達磨林檎

 0時過ぎに目が覚めて、何故かず~っと寝られないまま2時頃からは諦めてベッドで読書。徒然なるままに出勤は5時。本日は9時から長い(新年度を控えた)職員会議なので、それまでは自由にデスクワークを。
 職員会議は、新校長先生(Wikipediaに立項されている著名な言語学者)の挨拶から始まり、新年度を控えた各部・学年からの所信表明や事務連絡がず~っと(途中休憩を挟んで)続きます。昼過ぎまでかかる職員会議が終わった後には、職員室の机の大移動(私は高1エリアから高2エリアへ移動)が行われて正しく上を下の大騒ぎです。

 で、例年ならあ~仕事が忙しかった、明日は新クラス(高2B)の教室準備だ、で一日を終えられるんですけれども、今日はそうはいかなかった。というか、職員会議の途中から引っ切りなしにかかってくる私的な電話に対応しなければならなくて気が気ではなかったというのが正しく。

 会議の休憩時間に事務室から「外線電話あり、折り返しの電話を至急」という伝言を受けたのですが、その「外線」が母君の職場(介護施設)からだったのを見て嗚呼、と。睡眠過多でもないのになんで眠れなかったんだろうと思ってたらやっぱり同時刻に垂乳根の人が苦しんでいたからなのかしら、なんて瞬間的感傷。
 まぁ、職場からの連絡があるとしたら「倒れた」に決まってますね。
 というわけで折り返しのお電話を差し上げたところ職場の同僚(母君の部下?)の方がお出になり、果たして通院先の小倉の病院(自宅徒歩2分、最初に肺癌の手術を受けた病院)にて動けなくなり、今は車で職場まで運んで休ませている最中だという話。症状としては、頭のしびれや味覚障害や空嘔吐きやというのを伺っている(というかこの間実際に拝見した)のでそれがどのようなものなのかは想像出来ます。

 一旦電話を切らせて頂く。
 母君が現在お世話になっているF校親玉大学病院に電話で問い合わせをして、動けないので来週のMRIまで入院をさせてもらう等の何らかの処置は出来ないかを問い合わせたものの(大病院ですから当たり前ですが)ベッド不足で不可能なので12日のMRIを待って欲しいというお返事。
 それではと過去2回のガンマナイフを受けたK市内の「S」病院へ電話をして、過去の2度の施術歴と現在の症状とをお話しした上で本日CTを撮ってもらえないかと聞いたら「諾」の返事。

 再び母君の職場の方(S氏)にお電話を差し上げてその旨お伝えしたら、何とも図々しい話ですがS氏が直接小倉からK市(「S」病院)まで母君を運んで下さるとの話。母君の様子も眼前ではないので詳しくは分からず(だから悪い方にばかり想像が及び)、かつ車の運転も出来ないので直接役に立つスキルを持たない私は、一も二も無くその提案にお縋りしました。

 という訳で、14時までかけて職員室の引っ越し、15時までデスクワークをした後、16時前「S」病院合流の目途でタクシー移動。母君を送って下さったS氏・T氏にご挨拶と御礼をしてから母君を引き取る。真っ直ぐ歩くどころか立っているのもお辛いというご様子の母君は車椅子に乗せられており、流石にそこは介護のプロ、S氏・T氏の誘導と声かけとは巧み。
 母君はと言えば、そもS氏が気働きで私の職場に電話をして下さったという成り行きをご存じなかった(恐らく説明は受けたのでしょうがご自分の身体の苦しみでそれどころではなかった)ご様子で、頻りに私に迷惑をかけたと謝ってお出でで。ただ、数日前よりも更に酷い症状(立てないのと空嘔吐きの多発と)なのは瞭然で、私も狼狽を隠してお話しをするだけで精一杯です。

 で、こういう時に勉強をしていない(緊急事態に関する心構えや知識やを備えていない)人間の弱さが出る。「S」病院の窓口でCTをお願いしたい旨(電話応対では出来ると仰って頂いた旨)をお伝えしたら、窓口の方が「そんなはずはない」という反応だったのに対して、クレーマーレベルで文句を云えなかったのは今でも後悔。
 先ずはと看護師の方による聞き取りのテーブルに連れられて、味覚障害(に伴う絶食状態)・脳のしびれ・高血圧、等々の症状を1からお話しした結果、ここでもやはり12日のMRIまで待った方が良いという結論が導かれてしまい。「それでは、具体的には食べずに嘔吐いて歩けない状態で、我慢しろということでしょうか?」と聞いたら「はい」とまでは言わないけれども否定されないのだからこれは仕方ない。母君の希望で点滴だけは受けさせてもらえることになったので、処置室で点滴を打ってもらっている間に、私は「S」病院にほぼ隣接しているホテル「T」にツインの部屋を急遽予約しました(二人で一緒に泊まります)。S氏・T氏が小倉にお戻りになった今、母君は小倉に帰る体力を持っておらず、歩けない車椅子の状態ならタクシー15分の私の家よりも隣接ホテルに泊まらせるべきだという判断です(嗚呼、我が家にはまだ冷蔵庫もない!)。
 要は、これならわざわざ小倉からK市に移動させる意味は無かったんじゃないか、という話。痛恨です。帰る手段も(現状では)無いし。母君の職場の方が方々手を尽くして下さって、月曜日からなら入院措置がとれるかもしれない病院を折尾で見つけて下さったそうですが、それでも最低K市で4泊はしなければならない。

 ホテルの予約とは別に、職場の仲良し事務嬢さんに電話をして、急遽買い物につきあって頂くようお願い。ポカリスエットや野菜ジュース等、固形物が取れない母君の栄養物を買うのとは別に、数日以上こちらに滞在することになった場合のことを考えて下着類を購入しておこうと思ったからです。これは、私には買えない。私「パンツ買ってくれたらビール奢るから!」 嬢「言い方!
 19時過ぎまで点滴がかかり、お迎えに上がった母君をホテルまでお連れする。私の足で歩けば1分ですが、手を繋ぐというよりもはや肩を貸す状態でやっと歩ける母君とですのでこれはもう千里。

 母君をホテルのベッドに寝かせ、枕元にポカリスエットやミネラルウォーターを配置。直ぐにお休みになるよう促して、私はタクシーで「もりき」へ。カウンターの椅子にへたり込んで湯豆腐を注文したら、漸くビールで一息です。1時間ほどマスターと話していたら携帯が震え、ホテルの母君から「あまり遅くまで出歩かないように」との言。私が帰るのを待つ必要はないと言っていたんですけれども、はいはいとお答えして(「はい」は一回)、ホテルまでタクシーへ。

 不健康睡眠。
 当面の問題は、明日は自由出勤だから母君におつきあい出来るけれども、明後日の始業式以降はそうは行かないということです。さぁ、どうしよう。