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鼠とびだし はしゃぎまわって

 授業は高1Aが1コマだけなのですが、会議があったり面談があったり集会で喋ったりと、ちょこちょことした仕事が色々ある一日で、こういう日の方が一所に留まれずにそこかしこに動き回らないといけないのが面倒臭かったり。

 7限の学年集会では、昨日の成績検討会議を受けた教務部講評を語る必要がありまして。その原稿を学年通信に載せることになっているので、枕と本題とを合わせて4時間目にさらさらと。以下、「枕」を転載します。
 【第4回定期テストの現代文では、「自己とは物語である」という教科書概念を問いました。自己の過去を見つめてその来歴を他者に語り、それが他者に承認されることで自己は単なる独りよがりに終わらぬ社会的存在になる、という内容です。
 毎年、高3の理系生徒が、防衛医科大学校の二次試験の「面接シート」の添削を依頼して来ます。防医の二次試験では事前に書いた「面接シート」を提出し、面接官はそれを読んで受験生への質問を考えるのです。文章は2種類で、「防衛医科大学校は~」で始まるものが1つ、「私の将来の夢は~」で始まるものが1つです。
 さて、毎回、最初に出された文章を読むと大抵がっかりします。「防衛医科大学校は~」で始まる方の文章が、防医がどんな大学校であるのかの説明を、Wikipediaから要約したような形で書いてくるものばかりだからです。何故この内容にしたか訊ねたら、高3生は返事に詰まります。
 高3生が「防医についてのWikipedia要約が書くべき文章だと思った」のなら意識が低いと言わざるを得ません。「書くべき文章かは分からなかったけれど取りあえず書いてみた」という人もいますが、そういう人は大抵の場合提出するのが遅すぎることが多く、二次に向けて関東に出発する前日だったりするのです。
 Wikipedia要約が「面接シート」にふさわしくない理由は2つ。即ち、「その内容の全てを面接官は既に知っている」「その内容が受験生について何一つ説明しておらず面接の手がかりにならない」 要するに、相手にとって情報価値がない。当然の話です。
 その場で書き直し方を指南します。防医がどんな大学校かは数行でまとめれば十分。その上で、そこで学ぶ意志が生まれた理由、その環境で自分が学び輝ける理由、つまり自分が「やりたいこと」「できること」の2つを己の過去をしっかりと見つめて考え、文章では「決断へ向かう来歴」を物語れ、ということ。要は、今回の現代文の教科書の範囲です。
 さて、今お話ししたWikipedia要約が「面接シート」にふさわしくない2つの理由、これを即座に思いつけなかった人は、医学部志望に留保をつけた方が良い。それについて先日のテストで考えたばかりなのに、「自己とは物語である」という概念を現実に活かせないのは、そもそも「物語る」行為に対し感度が低いということを意味するからです。一旦はテストを受けて考えた以上、「授業を聞いてなかった」という言い訳は通用しません。
 臨床医は、身体が別々故に絶対に共有できない患者の「痛み」を、「ことば」のやり取りを介して想像的に理解しつつ治療法を探るという「コミュニケーション」に身を投じます。相手に「ことば」を「物語る」意識が低い人には不向きで、「国語が苦手」ならまだしも「国語が嫌い」な医師というのは実は形容矛盾ですらある。「手に職」が欲しいだけならその意味の「ことば」から少しでも離れるべきで、理・工学部でも何らかの技術は身につきます。銀行員のミスはせいぜい数千万数億の損失ですが、医師のミスは人を殺します。
 そして、「文章なんか書けなくてもその時になれば国語教師が助けてくれる」と一瞬でも甘えが兆した人は即座に医学部を諦めて下さい。他者を救う職業は無理です。
 進路を考えるというのはこういうことです。第4回定期テストは文理の大きな判断材料になる行事ですので、全体講評に先んじて、現代文に絡めた進路の話をしました。さて、それでは全体講評に入ります。】
 引用以上。以下の本題は不要ですね。略。
 あ、因みに、もしかしたら「wikiの要約」でも良いのかも知れませんけどね。そうであるなら防医の意識が低いというだけの話です。

 夜は「もりき」で湯豆腐。小上がりに常連の市役所さんご一行、鴨のパーティー。日本酒は「雪の茅舎」「風が吹く」「残心」。明日は授業5コマなので早めに帰宅。
 明後日の飲み会(大人5人)の幹事を頼まれたので、お気に入りの肉料理屋「I」を予約。「もりき」で鴨というのも一瞬頭をよぎりましたが、その日は既に小上がりの宴会が入ってるそうです。シーズンですね。