日本社会と教育の実相を逆照射する!

 本日は(中1・2、高1・2年の)修了式、午後に中3の卒業式に臨席。中3はF中学を卒業の後、春休み明けにはF高校に入学しますので、卒業式の後はそのまま「F高校生になるために」という行事に参加することになります。学年の方針、国数英からの教科方針が語られるんですね。

 来年度の高3現代文担当の先生(国語科の後輩)から引継ぎを頼まれました。卒業式後に密談です。先生は初めての高3現代文なので、お見せできる物は全部お見せしようということで、先ずはセンター・東大・京大・一橋大他、私がこの2年間(63・64回生)で作った全てのプリント原稿を「ご自由にお使いください」と。段ボール3箱分でちょっと重いですが。
 その後、実際に授業や特別講義で使用したプリントをご紹介しながら、どんな風に授業の準備をしたのか、板書や解説はどのように行ったのか、をできる限り詳しくお話ししました。後輩先生からもたくさんの(的確な)質問をしていただき、それによって私の気付かなかった・思いもよらなかった視点を得ることも多く幸せな経験でした。実に2時間超。この先生の授業を受けられる生徒は幸せですね。
 55回生の高3現代文担当は(既にご退職の)国語科恩師先生、56回生は私、という風に今年度64回生まで挙げていったら、ここ10年で私は高3現代文を4回も担当させてもらってるんですね(後の6年は別々の先生方が1回ずつ)。この高3現代文というのは国語科の仕事の中で最も楽しい仕事なので、これは私の我が儘だと言われても仕方ないかも。新中2の学年から、センター試験と共に各大学の二次試験の方式が変わってしまうかも知れません。そうなる前に、後1回は担当したいと思っているのですが、さて。

 夜は、中3担任団主催の慰労会(担任団外の授業担当者がもてなされます)に出席。二次会まで楽しく歓談。

 吉田美奈子『MINAKO YOSHIDA GLORIOUS CONCERT "calling"』、★★★★★。キリスト品川教会GLORIA CHAPELでのライブ音源。歌手、ピアノ、パイプオルガンの競演。DVD化を前提していたライブでしたが諸般の事情(っつったら映像の質にアーティストがノーを突きつけた以外考えられませんね)でお蔵入り、せめてものCDアルバムをライブ会場で販売。実際のライブで耳にした歌声の寄らば斬るぞの迫力は、この実況盤でも健在。パイプオルガンに寄り添うよう・融けこむように歌ったという歌い手の言はありますが、やっぱり声が「勝ってる」感が拭えないのは先入観のせいでしょうか。背筋の伸びる作品。この「寄らば斬る」感が、時におおたか静流に似ていると感じさせる声がそれとは大きく異なっている点でして。付属のブックレットには「爆音で聴け(大意)」という英文が大書されていますが、この注意書きが付された作品を買ったのはKate=Bushの理性的狂気が生み出した『Dreaming』以来です。

 濱中淳子『「超」進学校 開成・灘の卒業生 その教育は仕事に活きるか』読了、★★★。広い世代の卒業生に送ったアンケートをもとに、数字・事例の統計分析があぶり出す超進学校卒業生の実情。最近大流行の進学校本の一冊ですね。
 私が進学校の教員であるという事情はありましょうが、その結論に2000人のアンケートが要るか? という記述ばかりだったところ(特に前半部)はやや苦痛。「受験勉強を頑張ること(中略)は、『人間関係に不得手な知識ばかりのタイプ』になることを意味しない。むしろ学問分野の内容に面白みを感じられるほどの状況に達することが(攻略)」って、こんなの当たり前じゃないですか、と。先日の日記にも書いた末弘嚴太郎の至言「徹底的な理知ならば必ず人間らしいものになる」、これに2000人による追認が必要なのかどうか(数字で示すことが重要なんだ! と言われたら「そうですか」としか答えられませんが)。
 進学校の生徒に対するイメージとして時に目にする「頭でっかちのコミュ障」という紋切り型の造形は、或る種の人々を慰藉する「お約束」的な仮構。世の中の殆どの人は実際はそうではないということを知った上で、それはそれとしてそっとしておく(「お約束」的イメージを建前として用いる)という大人の振る舞いをしているのではないか、と思っているのですがそれは甘過ぎるのでしょうか。その大人たちに対して「そのイメージは大衆の誤解だから改めるべき!」と大声で主張することの意味は?

 前述の新書本を読んでいて面白かったのは、開成・灘の卒業生に送られたアンケートを、一応進学校出身の社会人として自分も答えてみる作業。「現役で大学進学」「大きな苦労せずに(原文ママ)、第一志望に受かった」「大きな苦労せずに(原文ママ)、第一志望に就職した」の全てがYesだったのは我ながら改めて驚く。
 何しろ同級生に太宰府天満宮権禰宜の息子。家柄上落ちるということがあり得ない東大志望という、(額面通りの意味で)史上類のないプレッシャーを受けながら勉強をしている人物を隣りにして「自分は大きな苦労をしている」などと口が裂けても言えません。F校就職に至ってはコネでしかないですしね。
 というわけで、本書の一節、「『現在のキャリアにどの程度役に立っているかという点から、卒業した中学校や高校の教育環境を評価してください』と言われたとき、あなた自身、どのような点数をつけるだろうか」の答えは、「100点満点です。私以外のF校卒業生で100点満点の人っていないのではないか、とすら思っています」