必ずその階に行ける! それが、エレベーターだ!

 5時起床、風呂に入って、正月に新調した礼服を着る。行きつけの美容室で仲良しの(何回か飲みに行ってるんで「仲良し」って言っても良いですよね)美容師さんにお願いしたら、月曜定休日の早朝、6時からなら髪をセットして下さる(その後でゴルフに行くとか)ということで遠慮無くお願い。6時過ぎに入店して、洗髪と整髪。その後で学校まで送って下さって至れり尽くせり。

 体育館で卒業式、食堂で歓送会、クラスでSHR、ホテル広間で謝恩会、担任団で飲み会、という一日の流れ。

 特別な日です。ですが、私が絶対に決めていたのは二点。今日は泣かないことと、生徒を褒めないこと。本当の本当に特別な日は、10日(前期合格発表終了日)ですし23日(後期合格発表終了日)です。この日までは、63回生の活動は終わらない。泣いたり褒め倒したりすることで終わり感を出したくないんですね、天邪鬼です知ってます。

 粛々の卒業式は、そりゃ来賓も多けりゃたまには「笑ってはいけない」状態になることもありますけれども、極々一般的な流れで終了しました。遅刻した上に入場10分前に電話したらワンコールで切りくさりやがったA組某氏も、ラスト校歌斉唱の辺りには間に合いました(いや、全然間に合ってませんけれども)。

 歓送会は、ウケメンのお笑いあり、文化祭太鼓パフォーマンス長による和太鼓(卒業生から学校への贈呈品)試打あり、歌・演奏ありで生徒の才様々の盛り上がり。MVPは即興の依頼で滅茶苦茶格好良かった和太鼓でしょうが、インフルエンザ病み上がりで8.6秒バズーカーを演りきった(「Lesson5ぐらい」というフレーズでパロってましたが)ウケメンも見事。

 SHRは、卒業証書を1人ずつ授与。壇上で一人10秒ずつくらい喋って貰いましたが、一発芸をする人あり、号泣して言葉にならない人あり、斜に構えたコメントあり、で流石のA組は個性が豊か。ここの辺りが涙腺がいちばん危なかったかな。
 副担の先生の後、担任コメント。いつも通り無鉄砲(事前準備無し)でつらつらと喋る。「君たちは凄い」「面白い」等々、褒める言葉だけは絶対に言わないように注意しながら。明日からも、添削は続きます。

 解散後、色々な生徒や保護者と写真を撮ったり、求められるまま卒業アルバムにコメントを書いたり。生徒にコメントを求められたら、「虎視淡々、日常性のeasy!」のフレーズです。大学生活だって、結局これに尽きるのですね。

 さて、ホテルに移動して(保護者主催の)謝恩会。担任団テーブルに座った瞬間、D組の担任副担任コンビ、C組担任の2組が歌うこと、そしてA組・B組担任が歌うということが既定路線になっていることを知らされる。最初は二人それぞれが別々の曲を、と思ってたんですけれども哀れ先輩には逆らえず、「池ノ都、別々は面倒臭いから一緒にやるぞ!」との命令。ほら、じゅんとネネですよ。私、満座注視の舞台上で女役ですよ。

 懇親会では、自分のクラスを中心に多くのお母様・お父様とお話しさせていただきました(次々にビールを注がれながら)。ここでだけは、個別の生徒を褒めるということを出来るだけ積極的にしています。面談と同じですね。ですが、壇上の担任団スピーチの時(保護者全体に向けての話)には一切生徒を褒める言葉を発していません。トップバッターだったので、卒業後も宜しくということを面白おかしく話して場を温めただけ(次のA組副担先生は「あいつの後では話しづらい」といういつものフレーズを導入に)。

 歌いましたよ「じゅんとネネ」、愛するってこわいですよ本当に。D組担任・副担はそもそも舞台上で宴会芸をするというのが大好きな人間ですし、C組担任は超絶に歌の上手い人で絵になるからいいんですよ。私なんぞ中途半端な人間に4分の時間を割かせるのはいかんですよ本当に、っつーかどうせなら真面目な歌を歌いたかった。

 最後に、卒業記念のDVD上映。63回生の3年間(私と世界史副担先生とは中3からですので4年間分の想い出があります)を数々のスライドで振り返る。私はその間、照明を落としたフロアの暗がりに紛れ、それまで直接お話出来なかったA組保護者の方々のテーブルを回ってご挨拶をば。えぇ、じゅんとネネに続いて、女装して「恋チュン」踊ってる映像はしっかり観ました。

 あ~んまりDVDの完成度が高いもんだから、その後の学年主任挨拶、主任が号泣してなかなか始まらないでやんの(にっこり)。主任(D組)泣くわ、C組担任泣くわ、冷静沈着A組副担までもらい泣きするわでちょっとびっくりしましたけれども。
 A組「今日は泣かない日ですよねぇ」
 B組「あったり前やろ、俺らは10日までとっとくぞ」
 じゅんもネネも泣かないと決めた日。

 会場を後にして、教員一同はイタリアン「B」から小料理屋「S」へと二軒の梯子酒、えぇ16時から24時までたっぷり8時間飲んでますね。
 で、二次会の小料理屋を出た10分後に56回生T氏のメールで「先生たちと入れ違いに同じ店に入った!」と知らされる。後10分出るのが遅かったら明日の仕事(後期添削)は完全に潰れてたな。危ない危ない。

 因みに、二次会の店「S」を出た後、じゅんとネネの二人は、他の人たちが饂飩屋で飲み直すというのを抜けてタクシー帰宅。体育先生が「眠ぃ」と仰有ったら、次の日に酔いが残らない完全な引き際という合図なんです。私秘かに、「居酒屋炭鉱のカナリア」と呼んでます。