ドミノが倒れてゆくわ 何が来ても落ちつかなくちゃ

 未明の「Joyfull」で添削してたらちょっと離れた席に(どうやら看護師らしい、私よりも)若い女性2人が座ってて、泥酔状態でトークしてたんですけれども、帰り際にお会計は私が持つわ戦争が勃発しまして、楽しそうだな~、と思いながらチラ見してましたら、片方が突然「私が払う! だって私『シロガネーゼ』だから!」って言ったんですけどそれを返す刀でもう片方が「私なんて実は『ツリハイラネーゼ』なんだから!」と瞬殺したのがとっても格好良かったです。お釣り、貰ってましたけど。

 5時に学校に入って添削と授業準備。8時からは指定校推薦の志望理由書その他を書くための添削面接。本日はやや忙しくて、野矢茂樹センター授業が5コマ、と放課後に東大漢文特講があるのですね。しかもその後に長い長い国語科会議が入っているからもう失神もの。連チャンで未明「Joyfull」は必至。

 野矢茂樹と言えば。
 野矢先生は東大教養学部で私のクラスの「基礎演習」の担当教官。普通、「基礎演習」ではレポートの書き方やプレゼンテーションの方法を実践的に学ぶということをするそうなのですが、野矢先生の授業はひたすら先生の著書『論理トレーニング』(論理学の問題集)を解いて添削・解説という授業でした。これは面白かったし為になったし、何より得意だった。はっきり言ってクラス(文Ⅲ6組。第二外国語によってクラスが分かれます)の中トップだったんじゃないかと思います。「きみは本当に凄い(よく解ける)ね」と先生から褒められた時は少し嬉しかったです。
 私は大学在学中、教官から褒められたことが2度だけあります。1度目は上記、野矢先生の『論理トレーニング』で、2度目は尾上圭介先生(国語学)に「講義ノートが美しい」と言われたことです。授業中は速記のように内容(板書が少なかったので、ひたすらお話を聞き取り)を記録して、自宅でそれを整理・構造化した清書を書く。今、現代文の授業の板書でやっているようなことを既にやっていたんですね。尾上先生は、私のノートをコピーして先生にお渡しするよう命じられました。
 さて、上記2回の「褒め」は、嬉しかったのは嬉しかったけれども「少し」嬉しかったというレベル。なぜなら、どちらも哲学・論理学だったり語学だったりの才を褒められたのではなく、単に作業の正確さと早さとが評価されたに過ぎなかったからです。在学中から自分に学術研究の才(と興味と)は皆無と気づいていました(いや、大学で思い知らされました、というのが正しいのかな)。でも、作業スキルに関しては割に高いぞ、というのも自覚していました。要するに、就職に向いてるのね、と。となると場所は一つ、国語科恩師先生に「よく読めて・書けている」と現代文について褒められ「とても」嬉しかったF校しか思いつかなかったのです。
 繰り返して言ってますが、中学高校の「現代文(現代国語)」は、その科目の授業においてやっていることの延長線上に何か専門の学問がある科目ではありません(全科目の中で唯一なんじゃないかな)。だから学術研究の才がない自分でもやれる、という直観がありました。逆に言えば、文学部で専門の才を磨くことの出来なかった人間の弱み、今でも古文と漢文の授業は相当なコンプレックスを感じながらやっているのです。

 授業がギュウギュウに詰まっていたので帰省は出来ませんでしたが、母君は小倉の病院を無事退院なさり、ご自宅に戻られたそう。