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彼女は存在しない

 進路講座(中3・高1向けの、多分野の卒業生による学生・社会人経験を踏まえた講演)の準備開始。今年度はついに、初のOGとして56回生の才女が続々と登場します。法科大学院、大企業、日本銀行や省庁……と懐かしくも錚々たるメンバーです。彼女と彼女とは同日はやめとこうかな、みたいな地味な配慮があったりするのかな? とか穿ってみたりもしますが(私は手配していないので判りません)。

 現代文で清岡卓行『手の変幻』を。ミロのヴィーナスの話ですね。私はこの文章を想起するといつも、美少女アニオタだった(←現在進行形かも)ある卒業生が発した「彼女は確かに存在しません。でも、居ないから居なくならないんです」という至言を思い出します。本文中でヴィーナス像の両腕喪失について「部分的な具象の放棄による、ある全体性への偶然の肉薄」と筆者が評する箇所があるのですが、これって要するに脳内補完のことを言っているわけでして。天才詩人によって、オタクは半世紀前に既に許されて(賛歌を歌われて)いたのです。

 夜の「もりき」で、日曜に33回生の先輩6人と飲んだ時に、H先生が「こういう時のために開けるのを待ってたんだよ~」と仰有ったウィスキーをご相伴したんですけれども、その瓶のラベルに書いてあった「BRORA」という言葉を何気なく検索して鼻血が出そうになりました。「うわっ、強っ、きつっ!」と内心で思ってた自分を殴打したい。だいたい、私、何万円分飲んだんでしょう。豚に真珠たこのことだ。

 國分功一郎『民主主義を直感するために』読了、★★★★★。哲学者には二通りあるようで、例えば故・池田晶子は「直観」の人で、日常の無思考に「メタフィジカル・パンチ」を食らわすタイプ。で、國分氏は同じ哲学者でも行動の人、教育や住民運動やの現場での実践・見聞を呈示しつつ読み手に現実(本作では「民主主義」)への「直感」(としての違和感)を促す。「教員は働きたいのであって、働くフリをしたいのではない」(白井聡との対談)と、「辺野古を直感するために」との2つの文章が秀。