押せば命の泉湧く

 結局23時過ぎまでは全く眠れず、あまり良くない夢に悩まされた浅い眠りの後、1時に目が覚めた後は再びまんじりとも。3時過ぎに諦めて布団を出て、時間稼ぎに長い長い(1時間程度の)入浴。睡眠は少ないですが体調に違和を覚える程ではなく、どちらかと言えば新年度の(初授業の)緊張の方が先に立っています。
 5時に職員室入りで日常性の維持。デスクワーク粛々。例えば昨年度みたいに副担任だったら、授業・教科の仕事しかないから正直持てあます時間もあったりするんですけれども、担任だとそうは行かずとにかく次から次へと仕事が湧いてくるんですね。これ、多分、無限。

 一昨日(9日)の日記に、英語の課題テストはA組と内進組がどっこいなんじゃないか(例年はA組の方が高いのに)、と書いた通りの結果になっている様子。採点中の英語科パイセン先生が、「若しかしたら内進の方が高いかも」と首をかしげておられ。
 私「中学時代の内進組、超がつくほど真面目だったから、先生の育て方が良かった証拠では」
 英「まぁ、7割が課題以外の実力テストだったから、あたしの作問傾向に慣れている方が有利というのはあるかも」
 私「3割が課題問題、そのリスニングでA組が割と苦戦していたように監督をしながら思いましたが。あれ、聴いてたら楽勝の問題だったでしょ?」
 英「うん。あれは出来ないかん。外進にいきなり聴いてない人がいたってことで、そこに関しては『舐めんなよ』と思ってる」
 私「調教してやって下さい。伸びますから」

 1時間目は課題テストの最後の科目である数甲(の監督)。2限目は学年集会。3限目はHR活動で、先ずはコーラス担当の生徒が司会をしてコーラスの曲決め。多数決で、「大切なもの」「3月9日」の2曲に決まりました。その後、先日の「おにぎり」案が保健所無双の一発却下を食らった食品バザーについて店長が司会で決の採り直し。店長さん、軽薄な私なんかが見てたら心配になるくらい真面目に仕事をして色々考えておられるので、ちょっと固い人なのかなぁと思っていたんですけれども、司会中の「このまま保健所に屈するのは癪なので、是非前例の無いものを考えたいです」という言葉で固いんじゃなくて熱いんだということを知る。でもって、それに対して「海鮮丼は?」「思っきり生じゃないか保健所に潰される!」という誰かのやり取りが続く今年の1Aにはもうちょっと例年の固さと真面目さとが要ると思うのよ。保健所への復讐(ふくしう)じゃなくて、課題テストの復習(ふくしふ)をしましょ~ね~。
 因みに、「僕の祖父が農家で米を供出できます」「うちは芋なら」という有徳の士がおられ、取り敢えず仕入れの段階では例年に一歩リードしているA組です。あ、売るのはハヤシライスと大学芋とに決まりました。

 5限・6限で高1現代文の初授業。形式も内容も初めてづくしの授業に、高1諸氏はどういう感想を抱かれたのでしょうか。「よく喋る男だねぇ」と呆れられたんじゃないかなぁ。
 扱った教材は鈴木忠志「過疎村のこと」。豪雪と合掌造りの利賀村において歴史の必然として止まらない過疎化を、それでもくい止めたい・村に残る人の為に最善を尽くしたい、という村長の「意志の自転車操業」「シジフォスの努力」に筆者は「敗者の頑張り」を見る。
 私は、この「敗者の頑張り」「虚しい情念」「シラけつつノル」「醒めつつ淫す」という両義性が人間の生の基本だと(勝手に)思っているので、初めて現代文を担当する学年の最初の授業では必ずこれに類する文章を扱うのです。

 あと、最初の授業なので、担当者である私が考える「現代文とは何か?」の定義も披露しました。「現代文」というのは最もその輪郭が漠然とした科目なので、そこに輪郭を与えておく必要があるのですね。
 で、今日の授業で提示した現代文の定義は【「身分け」と「言分け」とを媒介的統一に導く文章】です。「あの経験にはそんな意味があったのか!」と、経験で既に得ている知を概念化してくれる文章は現代文。「何を言っているか全然分からないけれど、何か自分に関係がありそうな気がする」と、いずれ訪れる経験知を予感させてくれる文章も現代文。過去理解か未来予感か、現在の文章がいずれかの形で現実を生きる生き身に役立つならそれが現代文です。だから、その両方の意味で自分には関係が無いと思う文章については、定期試験が終わったらポイしちゃって下さい。

 夜は久しぶりの小料理屋「A」。ビール2杯に日本酒を2合。30分の徒歩帰宅の途中、まだ入ったことがなかったK市の人気ラーメン店「D」にて〆のラーメン。