言葉の重力

 5時入りでず~っと添削。添削の話を徒然に書きます(誰に向けての発言?)。

 基本的には、18時以前に提出ボックスに入った物は翌(営業)日の8時までに返却ボックスに入れます。今日は外部の模擬試験に行く生徒が多く、提出量が少なめ。ちょっと空いた時間に、東大01年度文系(岡部隆志)を提出して全く出来てなかったA組某氏相手に、一対一の講義をしてきました。この文章の「文体」の定義が入っているかいないかは、本番の入試、或いはその先におけるものの考え方に大きな違いが出ます。

 「文体」といえば、東大84年第1問(西部邁)と88年第1問(鈴木忠志)も想起されます。前者は問三、後者は問二の傍線部に「緊張」の語があります。この「緊張」というのが、「文体」を巡る全く同じ意味で用いられていることを、もしも生徒に教えて理解できたら、両方の文章に関して読みの深さが一変するんです(それはもうドラマティックなくらいに)。大学が意図して作問しているかどうかは知るところではありませんが、無意識に「流れ」のようなものが出来ているのではないか、と想像します(恩師先生が仰有る「過去問の小宇宙」)。

 更に更に東大添削は続く。06年第1問は宗教学者宇都宮輝夫。問二の設問は傍線部の「相互作用」とあるから、多くの解答者が書いてくる「先行者が現成員に遺産を遺したように、現成員が後継者に遺産を遺すことを生の意義とすること」(大意)という答えは、問答無用で×にします。「A→B→C」が「相互作用」ではないこと、数学なら絶対間違えない人が国語では間違えるんですね。

 20時過ぎに布団に入ってから、高2担任団の数学先生に電話。
 国語「ちゃんと店に入れた?」
 数学「大丈夫、助かったわ。みんな何で池ノ都がここにおらんと? って言いよるけど」
 国語「なんじゃそら」
 って、私が居ないのは私があんたらのスキー引率とは縁もゆかりもない人間で本来幹事なんかする必要は全くなかったからだよお休み。