焚身ののちに舌焦爛せず

 3時起床で5時学校入り。昨日の文系漢文の添削を終わらせ、生徒某の自己推薦文添削、及び授業特講計3種類の板書計画。1~8限(センター授業は近藤譲、東大特講は桑子敏雄、京大特講は上田三四二)を走り抜け、18時~20時で添削をした後、20時から某氏と飲み会。

 学級日誌の日直感想欄で、生徒某が「クマラジーヴァニャン」という新キャラを考案してて、その絵が例のあのキャラが舌をベロ~ンと出してるものだったんですけど、「我が所伝が無謬ならば焚身ののちに舌焦爛せず」の語を残して荼毘に付され、果たして舌のみが焼け残ったという鳩摩羅什のエピソードを踏まえたキャラ造形なんでしょうか。
 でもって、例のあのキャラをウィキってみたら、絶対聞いたこともない声優が声をあててると思ってたのに「小桜エツ子」っておもっくそ中堅(ベテラン?)でちょっと驚きました。

 医学部地域枠を志望する生徒の「地域枠を志望する理由」という提出文章を添削すると、殆どが「医師を志望する理由(家族が医師だから、若しくは家族が患者だった時に救ってくれた医師の姿に感動したから、というきっかけが多数)」と「地域枠の定義(●●県だとか●●市だとかの人々の為に尽くしたい)」とを書いてくるのですが、それで良いんでしょうか(応募してくる時点で、医師志望であることもその地域に尽くしたいことも宣言できているのに)。地域枠とは大学にとって一体どんな扱いなんでしょう、文系畑の人間には想像がつきにくいですね。
 「地域枠」という枠を特別に設けている以上、普通なら、その地域で医療に従事したいという切実で(公共福祉にこういういい方は悪いですが)ある種「個人的な」理由がある人が応募する枠だって考えるんじゃないのかなぁ。前段落の2点(医師を志望する理由・地域への貢献欲求)って殆どの応募者が書いてくる抽象的な文言で、そこに書き手個人の具体的な顔は何一つ映らないような気がするんですね。どうかしたら、「地域枠」を望んでいるっていうのは嘘(とまでは言わないにしても唯一の道だとは思ってないというのが事実)で、単に受験のチャンスが一つ増えただけだって考えなんじゃないの? と疑ってしまいたくなる場合すら。「それで何が悪い」と開き直られたら別に悪いかどうかは知らないけど、文章からそれが透けて見えたら落とされるんじゃないの? という思いはあるんですね(自信も根拠もないですけど)。生徒には、ババ抜きを想像しろ、顔の見えない文章なら必ず酷似の物を書く別人がいて、最初に2枚一緒に捨てられると思え、と言うんですけど、果たしてそれで正しいのかどうか。