ホテルで逢ってホテルで別れる

 永江朗『東大vs京大 入試文芸頂上決戦』読了、★★★。
 東西を代表する国立大学の入試現代文過去問から当時の出題者の時代・社会意識を読み解きつつ、両者の入試問題のどちらに軍配を上げるかを考えようという試み、は面白いに決まってます(特に、私のような「フェチ」にとっては)。過去問70年分を集めて検討するという作業量にも敬意。なんですけれども、この仕事なら例えば斎藤美奈子氏にお願いしたかった。
 営みが想像力の勝負故に時に牽強付会が過ぎることは仕方のない許容の範囲内だとしでも、その想像の一助としてせめて解答を実作することはして戴きたく(難易の主観的判断について軽く言及するだけでは足りないと、斎藤氏なら感じてくれたのではないかと思います)。第三者の立場(外……これは、現在から過去を眺めるという意味の「外」という意味に加えて別に、受験というシステムの「外」という意味です)から眺めるだけでなく、実際に解答する立場(内)からも考えるという態度があれば、内容・分析に深みが増したんじゃないかなぁ。例えば、両学の入試問題の差異の分析は、解答欄の大きさの違いを明らかにするという形式的側面からも行わなければならないと気づくか、とか。とは言え、(問題・解答解説のみを収録した)赤本頼みの資料(過去問)採集だったという所に限界があったかとは思いますけれども……。
 後、タイトルに「文芸」という語が使われていることからも分かる通り、「現代文」という科目が求めている力に対する認識が(良い悪いは別にして)やや「古い」ですね。
 とは言え、今現在の視点から読み物としての入試の面白さを考えるという筆者の立場に立てば、あとがきで下された軍配になるのは「そらそだわなぁ」って感じかな。

 さて、定期テスト最終日。私は初日出題の現代文採点・集計が終わっているので、監督業務だけで楽ちん。他に、高3文系某くんから京大後期の小論文添削依頼が来ていて、これは本腰を入れてゆっくりと取り組まなければなりません(月曜日に面談予定)。

 テスト3限の後は、高1全員がすぐに市内某ホテルに移動して、ランチコースを食べながら(家庭科の授業の一環としての)テーブルマナー講座です。誰かの受け売りか半端に小金持ちなのか、生徒の中には「ホテルのクソ不味い料理やろ? 興味ないわ~」とか言ってるのもいますけど、「そりゃママのお弁当程ではねぇ」ってなもんで、何だかんだ言って始まったら皆さん美味しくお召し上がりになるんですね。
 さて、私が高1担任団に加わるのは56回生、63回生に続いて67回生が3回目なので、テーブルマナーの出席も3回目のはずなのですが、なぜかこれが2回目なんですね。理由は簡単で、56回生の時は直前のどっかのクラスの授業が余りに騒がしかったのにキレて途中で帰っちゃったんで、授業サボってイベントだけ出るのもあれだし、と参加をドタキャンしたんです。だから2回目。
 つっても、私は面倒臭い人間ですからね。一日一食と決めているその「一食」を酒も飲まないイベントで消費できるかい! ってなもんで、教員テーブルのフルコースは隣席に座る若手柔道先生に「柔道くん、僕の分も食べて! 宜しく!」「は、はいっ」ってやりとりで全投げして(ああ、先輩の強権!)、行事の間はひたすら自分のクラスのテーブルをぐるぐる回って「生徒観察」してました。修学旅行とかでもそうなんですけれど、生徒が物を食べてるところ見てるの、これが結構面白いんです(A組生徒は内進の先生が呆れるほどお菓子が好きな子が多く、休み時間にいっつも何かを飲み食いしてるんで、よく「観察」してます)。
 例えば、スープと一緒に出されるパンを魚・肉料理の皿が出される時点まで残しているテーブルもあればスープの時点で貪り食い尽くしているテーブルもあるとか、コーヒーを飲める子飲めない子砂糖ミルクを入れる子入れない子入れるなら砂糖をどのくらい入れるのかとか(スティックシュガーをそのまま口の中に注いでる阿呆も居ましたね)、挙げる例は2つで十分で他にも色々。あと、A組の生徒ではありませんでしたが、学ランを礼服風に折り曲げて、下のYシャツに手作りの蝶ネクタイを着けてる男子が居ましたね(A組の女子何人かに「可愛い!」と遠くから誉められてました)。

 13時~15時のイベント後は、喫茶店と居酒屋とをハシゴして読書。永江朗を読み終わった後は、またまた教員っぽい新書に手を出して、酔いが回って来たら漫画に移るという。