母さんこの味 どうかしら ときには しくじることもあり

 5時入りの職員室で授業準備・担任業務・生徒面談。「おじいちゃんが死んだ」「のは悲しい」「ときには、泣いてしまう」のは全部「分かる」、「なのに、涙が出てこない」少年(重松清「タオル」)。これは、「典型」は頭で理解できてもそれが未だ自らの現実固有の経験として身分けることが出来ていない状態で、1つ前の単元である野矢茂樹「言語が見せる世界」の完璧な例示になっているんですけれども、教科書は意識して作っているんでしょうか。定期試験では必ず2つを絡めて出題します。物事の理解の極意は、「これって、あれじゃん」です。

 SHRの後は母君の病院引率でタクシー往復。血液検査・CTで、院内の移動は勿論車椅子で。看護師の方がお手伝いして下さいました。
 昼前に学校に戻って、4~7限は高2授業、昼休み・放課後は生徒面談。

 病院という所はただ居るだけで精気を吸い取られるような感覚を覚える場所で、治療副作用で心身摩耗の母君、夕方のホテルまでお訪ねしたときには困憊ここに極まれりの状態。でもって、こういう時は特に機嫌が悪いんです。色々煩い。
 職場の「大人」の方々には、普段出来ることが出来なくなっている無力感故の苛立ちをぶつけられるのは唯一の肉親である池ノ都の仕事・義務である、と諭されるんですけれども、でもってそれは「典型」として頭では分かるんですけれども、どうも自分の身に降りかかって来たら、ぶつけられんとする言葉の2球に1球はピッチャー返しするという心がけが拭い去れないんですよねぇ。
 要は、喧嘩売られたら買うよ、と。
 今日は、私が差し入れた夕食(総菜・弁当)の中の卵焼きがタイムセールで2割引のシール付きだったのが気に入らない。曰く、古い物を食べて身体に障らないかという気遣いがないのが情けないそうで、言われるだけなら耐えますけれども目の前で捨てられたら私もキレる。

 「とっくに人生の賞味期限が切れた人間が分際相当の食べ物をあてがわれたくらいで腹を立てる道理があるもんか気に入らないなら自分で作れせめて歩いて買いに行け」

 ……という言葉は「言ったつもり貯金」でグッと飲み込んで、「有難うの言葉を忘れたらもうそれは人間ではないですよ」と後から電話で一言だけ。
 でもってその電話も飲み屋のカウンターで受けてるわけだから、我ながら親不孝が服着て歩いてる人間だわ、と。

 本日の飲み屋は自宅徒歩4分の「A」。広々としたカウンターで独酌読書が進む店。刺し盛り(タコ・カンパチ・ヒラメ・タイ・アジ腹刺・アジ背ゴマ)680円! 桜島鶏西京焼580円! ホウレン草とベーコンのトマトリゾット500円! 何をどうしたらこんな価格帯になるんだという善良居酒屋で、親の分まで鯨飲馬食の夜。