永らへて湯豆腐とはよくつきあへり

 まっぴぃからのメールで、今年の京大英作文のテーマが「積ん読」だったと教えて頂く。
 「積ん読」とは何か? それは端的に背表紙読書。書名は最も短い本の要約です。書店「逍遙派」として断言。積んでたのをチラ見したタイトルにまたまた目を奪われてしまい、「あ、アンタなんて全然読みたくないんだからっ!」とツンツンした態度を取りながら本音は興味津々で心臓がドクドクしてる状態のことを言うのです。
 まっぴぃからの続報によれば、ぴぃの英会話の先生は「tsundoku」を語彙にお持ちだったそう。但しこれが「ツナミ」「キモノ」の類であるとはとても思えませんので、その先生が日本贔屓の方だったという解釈の方が正しいでしょう。さて、英語では「積ん読」をどう言うのか。そもそも「積ん読」という文化があるのか。横書き書名の背表紙読書は、本棚に立てて置くよりも積ん読の方こそ相応しいように思えるのですが……?

 朝から学校で仕事。中3の授業準備、来年度高1の春休み課題テスト作成(春休み課題テストまでは、中3担当が作ることになっているのです)、64回生の慶應医学部小論文を添削してFAXでホテルに送信、浪人組63回生と進学に関してメール・電話のやりとり、職員室と高3フロアのゴミ捨て……等々をやったら、15時には仕事がなくなってしまい。幾ら日曜日だからって、前期試験終了後にこんなに仕事がなくて大丈夫なのか、これは嵐前の静けさなのか、と拍子抜けというかいっそ不安というか、とにかく身体が空いたなら本を読もうと15時過ぎに退勤。

 ミスドで読書、ミス読書、女性が読んでるみたいに見えますが辛うじて男。手に取った本は青山ゆみこ『人生最後のご馳走 淀川キリスト教病院ホスピスこどもホスピス病院のリクエスト食』。朝、母君との電話で食事に関してお叱りを受け、厳命の形で春休みに冷蔵庫を買うことが決まったのをきっかけに、と「積ん読」から取り出した本。何というか、背表紙読書の時点でこれは絶対揺さぶられるということが分かっていたので、花粉症で鼻と目がグシュグシュ言ってる今がチャンスかも、満員店内で涙腺緩んでも誤魔化せるかも、というのもありまして手に取ったんです。ホスピス患者に対して週に一度行われる「リクエスト食」、思い出の味を忠実に再現すると、食べるもままならなかったはずの末期の患者が生きる力を取り戻す。その「リクエスト食」にまつわる聞き書きを集めた本です。結局、泣きこそしませんでしたが、しみじみ打たれ静謐な気持ちになれる素晴らしい本。★★★★★。「近い未来に『死』が見え隠れしたとしても、人が生きるということは前に進むことなのだ」の言、食を媒介とした、病者と周囲の人々との(哀しみをも含みこんだ)共感の環にこそ「希望」があるということ。さて、私なら何をリクエストするのでしょう、などと考えながら次の本はそのままの流れで若松英輔の随想集。

 夜は「もりき」でHさんと。日曜日に常連さんが釣ってきたという五島のクロを塩焼きにしてもらって半分ずつ。後は鯖寿司と山芋短冊をアテに、瓶ビールと日本酒(「山間」「残心」)。