Whisper words of wisdom

 「合格体験記」は創作を交えずありのままをお書き下さい、という話をします。
 東大進学63回生某氏とメール。
 某「合格体験記の依頼文の最後に『高1・高2はほとんど勉強しなかった/高3は人並みに勉強した』とは書いてはならないとあります。僕は本当にこれに当てはまるのですが、体験記に適宜創作をほどこすべきでしょうか……」
 私「依頼文は私が書いたものではありませんが、今年度の進路主任は私ですので、私が責任をとれます。というわけで一言、『創作抜きで正直に書いて下さい』。これ、みんなにも伝えて下さったら嬉しいなぁ」
 某「わかりました、ありがとうございます! できる限り伝えます」
 私「宜しくお願いします。まったく、あんなナンセンスな依頼文、誰が書いたんでしょうね(笑)」

 依頼文の原稿を書かれた先生がご覧になっていたら申し訳ありませんし、恐らくその言を入れざるを得ないような酷い原稿が届いたことがあるのだろうと拝察しますが、それでもやっぱり上記の「勉強しなかったと書くな」というのは体験記の依頼文には入れてはいけないと思います。
 前述の某氏、メールの文面を見ただけで誠実な人柄が見えますでしょ? そういう方が体験記に創作を施さざるを得ないのではと困ってしまうようでは依頼文の効力はありません。ちょっと前の日記に62回生某氏から執筆を断るメールが届いたと書きましたが、実はそれもこの依頼文が理由です。

 大体、卒業生は学校からは離れた大人なんですから、その方々に文章を依頼するならその原稿は「玉稿」です。拝して受け取る側が文章に条件をつけるというのはそもおかしな話なんですね。書きたいと表明する卒業生が少なからずいるからついつい勘違いしがちなんですけれども、依頼する側に「書かせてやる」という上から目線が無いか、敷衍したら「合格させてやった」という自惚れが無いか、は進路指導部だけに留まらない大きな問題だと思います。

 成程、そうすると「俺は高校時代あんまり勉強してないけど高3で追いついたぜだって天才だから」的な文章が掲載され後輩の学習意欲を削ぐではないかという批判が来そうですが、仕方ないじゃんそれが事実なんだからってなもんです。「天才だから」とは書かないかも知れませんが、「後輩の皆さんはまねをしないで下さいね」と書けばその裏に「俺ほど賢くないんだから」とか「俺ほどのラッキーがあるとは限らんから」とかいう文言は透けて見えるでしょう。でも、それが入学試験という制度の事実なんだからしょうがない。そして読む側(後輩)はそれを分かった上で体験記を読み、情報は取捨選択します。それを読んで「俺も高校時代は勉強しなくてもいいわけね」と思うならその人は読まなかったとしても勉強しません。

 実際に誰に体験記を依頼するかは、各クラス担任が決めます。私は今回63回生A組のメンバーを決めたのですが、「学校のスケジュールと教員の話にひたすら従い6年間(若しくは3年間)中弛み無く勉強し学校行事その他にも積極的に参加した」みたいな隙の無いメンバー、12人に依頼した中では2、3人くらいしかいません。というか、普通の感性なら「2、3人も居るのっ!?」ってなもんじゃないでしょうか。
 でもって、それ以外のメンバー、例えば「演劇が全国大会まで行ったから部活引退が一年以上延びて夏まで勉強時間が食われた」とか「国公立は始めから受ける気がなく第一志望の私大一本だった」とか「遅刻せず1限に間に合うのは週に1回あるかないかだった」とかいう理想的F校生金太郎飴文集なら決して登場しないであろう方々がそれぞれに合格した要因には何があるのか、というのが体験記の「面白さ」なんですね。
 隙無しのメンバーの文章は偉人の伝記の如し、読んで感動してとても真似できないとひたすら仰ぐ、けれどもこのような人たちが現実に友人として存在している環境にいるということは凄いことだと思う、というのが体験記の一つの効用。俺と同じで中弛んだり勉強時間が少なかったりした先輩諸氏(こっちの方が多数です)がそっからどう立ち直ったのか勉強方法を工夫したのか、という近々の自己の姿に重ねてこれからの受験生活を考える、というのが体験記のもう一つの効用。

