「車窓」は踊るのだ。

 今回の上京旅行でいちばん面白かったのはやっぱりオツカル様との飲み会の時の出来事なんですけど、二次会で行った大塚「串駒房」の板前さんがテレビに出てる「あの料理人」にそっくりなんだけど名前を思い出せなくて、必殺の音声検索を炸裂させるべくスマフォをドラゲナイ角度でお持ちになったオツカル様が「料理人 青法被」「料理人 青い和服」等々を試した後、最終的に「料理人 作務衣」で無事に結城貢先生の名前が出てきたの。

 とまあ、上京旅行6日、福教大旅行1日、という非日常はまだまだ続く。今日からは1泊2日で出雲旅行です。
 5時に起きて旅行準備、をしていたら5時半に我らがA組某氏からメールがあり、これは長い長いやりとりになりそうだったので、風呂に入って荷物を詰めて呼びつけたタクシーに乗ってJRのK駅に新幹線発車2分前というギリギリに着いて飛び乗った小倉行きの自由席で残量一桁%の携帯を充電、という一連の流れと並行してメール文字を連打しまくる、やりとりは合計1時間超!
 小倉について朝食は「一蘭」。相変わらず高い、けれども「ラーメンではない何物か」としての味は嫌いじゃない。の後、駅構内で母君と合流。

 本日から1泊2日の出雲旅行は、肺がんの手術(肺切除10月、ガンマナイフ12月)から8ヶ月も過ぎた母君が初めて九州を出る「リハビリ」旅行、もう少し残酷な言い方をすれば「実験」旅行。手術退院直後から(休み休みではありますが)仕事に復帰し、現在は手術前と同様の社会福祉士の仕事をこなしておられる母君の「日常性」のリハビリは順調に進んでいる、ということで今度は「非日常」のリハビリをやってみよう、と。母君との旅行など、前回がいつなのか思い出せないほど久しぶりのことで、もしも病気のことがなかったら今後も行くことはなかったと思います(だからって良い機会だとは言いませんが)。
 小倉から新山口までは新幹線で20分、新山口から出雲市までは「スーパーおき2号」なる特急で3時間超。二人とも一睡もせず、山間の景色だ農村風景だ海岸は絶景だ、と景色を見てはあれこれ。
 基本、毒舌。
 母「池ノ都くん(←二人称)みたいな弱い生き物が、よくちゃんとしたところに就職して10年も働けて……全く本当に偉いと思います」
 子「あのですね、息子さん(←一人称)は中学高校の国語の成績でF校に内定もらってたようなものなんです。言ってみれば中高6年間かけた就職活動です。それがなきゃこんなもやしに就職なんて無理でして」
 母「いいじゃないの、弱いって分かった上で先を読む力を働かせ……池ノ都くん、まさか、もう人生を終えてたりします?」

 出雲市に着いたら、徒歩10分ほどで出雲そばの人気店「羽根屋」に。10分ちょっと並んでから席に着き、私は割子そば、母君は釜揚げそばを注文。
 朱塗りの丸器の中に一口分の冷たいそば、それを三段(私は一段増やしてもらい四段)に重ねたものに薬味とツユとをかけて食べる。出雲そばのそば湯は、湯桶ではなくそば猪口に一杯分だけ供される方式のようでそば湯好きの私にはちょっと物足りない。
 母君の方は釜揚げそば。そば湯に浸した暖かいそばに、ツユをかけて食べる出雲独特の食べ方……らしいんですけれども母君は不満顔。「病人食か!」という突っ込みにそこまではないやろ、と一口頂戴して「ほんまや!」とさんまちゃんごっこ。K市名物コシのないうどんの比じゃない柔らかさ。これは、そばを食ってる気がしない、江戸っ子なら顔面鉄火状態で怒り狂うと思います。
 オツカル様のお母様は突入したお店で(何らかの理由で)美味しい料理が食べられなかった時には「リベンジする!」と宣言なさるそうですが、それに倣うならば我々も出雲そばのリベンジをしなくてはなりません。明日は昼過ぎまで出雲大社観光(これが今回の旅行の本丸)ですが、昼食の内容は既に決定です。
 因みに、母君は3時間超の電車で身体が硬くなって少々お疲れ気味、釜揚げそばは半分ちょっと食べたあたりでギブ(残りは、私が美味しくいただきました)。「リハビリ」の第一歩は及第点とは行かないかな。

 本日の宿は、出雲市からは遙かに離れた(車で40分超の)日御碕。ですので、14時のバスで先ず日御碕に移動する。細い山道をぐねぐねと走るバス、高所から遙か崖下の海を見下ろす移動は正直「ちょっと怖いね」
 バス車内では私がちょっと転た寝をしてしまって母君のことを言えない落第点。

 バスの降車場から徒歩1分、目と鼻の先にある日御碕神社をお詣り。
 中島みゆきファンなら厳かな気分にならずにはいられない、天照大御神祭神とする「日沈の宮」に手を合わせる。どぎつい朱塗りの社です。私と母君とでそれぞれ絵馬を購入して、願い事を書く。互いの内容は見ていませんが、私は「母子心身健康、63回生大学合格」。
 神社から日御碕灯台まで、岬の西側海岸線に沿って散歩道。今はシーズンオフで見ることができませんでしたが、国の天然記念物に指定されている海猫繁殖地「経島(ふみしま)」を通り過ぎ、海風に曲がった松林の中を松と同じようにうねる道を歩く。直射日光で汗だく、母君は帽子こそ被っておいでですが日傘をお持ちになっておられず心配。

 日御碕灯台は東洋一の大きさということ。頂上まで登ることが出来るようで、頂上デッキから景色を見下ろす観光客の姿を下から見ることが出来ます。母君に聞いたら「平気だ」と仰るので、毒を食らわばの気分で昇り始める。140段、7階だったかな。汗が止まりません。昇れば昇るほど(建物の先が細くなるために)階段は急になり、最後の20段は殆どハシゴの角度です。しかし、頂上に出ると流石に海風の涼しさ。「日本の自然百景」に選ばれた夏の海景色を堪能。
 階段を下りる時、最初の部分をハシゴの下り方で下りた私を指して、階段の下り方で下りた母君曰く「それは年寄りの下ろし方なのよね」

 16時過ぎに、灯台から徒歩5分の宿「出雲ひのみさきの宿ふじ」にチェックイン。2人で1泊5万と張り込んだんですが、これも全て「リハビリ」を意識しているから。先ずは露天風呂で汗を流して、18時30分から夕食。
 島根県の山海の名物をビュッフェ形式で……というその料理の質を謳うホテルなんですけれども、そして実際に魚も肉も野菜も美味しかったんですけれども(珍しく母君が私よりもたくさん刺身を召し上がった程)、いかんせん私も母君もアルコールを飲まない(私も、病身の下戸を唯一のお供にして酒を飲むほど馬鹿じゃない)ので、食事は30分ちょっとで終了してしまうんですね。退席しようとしたらホテルの方が驚きの表情で「食事に何かご不満な点がおありだったでしょうか?」と聞いてこられて恐縮しきりでした。

 さて、上げ膳据え膳こそ旅行の醍醐味、清潔で広く柔らかいベッドが二人分、テレビに興味の無い二人ですので、食事の後はすることが無い。ということで、安定の19時半就寝。母君と一緒に布団に入って部屋の電気を消し、もしも日付が変わる前に目が覚めたら、21時~24時だけ営業しているバーに行ってアルコール読書をしてもいいかな、と思っていたのですが……。