どうせアッチシ ナミダのオヤジ

 5月も中頃になって、初めてF校職員室若手会の新年(度)会をやっていないという事実に気づく。
 私「どうしよう、今年まだ若手会をやってないですよ」
 英「幹事役が忘れるくらい疲れてるんやったら、もうやらんでもいいんやないと?」
 私「っていうか、実はもうとっくに開催されてて僕が声もかけられてないだけかも知れん」
 30代後半ズで大笑いしましたが、実際若手に聞くのは怖いなぁ。ってかこの書き方、既に自分を「若手」に入れてないよなぁ。そもそも毎年幹事やってるのに、今年は忘れてしまった、って時点で既に若手の資格を失ってるのか。

 例えば内山節の時間論の解説冒頭に「去年今年」虚子句を投げ込む等、評論の解説に短歌俳句を援用することはしても、短歌俳句それ自体を授業で集中的に解説することはしないと決めています(古文ではやりますよ。現代文の話です)。教科書の俳句・短歌教材は解説無しで任意の一句(首)の鑑賞文(若しくはそこから想起した物語)を書くという表現実習で使うことがほとんど。
 ですが、今年は敢えて趣旨替えしてでも詩歌を扱おうかという誘惑。理由は非常に外発的で、立ち読みして即買いした歌人・山田航『ことばおてだまジャグリング』がとても面白そうで、その中で「けつだいらアウォード」が真剣に分析・展開されている箇所をどうしても授業の資料として配付したいから。まだ1割も読んでいませんがこれは好著。しばらく取っておいて、何かのご褒美読書の折に取り出しましょう。

 本日は母君がK市にお出でになる日。S病院に2泊3日で、一昨年12月に続いて2度目のガンマナイフ施術です。本日が検査、明日がガンマナイフ、明後日退院。
 授業が詰まっており、放課後17時からは生徒面談があったので、その後急いでタクシーに乗ったものの結局病室の母君にお目にかかれたのは18時前。個室で20分程お話をした頃に夕食(はっきり言って、病院食ってマズそうですね)が届いたので、明日の朝(施術前)と夕方(施術後)とにまた顔を出すことをお約束しておいとま。

 夜は「もりき」にて。Hさんに最近お気に入りの小料理屋「A」をご紹介したく、明後日の夜のお約束を取り付けました。