精一杯の努力とか一生懸命が茶化されるこの時代にあえて宣言

 現代文の入試過去問添削において大変なこととは。
 東大京大を始めとして先ず本文そのものの読解が難しいというのはあります。根本的に本文読めてないよね、という解答はたくさん。でも、その指摘はそんなに大変ではない。「誤読再考」の4字で足ります。大変なのは、本文読解ではなく、解答の「作法」に対する指摘。以下、例。
 ①コミュ障……「なぜ」と問われ「こと」と返す。
 ②客観力不足……「筆者は」と書かず解答に「私は」と書く。
 ③美意識欠落……「危ぐ」等混淆。
 ④無思考……修辞・文体も含めて本文をコピペする。
 ⑤曰く言い難き……随想なのに「作者」と書く。
 上記「作法」の違反については、その具体事象毎に細かく指摘訂正を要して時間と筋力と精神的余裕とが奪われるんです。添削は今日もモグラ叩きの徒労感。何かこう、一発でやめさせられる突っ込みがあったりしませんかね。「お前は首相か!」とか書いて通じますかね。
 所詮「観念」のやりとりに過ぎない現代文の解答ごときで何が見えるって、そらその人間の「作法」に対する構えが見えるんですよ。読解力の有無なんて問題にならないくらい、その後の「現実」の生き方に影響しますぜ、これ。現代文の採点で入試の合格不合格は予想できなくても「入った大学で楽しめるか否か」は割と正確に予想できるという所以。

 国語科恩師先生と、多少の事務的手続きに関してお手紙を頂いたりお送りしたり。よく保護者の方からのお手紙に「国語の先生にお手紙を書くのは緊張して……」というお気遣いの文言が入っているのですが、恩師先生へのお手紙に関しては緊張は皆無で、このブログなど比較にならぬ程正直に筆を走らせてしまいます。何かこう、絶対受け止めてもらえるという感覚があるのと、とにかく嬉しいのとで。
 勿論、上記「作法」など説いてる人間がどの面下げてという文言を書いて、それとなく叱責を受けることもあります。

 午前中は年休をとって家でのんびり、気まぐれに昼食を(CoCo壱番屋で)とり、雨の中タクシーで出勤。午後15時30分からの京大特講(土曜日にそれこそ京都に向かう出張のために開講できない分の前倒し)を2時間。教材は13年の中野孝次で問題としては難だと思いますが、設問5題のうち1題が漢字の書き取りなので得点は少し高く出ます……つっても、さすが京大「変哲」「迷妄」などの書き取りを問うてくる。

 卒業した63回生の自宅に送る「合格体験記」の封筒準備(発送は明日か明後日かになる予定)。
 その後学校を出て、夜は「もりき」で締め鯖とお吸い物。10000円払ったおつりを貰い忘れて帰宅した、という理由で明日も行かなくちゃってなってるんですけど、我ながらそれはどうよと。