人は自分を 生きてゆくのだから ネクタイを少しゆるめ

 これを言うと浪人前提(覚悟)ででも子供を医者にと決めてるお金持ちの保護者は渋面するかも知れませんけれども、浪人って親の目の前で100万の札束幾つかを燃やす行為ですよ。お金持ってるお父様やお母様もそこはきっちり言っておかないと、大学に入学したご子息ご令嬢は直ぐにオプショナルツアー(留年)を申し込んだりしますよ。立花隆が旧著で留年を礼賛してましたけど、あれは学費がほぼゼロだった大昔の話ですよねぇ。
 ってなことを言いながら、昨日と今日(と明日と)のネクタイは一浪して医学部の63回生Hさんから(卒業後に)贈られたもの。お医者様一家流石、自分じゃ絶対買わないというか買えないGUCCIです。彼女は現役の時に書いた志望理由書・自己推薦書が素晴らしく、こういう人にこそ是非医師になってもらいたいと私が思った希有な例。通院・入院の母君とK市でお会いする時には、験担ぎにこのネクタイを選んでいます。

 5時入りの学校で担任業務と日記更新と。7時前にタクシーで学校を出てS病院まで往復。ガンマナイフ前の母君と軽くお話を……と思っていたら思わず30分近く喋り込んでしまいました。二度目とは言え緊張の母君は夜中の1時頃に目を覚ましてしまい、夜勤の看護師さんと1時間ほど話し込んだそう。それで随分気持ちが落ち着いたということで良かった。本来の予定では母君は本日2人目の施術で、1人目が終わるのを頭に固定器具をつけた状態で待っておかなければならずそれが憂鬱だったそうなのですが、1人目の方が直前に施術拒否(キャンセル)なさったということで急遽朝一の施術が決定。癌の手術にこういう言い方はあれですが「運が良い」。
 夕方再び顔を出すとお約束して学校にタクシーで戻り、8時から30分間はクラスの寮生某と面談(某氏はF校の数学教師になるのが夢だそうです。それは勉強しないと)。

 本日は授業無し。放課後17時の生徒面談以外は仕事のノルマがないので、午前中に2時間の年休を取って行きつけの美容室で散髪。の途中で、東京のオツカル様からTwitterでメッセージが。
 オ「今日何故か夕方に福岡にいるけど流石に会えなさそうですね!」
 私「使える時間帯、具体的にplease」
 オ「今日の16時くらいに福岡空港ついて、よきところで熊本に戻る感じでする。いちお日曜まで帰省する感じであります」
 私「博多18時、どや?」
 オ「のった!」
 私「じゃ、委細後程」

 放課後の生徒面談を昼休みに前倒しして、帰りのSHRを副担任先生にお願いする。母君のお見舞いを16時からにしたら、18時には博多でオツカル様と合流できるという算段を立てて学校に戻る。
 面談生徒は偶然昼休みが空いており、帰りのSHRを副担任先生が快く引き受けて下さり、博多で飲むならここしかないという「太郎源」が当日15時の電話にも関わらず偶然カウンター2席のみ空いていたというコレシカナイ感。

 16時から年休を取り、先ずはタクシーでS病院へ。ガンマナイフは脳に放射線という治療ですので、なんて非科学的なと嗤われそうですけれども施術前と施術後で人格が豹変してるとか記憶が欠落してるとかいう妄想レベルの可能性まで考えながら怖がっている私、をよそに母君は至って元気そうなご様子。施術直後から仕事に関する電話対応に追われておられたそうです。
 「今日は、Y子さん(←母君への二人称)の治療も無事に終わりましたし、息子さん(←私の一人称)の友達の新しい就職先が決まりましたし、二重三重に嬉しい日なのです」とは私から母君への言。翌日に仕事を控えて博多移動(で宴会)の私の身を母君は大いに案じておられましたがこれはご自身のご病気の裏返しで、本来身を案じるべきは私の役目ですね。

 西鉄で天神に出て、地下鉄で博多。待ち合わせの駅交番に10分前に到着したら、既にオツカル様はお出でになっており「どうせ早く来るだろうと思ってた」と社会人の発言。
 脱タマネギ剣士で週明けから虎ノ門の通勤人、この報告を何年待ったことかと乾杯。オツカル様と「太郎源」は3度目かな。刺し盛り、ゴボウ天、マグロカマ焼き、佐賀牛サラダ。一週間前に東京で会ったばかりだし、何よりいよいよ脱タマネギ剣士だし、話題は専らオツカル様の新しい職場の話。出版や芸能、舞台関係の職を経験しているオツカル様の職歴は、今度の職場(ちょっと変わった業界)にとっては「喉手」状態の金の卵だったようで、待てば海路をお祝いのビールと日本酒とが進む進む。

 オツカル様の熊本帰省は地震後初とのこと、遅くなりすぎないうちにお別れして、新幹線・タクシーで自宅に戻る。
 皆が日常性の維持です。