TESLA doesn’t know how to cry

 さてさて、親不孝が服着て歩いてるみたいな国語教師、本日のお目覚めは市内ホテルのツイン、横でお休みの母君を起こさないように洗顔、タクシーで一旦自宅に戻って着替え。この時点で6時半。7時に開店の中華粥のお店で持ち帰りを注文してからホテルへ。既にお目覚めの母君に食べられるかどうか一口、でしたが塩味がきつすぎて受け付けられませんでした。レンチンの(普通の)お粥を買ってくるしかないですね。
 母君をホテルに残し(同部屋で連泊します)、8時前に学校に入ってデスクワークを色々。明日が始業式ですので、仕事はどんだけでもあるんです。今日は、月曜日に出題する課題テスト(現代文50点分)の作成・印刷が主な業務。

 昼前に一度ホテルに戻り、やはり症状が一向に改善されない(夜中にも何度も嘔吐いておられ眠れない様子だった)母君と再び徒歩で「S」病院へ。ですが、やはり看護師の方の言葉は昨日と同じで、食事が取れない母君の点滴についても「出来れば口から食べて頂きたい」ということなので(母君自身の意向もあって)今日は行ってもらわないということに。
 はっきり言って背負った方が早いんですけれども、F校生が歩いているかも知れない西鉄構内でそんな目立ち方しても仕方がないので、肩を貸して徒歩、西鉄構内の和食処にて、母君が「口から食べる」ことが出来るかどうかの実験。何を食べても苦いという味覚障害、煮麺を注文して1/3程をゆっくり、ゆっくりと(私はアイスクリームを注文)。

 「智恵子はもとの智恵子となり」ではないですけれども驚いたこと。病院内でも外を歩くときにもふらっふらの状態だった母君がたった2度だけ「シュン!」と輝いた瞬間があって、それが待合室の見知らぬ御老嬢に声を掛けられた時と、病院前の公園で植えられた花の香りを感じられた時と。前者は介護の仕事で、後者は野草・街路樹観察の趣味ですね。やっぱり、こういう時に人間は生き返るんだなぁ、としみじみ。

 昼食とも呼べない昼食の後、母君は再びホテルのお部屋で横になり、私はタクシーで学校に出向いて仕事の続き。明日からの牙城(?)になる高2B組の教室の板書準備をして、入口に生徒座席表を張ります。寮生は今日から寮に戻りますし、通学生も学園祭の準備で学校に来ている生徒は多いですので、このクラス分けの名表は今日の内にオンラインで生徒に拡散されることになるでしょう。

 タクシーでホテルへ。途中、小倉の病院で処方箋を受け取ったまま放置していたというエンシュアリキッドを近くの薬局で受け取って、スーパーであれこれ液体・ゼリー状の食料品を購入。
 少しずつ少しずつ、口に入れられるだけ入れるということを繰り返すしかない状態。昨日は夜中に一度嘔吐があったので、これはもうシジフォスの努力なんじゃないかと暗澹。隣で見てるだけの人間が勝手に落ち込んでも仕方ないですが。

 夕食はホテル近くの居酒屋、事務嬢さんから「お薦め」と言われていた通り、初入店ですが良い店でした。ホテル暮らしで幹事力アップ、これをお仕事に還元出来そうなこと「だけ」が今回の収穫かしら。
 母君は、明朝に小倉へ戻ることになりました。勿論、自分一人では移動は不可能、何と母君の職場のSさんがまたもや朝5時発でお迎えに来てくださるとのこと。小倉では、職場であるところの介護施設にベッドを準備して下さるそうです。看護師も介護福祉士も栄養士もいらっしゃる環境で、夜も知己の人物が近くにいる環境が母君にとっていちばん良いだろうというご配慮。有難いやら情けないやら、愚息はこれに完全に甘えます。

 さて、明日からの新年度、親不孝が服着た国語教師は、41人のクラス生徒(209人の学年生徒)にどの面下げて会いに行くのでしょうか?