私は先生のお気に入り

 7月下旬に、小島麻由美のセシル3部作が未発表音源を大量に加えてボックス化。これは今年いちばん嬉しい、プッピドゥーなニュースです。しかも20周年の企画内にはセルフカバーアルバムの発表もあるとか。

 「合格体験記」に10000字超の原稿を書いた東大1年生Tくん、提出から1ヶ月過ぎた今でもまだ推敲のメールを送ってきて下さって誠実。でも、曰く「クラスの友人に見せたら『凄い』と言われました。やはりF校という環境は恵まれているのだと思います」ってのはそれはF校ではなくその原稿の緻密が「凄い」と言われたんですよ、ってまぁこれは分かって書いてきてるな。
 5時入りで来週の授業準備の続き、浪人生答案添削。本日の授業は午前中にセンター2コマ、とその採点・得点集計。午後には特講があって、2時間東大(理系)現代文、2時間京大現代文。終了は仕事開始からぴったり12時間後の17時。

 正確に言えばセンターではなく共通一次、84年の藤田省三「或る喪失の経験」。5分で教材紹介、20分で解答と自己採点、10分ちょいで解説、10分ちょいで来週の校内模試の話、計50分。センター1題の解説が10分で出来るのか? と言えば出来ます。勿論50分でも90分でも出来るでしょうが、学校の授業は50分で有限なのでその場で問題を解かせたら(解かせている間、教員は板書準備をします)、使える時間はどれだけ長くても25分が限界。ですから私は、解かせた時間以上は喋らないという方針で高3をやることに決めました。としたら、かいつまんで言うしかない。例えば、実生活の理不尽な経験の具体性は子供には重いので遊戯のルールで抽象化する、という話なら『クレヨンしんちゃん』のリアルおままごとを想起して生徒は5秒で分かる。「『安楽』への全体主義」が「不快の源」の殲滅をはかる、という話なら『ドラえもん』のどくさいスイッチで同じく5秒です。

 5、6時限は東大現代文、84年西部邁『経済倫理学序説』(この本、最近文庫が復刊されましたね)。
 東大特講初期(春~夏)に理解させたいと思いなかなか出来ないのは、「●●」と「●●学」とが前者現実(ものことひと)・後者観念(ことば)と次元を異にする二者であること。これが両輪で大学は後者徹底という話に、ニュースを断った人間にも微かに漏れ伝わる現在の政治を具体例としては使いたくない……けれどもかいつまんで言うために使うしかない。「●●」のフロントに居る政治家は自分たちが法学部の学生だった時に法とは政治とはと「●●学」に没頭していたことを忘れているまたは忘れたふりをしている、と言えばこれも生徒は5秒で分かる。
 但し上記は「言分け」のレベルで、初見の文章においてこれは「●●」についてこれは「●●学(論)」について書いていると弁別できるほどに上記理解を「身分け」られるかどうかはまた別の話(「理解させたいと思いなかなか出来ない」と書いた所以)。そう言えば今日の藤田省三の授業ではこの「言分け」「身分け」の定義も1分で話したけれどもこれは植木等の「分かっちゃいるけどやめられない」で5秒です。

 7、8時限は京大現代文。03年中勘助「こまの歌」。文章が美しい、ために受験生は一読眼光紙背、とはいかないのが明治の遠さとそれを利用した京大の巧さ。問(四)の伯母の気持ちなんて、本番の受験で誰か書けた人がいるんだろうか、という問題です。傍線前後で書かれている「すっぱぬく」という言葉の意味が分からなかった人はその時点でアウトでしょうし、「乳母」と「ばあや」とが同一人物だと気づかなかった人もいるでしょう。そして、この名作なら読んで感動したという経験を持っている人もいるでしょう。読書と読解とが異なるという所以。

 17時終了後、中途半端な時間だけれどもどこか17時にオープンするような飲み屋で飲んで早寝しようかなぁ、と考えていたら職員室に遊びに(質問に?)来た高3某嬢と話し込んで思わず1時間超。結局「もりき」が開店する時間になったので入店。
 私が最初の客で、その後から年若い幹部候補生が2組(小上がりに3人、カウンターに2人)。『図書館戦争』を読んでて現実と違うよなぁ、と思うのは喫煙シーンが皆無だということ。実際の喫煙率は無茶苦茶高いですよ……って、『図書館戦争』は設定からして現実と違うか。
 明日はコミュニティーセンターを借り切って30人超が参加の「もりき」日本酒の会。ですんで今日はその料理の仕込みで忙しい日だろうから、私は料理を注文せずにビールと日本酒。両隣の自衛隊さんたちが注文した料理を少しずつ多めに(例えば1.2人前とか)作ってもらって、そのお裾分けをいただきました。