で覗き合ったりしながら互いの厨二っぽさをからかうとか、そんな人が多い)。また、ギャグやネタに走る場合も、ど下ネタとかベタな地口に行く方向性もあるし、古典作品など引用した卓抜なパロディに向かう人もいるし。多種多様。

 取りあえずA組で生徒を爆笑させた作品を1つ。Kの「蝶」。『ミスター味っ子』の味皇グランプリ対堺一馬ピザパイ勝負で、母(味吉法子)が掃除をしながら口ずさむのを聞き、陽一が二つ折りピザを油で揚げるという着想を得たことで知られるこの名短詩を、「僕は人狼じゃありません!」氏がこんな感じに訳した。【アイラブユー あなたのおうちは どこですか ウェアドゥユーリヴィン そばにいさせて】 不覚にも4句目に大笑い。ちゃんと勉強したら水準以上の人なんだと思うんですけどねぇ。
 続いてB組では、担任感激の「僕の夏休み」コスプレでドッジボール氏が、B北原白秋を侮辱。【薔薇の木に 薔薇の花咲く 当たり前 そんなの常識 タッタタラリラ】

 本格的に添削を始めたら、相当面白いことになると思う。いや~、楽しみ。さて、明日からは長崎・小倉の講演ツアーです。