 ですので繰り返しますが、体験記を依頼された卒業生は、創作抜きで正直に書いて下さい。担任4人は、あなた方の3年間(私は4年間)を見て、あなた方に書いて欲しいと思って選びました(人数の制限があり泣く泣く依頼を断念した方々も多いです)。ありのままを書いて下さればそれが比喩ではなく「玉稿」です。新年度の心身多忙な時期の貴重な時間を割くことを強いるのは心苦しいですが、後輩諸氏のために(そして自己の過去を客観視できる得がたい体験のために)、伏して。

 ……とまあちょっと真面目に仕事の話をしてね、これで大量の「勉強不用俺様天才原稿」が届いたらどうしようか、という話ではあります。実際、露骨に且つ執拗に学校批判を繰り返す文章とか、東大逆評定宜しく「授業仕分け」していく文章とか、まぁ色々過去にはありましたね。それらを見て馬鹿だなぁとは思ったけれども掲載すること罷り成らぬとまでは……あ、一つだけ私が許せないと思ったのは、大昔ですけど国語科恩師先生と或る社会科の先生とに対して過労死するまで使えと書いた文章かな。あれは、書いた人は何らかの形で不幸になって反省すればいいと思いました(多分、そうなってるでしょうけど)。
 とまれ、少なくとも今年度は(放送禁止用語と誤字・非文以外は)基本的に検閲しないスタイルで校正をするつもりです。依頼を受けた人たち(特にA組!)、宜しくお願いしますね(さて、ど~なることやら)。

 本日から(始業式・課題テストを経て)高3は授業開始。ですが私は授業がないので、ずっとデスクワーク。来週・再来週の高3の授業の準備(プリントを印刷室に回す)、進路指導主任として卒業生保護者との連絡、今年度の特講の年間計画、入試に使えそうだと思って取っておいたとある文章の問題化……等々。
 合間に、黄金週間の上京旅行の手配(のぞみ早得往復きっぷの購入手続き)をして、twitterとこのブログで遊び相手の募集(先のことなんで予定も立たないでしょうが、どうぞ宜しくお願い致します)。

 先日、昨年度を以てご退職なさった保健室超ベテラン先生からお葉書が届きまして。「42年にわたり勤めてまいりました……定年退職致しました……しばらく休養」との文言に、あぁ本当に学校を去られたのだ、と寂しさを噛みしめたものでした。
 だから聞きたい。4月放課後の高校テニス部コートでバシバシ球出しをしてるあの人は誰よ?
 職員室窓からテニスコートを覗き、「休養短っ!」「どんだけ元気だ!」と職員は若手からベテランまで大笑い。42年かけて仕込んだギャグだ、そら笑うわ。嬉しいし。

 15時から天神に出てジュンク堂で買い物。それから、電気店を回ってポータブルBRプレイヤーの値段を確認。DVD視聴用として使っているPCの調子が大分悪くなってきたのですが、とりあえず今日は買いませんでした。喫茶店で読書。
 K市に戻ったら、西鉄ターミナルは毬栗頭の若者でいっぱい。今年もこの季節がやって来ました。入隊式を終えて、今日が自衛隊の一年生たちの初外出許可日なんですね。「もりき」に入店して「今日は絶対毬栗頭が来るよ!」と言った20分後には5人の若者がやって来ました。突き出しとゴマサバでビールと日本酒を2杯飲んで、イワシの炭火焼きが焼き上がったと同時に飲み会の呼び出し電話。イワシはお隣の毬栗頭に託してタクシーで移動、呼び出された先が2次会、その後の小料理屋が3次会。結局あんまりものを食べないままお酒だけガンガン飲んでたような気が。最後の小料理屋ではカラオケ合戦が始まって、やっぱり私はどらげないを歌ったのでした。