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オーロラの舞う平原 手に手をとり

 割と健康的に起床できたのですが、これまた飛行機初心者の私が朝の荷物準備、入浴、なんぞを時間感覚のはっきりせぬままゆったりと行った結果、モノレールが空港に到着するのが離陸予定時刻の15分前という結果になり。荷物検査のゲートの方に「もう締め切っております」と言われたのを頼み込んで通してもらい、高1Aにも「もりき」マスターにもHさんにもお土産を買えぬまま、何とかスタンドでお茶だけ買って搭乗口に着く、と、まだ乗客の大部分は飛行機に乗り込む前で、優先権がある人から機内に入っていく段階でした。余裕なんじゃないか、というかどうせ離陸も予定時刻より遅れるんでしょ? ってなもんです(実際、かなり遅れました)。

 発射から墜落までの記憶は消去。

 高速バスでK市へ移動し、K市に着いたらそのままタクシーに乗り込む。行き先はK市内の高級ホテル「S」で、本日はK市地区の地区保護者会が行われるのです。
 地区の保護者会に教員が参加するのは(先週の福岡のように)講演者として呼ばれた場合のみということになるのですが、私は今回、幹事の保護者の方に頼み込んで呼ばれてもないのに自費(慈悲)で臨席することを許可して頂きました。来賓として講演なさるのが、国語科恩師先生なのです。

 今年のK市地区の幹事(高2保護者)にF校の卒業生、恩師先生の教え子がおられ、先生を是非にという運びになったそう。先生のご退職から7年以上過ぎ、先生を知る在校生・保護者は皆無ですし、そもそもご退職後の恩師先生は公の場の全てを断ってこられていますので、幹事の方々は交渉難航も予想されたそうですが、先生は教え子の頼みなら、と快諾。
 私も、お手紙の行き来は頻繁ですが、先生のご退職後にお会いするのは(偶然のすれ違いを除けば)ほぼ初めて。これが最後になるかも知れません。幹事の方から告げられた私の参加条件は、先生の講演前に講演者紹介をすること。

 恩師先生のご紹介。
 「国語科の池ノ都です。本日は恩師先生のご講演を伺いたい一心で、呼ばれてもいないのに伏してお願いの上、自費で参加致しております。職権濫用です。恩師先生は、40年の間毎日、7時に図書館を開けるという形でF校の一日の始まりを告げられました。図書館長というお立場です。図書館は、本というコンテンツで生徒の知的刺激を促す一方で、暗がりだらけの構造上、行き場のない生徒が隠れるアジール(聖域)としての性質も持っていました。図書館長、そして生徒相談室というもう一つの聖域の管理を担当なさった先生は、生徒のアジールの守護をお一人でずっと引き受けてお出ででした。図書館長というお立場故、持ち上がりで学年を担当なさることがなかった先生は、30年以上に渡り高3の国語の授業を担当なさり、F校の殆どの生徒の知を見つめて来られました。ある卒業生、55回生の文系から東大に行った方でしたが、先生の授業を『オーロラ』に例えて卓抜だと思ったことがあります。とても美しい、素晴らしいことが言われているけれども、難しくて意味が分からない。これが『オーロラ』です。これは凄まじいことで、何だか分からないけれども、素晴らしいものだということだけは分かる。こういう体験を日常の中で継続的に得られた生徒は、未知に対して前傾姿勢が取れるようになるのです。未知への前傾姿勢は、多くの教員が教えたくて遂に教えられないものの一つです。何故ならそれは教えるものではなく、己を見せて誘発を促すしかないものですから。私は劣化コピー、或いは似てない物真似芸人として『かつてこんな素晴らしい先生が居られた』ということを生徒に伝え続けています。とは言え、劣化コピーや物真似では足りない、やはり本物をご覧戴くのが一番です。聞いて戴ければ分かります……あ、分からないということが分かります。今日はここにお出での誰よりも私が楽しむ自信があります。ご紹介スピーチ、光栄でした。それでは恩師先生、宜しくお願い致します」

 K市地区保護者会は、先ずお一人目の来賓(卒業生で、56回生が中3の時に進路講座に来てくださった小児科医のA先生)の講演、会食(校長先生による乾杯)、恩師先生の講演、という流れ。ご講演は勿論、会食時の席も隣同士で長くお話をさせていただくことが出来ました。幸せな3時間でした。
 途中、来年の幹事学年(要するに、我らが67回生高1)のお母様がご挨拶に来られた際に「来年は池ノ都先生にご講演をお願いしたく」と依頼されたのにも秒で諾、のお返事(よろしくお願い致します)。職権濫用で無理矢理席を作って戴いたのだからそれくらいは当然。無償でもいい程です。

 会の後は、15時~17時で、近くの(昼から空いているK市名物の居酒屋)「K」で読書独酌。帰宅後は、旅行疲れを振り払うためにひたっすら昏々。

 旅行中の読了本、以下。
 苫野一徳『子どもの頃から哲学者 世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」!』読了、★★★。タイトルは本当、サブタイトルは嘘。気鋭の哲学者の半生自叙。教祖だった時期がある(その名も「人類愛教」!)ってだけで普通の人生ではないのは自明、何回も何回もお好み焼きをひっくり返すみたいに人生が反転していく躁鬱者が如何にして哲学に救われた(掬われた・巣喰われた)か、という履歴。欲望と能力とのギャップが人間の不幸で、それは欲望を変える(下げるに非ず)ことで逃れることができる、それが人間の希望である、というのが筆者の到達点。私には「そうですね」としか言いようがない事実で、12才で母校に帰る決断をした(その能力はあると自認していましたし、それ以上の欲望はその瞬間に捨てました)という人間はそれを子どもの頃から「身分け」ていたのですね。これは勿論善し悪しで、私には筆者のように紆余曲折から体得した「考える力」は皆無なのですから。
 東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由2』読了、★★★★。こっちのシリーズの方が私には哲学だと思われます。文章の主語から「僕たち」という複数形が消えましたね。
 内田樹白井聡『属国民主主義論』読了、★★★★。6~7月に集中して著書が出まくっている内田先生、幾つかの本で全く同じ話題が出てくるのもこれは仕方のないことで、姜尚中との対談本と同じ話題がこの本にも。そして、この本と同じ話題が次の『やっぱりあきらめられない民主主義』にも出てくるのでしょうね。
 天久聖一『書き出し小説名作集 挫折を経て、猫は丸くなった。』読了、★★★。大喜利でもなく、無論飯田茂実『一文物語集』のようなプロによる芸術でもなく、今イチ何がしたいのかよく分からない企画だなぁ、という感想。例えば、「本館と新館の間に雪が降りしきる。」が好きなんですけど、これなんてもう「書き出し」というより俳句なんじゃない? みたいなね。因みに、この作品を読んで「これは小倉だ」と直観しましたが、果たして最後の投稿者解説でそれが当たっていたことを知りました。こういうのは伝わるんです。
 此元和津也『セトウツミ(6)』読了、★★★★★。結局これがいちばん面白いわけでして。映画のホームページを見ましたが、倉本美津留板尾創路の2人はコメントがズレてて一寸気になりました。
 原克玄『るみちゃんの恋鰹(2)』読了、★★★。直前に読んだ漫画(『セトウツミ』)が圧倒的だった分をさっ引いても、もうそろそろ限界が近いんじゃないのかなぁ、と。