きみは、ほんとうは、いい子なんだよ!

 東京最終日、本日は品川駅でお土産を買ったら後は新幹線で西へ帰還するだけの移動日なのですが、K市までは戻らずに小倉で下車して実家に1泊します。どうせ来週水曜日にお会いするのだからいいかな、とも思ったのですが、その時はK市のS病院(入院してガンマナイフ施術)ですからねぇ。

 品川駅で野菜カレーを食して、お土産はHさんに「品川珈琲」、今回は1杯立てのパックを自分でも購入してみました。あと、「もりき」へのお土産もそのパックと、コーヒー豆の入ったチョコレートと。マスターのご子息ご令嬢へのお土産、いつもいつもベタ甘なお菓子ばかりだったんですが、そういえばお姉さまはもう大学生になられたんですから、と新機軸。

 山田玲司『年上の義務』読了、★★★。ホリケンの傑作『若者殺しの時代』とまでは行きませんでしたが、年上の義務を「愚痴らない・威張らない・ご機嫌でいる」という3つに抽象したのは素晴らしいと思います。これは、教員の義務でもあります(私はF校しか知らないので、F校の教員の義務という意味です)。
 こういう本が書かれる前提には「日本には年下の義務だけが罷り通っている」という問題意識があるのでしょう(というか、前書きにそう書かれていました)。確かに、昨日ご一緒した64回生Tくんも私が豚しゃぶサラダを取り分けただけで困っていました。「ごめんなさい」って言うんですけど、そこ、ありがとうじゃない? って。サークルやクラスコンパで先輩・上クラの人と隣同士になったときにいちばん困るのはそこだそう。
 私は個人的には年上の方が義務を多く負うべきだと思っています(年上の方が何につけても余裕があるんだから)。これは仕事柄なんでしょうね。63回生我らがA組が高2高3だった時の「黒板くらい君らが消しても良くない?」「先生はトイレに行った後でお尻を人に拭かせる?」というやりとり(大意)は面白かったし、正しい指摘だと思っています。でもって、本書は、それを年下への「迎合」だと思ってしまう年上軍団が、いかにして組織集団における影響力を失っていくのかを論じているんですね。

 最近、30~40代の先生の中に「無駄」を口に出して批判する方が出始めました。仕事の過剰は良くないですから、そこにおける余計な手間を省いて、という手順はとても大切なのだと思いますが、その改善は口に出さずに黙って行うべきではないか、と若造の愚考。なぜなら、教育は定義の中に無駄と過剰とを含み、無駄の否定は教育の否定だからです。私は、職場では「無駄」という言葉を絶対に使わないようにしています。
 その点、私の尊敬するベテラン体育先生は凄いですよ。数多い口癖の中でも最も強力なものだと思っている「面倒くせぇ!」というのが上記教育力の象徴です。この言葉、用法は以下の2つ。
 ①会議等で生徒が損をするからやってはいけないことが提案された時にそれを棄却する。
 ②やってもやらなくても良さそうな仕事をご自身が先陣きってなさる最中に後続の若手の不満を代弁する。
 「年上の義務」と「無駄」との絡みで思わぬ方向へ文章が進んでしまいましたが、その間に新幹線は小倉着です。

 小倉の実家で母君とお話をしながら、夕食は炊き込みご飯とにゅうめんと。実家滞在なので休肝日。私も母君も習慣通り早々に布団に入ったのですが、私の方は何気なくつけたテレビで偶然流れた『トットてれび』の満島ひかりの演技(語り)のあまりの素晴らしさに魅入られてしまいました。これは、来週以降も録画予約しよう。