輝く日々の残像を追いかけるたびに

 まっぴぃからのメールにあったクイズに正解し、「『韓非子』で読んだから知ってた」と言ったら「ナチュラル知識」って言われたんですけど、仕事の必要上読んだものを「ナチュラル」と言って良いのか否かは分かりませんね。好きで読んだ本を授業資料等に持ち込んだ読書体験からの知識は「ナチュラル」と言って良いかも知れません。
 そういう意味の「ナチュラル知識」は、今は生徒相手の定期テストで(例えば満点にプラスして出題するボーナス問題などで)出せるから、私は今現役バリバリのクイズ作家です。例えば今回の高1漢文の場合。「論語冒頭の『学而時習之、不亦説乎』を『習而時学之、不亦説乎』と並べ換えることが出来ないのは何故?」
 もう一つ、これはボツ問ですが、高2現代文。「小説家・夏目漱石の大正時代の講演『現代日本の開化』と、思想史家・市村弘正の昭和時代の評論『残像文化』との異同を、平成現代のきみ自身の観点で論ぜよ」なんてどうでしょう。漱石「現代日本の開化」をやってたら、東大過去問(激難)の市村弘正「残像文化」も(何とか)説明できそうな気が。漱石が外発的開化の波に翻弄される日本人を評した「食膳に向って皿の数を味い尽すどころか元来どんな御馳走が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新らしいのを並べられた」、この高速の回転寿司状態が市村氏の言う「残像文化」と通じることが分かるなら、解答の形で表現できるかはともかく本文のとっかかりの理解は大丈夫でしょう。

 5時入り、テスト最終日、高2現代文出題、採点ガシガシ。