希望としての倫理によってではなく、事実を倫理として生きるすべを

 早朝の新幹線で博多、新幹線を乗り換えてK市。14時に学校入りして授業準備と小論文添削。火曜はまたまた母君と小倉の病院に行くために一日年休(17時からの東大理系漢文特講はあり)ですので、逆算で仕事を詰める。授業減の提案も頂きましたが、「授業が命」の進学校で高3やってたら個人的事情など三の次、今は自己陶酔くらいで丁度良いはず、と思いながら赤ペン青ペンをガリガリ。
 F校でよく使われる(非公式の)スローガン、「日常性の維持」。私は恩師先生から事ある毎にこれを言われ続け、就職後にもこの精神を徹底的に叩き込まれました。「日常性の維持」が大切なのは、訪れつつある非日常の察知と訪れた非日常への対応との能力はそれのみが涵養する故。この度の母君の治療(継続中)にお付き合いしつつの仕事で実感。今回の同窓会上京、帰りの新幹線乗車の瞬間に失神泥眠するまで己の疲労に全く気づかず、学校着時には全快の仕事再開でした。

 旅行中に読了した本。
 瀧波ユカリ『臨死!! 江古田ちゃん(8)』読了、★★★★★。完結残念。問題、魚戸おさむの漫画『家栽の人』と、瀧波ユカリの漫画『臨死!! 江古田ちゃん』に共通する、最も大きな特徴は何?(雑)
 内田樹『街場の戦争論』読了、★★★★★。誰のせいかは知らないけれど、日本はこれから悪くなる。そこにおいて「日常性の維持」は通用するのでしょうか。レオーノフの『穴熊』じゃないですけれど、「おまえはじぶんが生きなければならないように生きるがいい」んですね。長田弘氏の言う通りです。
 弓きいろ『図書館戦争 LOVE&WAR(14)』読了、★★★★。
 よしもとばなな『鳥たち』読了、★★★。
 筒井康隆『繁栄の昭和』読了、★★★★。筆者を世に送り出した江戸川乱歩を始めとする昭和探偵小説の世界へ捧げられた短篇集。万華鏡と言ったらチープな比喩ですが、10年後、少なくとも20年後には(多分)新作が読めなくなる作家の想像力がここまで広く深いというのはやはり奇蹟的。