手しごとを結ぶ庭

 本日、理系東大現代文・京大現代文の特講が最終回です。前者は09年の原研哉『白』、後者は11年の長田弘『失われた時代』。どちらも素晴らしい文章・問題です。
 原研哉は、書くという行為における不可逆的な未熟の発露、それを超克する「紙の文化」への畏怖と挑戦とが個を高めると言います。即ち倫理は「手」に宿る。長田弘も「手」の倫理を生の母型と見ています。ロシア革命前夜、無名の帽子屋が一日一つの帽子を作り続ける生を誇りとしながら孤独に死んだ姿に、〈生きるという手仕事〉を引き受け固有の生を営む人間の尊さがあると述べるのですね。時代や主義に倫理を求める者は結局、「時の支配の言葉を販いで生きのびてゆく」に過ぎないか、「希望としての倫理」という名の現実否定で集団化・暴徒化(現実の破壊を)することになる。「時の支配の言葉を販いで生きのびてゆく」という部分に傍線部が付された言いかえ問題は、「権力者によって正統と認められている価値体系を代表する言葉を、特に自分の社会的・政治的立場を守るために、自分の上にかぶせたり、自分の仕事の上にかぶせたりすること」という、鶴見俊輔『言葉のお守り的使用法』(46年)からの引用で完璧な答えになります。長田弘鶴見俊輔も今年逝きました。

 5時入りで授業準備・添削その他。授業は1限・2限にテスト会形式。50万人の受験者を屠った13年の小林秀雄牧野信一のセットは、評論のタイトル「鐔」が読めないという所から既に敷居が高い。それでも、文系は平均点で70点を大きく上回って見事。
 5限・6限は東大理系現代文特講(5限解答、6限解説)。7限・8限は京大理系現代文特講(7限解答、8限解説)。そして8限・9限は京大文系現代文特講(8限解答、9限解説)。8限と9限とでは同じ解説を2回することになります(っつっても、センタークラス別授業だと一日で同じ解説を5回してるんですけどね)。
 特講3度の解説は、順に45分・30分・30分、で105分間喋りっぱなし(質疑応答や指名等の作業は一切しないので、文字通り私の一人語りスタイル)。105分のお喋りくらいではどうともない筈の私の喉なんですが、今日はその間にのど飴をたくさん舐めています。イガイガして風邪かなぁ、と思ったら何と職場はもう暖房が入ってやがるんですね(私の喉、冷暖房風に弱いんです)。寒がり過ぎじゃありませんか? あ、あと、舌に自分史に書いてもいいくらいの大きさの口内炎が出来たのも地味に辛い。

 終に高校時代の体重を大きく割り込んだのは良くないと思い、ちょっと太ろうぜツアー。特講後に3軒のお店をハシゴ。1軒目は18時~19時でイタリアンのバー。ピクルス、ハーブサラダ、小さなピザ。ビールと赤ワイン。2軒目は、19時~21時で小料理屋「A」。太刀魚の酢の物、ブイヤベース、ポテトサラダ、ポトフ、大根の酢漬け、ナスの煮浸し、等々全て小鉢。ビールと日本酒。3軒目はラーメン屋、屋号は失念でK市内の有名店「H食堂」(←未体験)からの独立だそう。ラーメンライス。ビール。

 那智泉見『社畜人ヤブー』読了、★★★。主人公には「坂本ですか?」と尋ねて、「藪ですが」という返事を貰いたい。影響下に無いと言ったら嘘になるでしょうね。「舎蓄」として共感する部分は多々(「学び舎」だから「舎蓄」です。牛舎豚舎鶏舎の意に非ず)。