心配しないで 私の未来が ここにあると知っていたのよ

 ホテル療養中の母君にお呼ばれして、朝食バイキングをご一緒しながらお話を。6時半の会場と共にレストランに入り、日替わりの「地産地消コーナー」に置いてあるメニューが偶然にもカラシメンタイコだったので、躊躇無く「えったんこ飯」をアップしたら、オツカル様が即リプでファボを下さいました。母君は、カレーや味噌汁やフルーツヨーグルトやを、本当にほんの少しずつ。食欲回復まではほど遠い、というより味覚障害が治らないという様子。
 さて、入所希望を出していた市内リハビリステーションから、正式に入所許可が下りました。もしも明日全ての必要書類を揃えて提出できれば、最速で明後日の土曜に引っ越しが出来るという流れ。
 幸いなことに本日は放課後16時からの会議以外は完全フリーで年休を取っています(8時からの生徒面談と朝のSHRとはやりますが)。必要書類の耳を揃えるには打って付けの日。よっしゃ役所巡りじゃ……と思っていたら、母君が急に趣旨替えして「ホテル暮らしはいい加減限界だから、今日から池ノ都くん(←二人称)の家に泊まります」
 ……言われりゃ直ぐにでも準備するつもりだったけれどもよりによって今日、よりによって今日それを言い出しますか。んとに病人にはかなんな、と役所巡りは明日に回して自宅の整理整頓に重心を移します。

 8時前に学校に行き、生徒面談とSHRの後、少しだけデスクワーク。学校徒歩10分弱の布団屋は西川の系列店、先日丸々一式購入した羽毛布団セットは土曜日にリハビリステーションに届けていただくことにして、今日は別に(私の自宅に来客用として保存する)少し安めの布団一式を購入。タクシーで自宅に運び込みました。続いて、ホテルチェックアウトの時間に合うようタクシーで移動し、母君を拾って自宅へお連れしました。取りあえず母君には和室に敷いた布団に横になって戴き、私は部屋の整理を(リビングテーブルの上に積んでいた本を書斎に移動させた後、全室に掃除機を掛けました)。
 その後、母君の提案でピザを出前して昼食。私は自宅徒歩5分のディスカウントショップを何度か往復して、和室(母君の寝室)用のTV(寝ながら観られるやつ)や風呂場の桶・椅子等々、母君が滞在中にお使いになる生活用品をバタバタ準備です。リビングソファに座ってどでかいTVを観るというのは、歩行に難あり且つ直ぐに疲れてしまう母君にはお辛いだろうという判断で急遽購入のTVは母君に喜んでいただけた様子、「家族が居ると安心感が違う! 本当に池ノ都くん(←二人称)が居て下さって幸せだわ!」と、数日来の不機嫌が嘘のような殊勝な前フリ、の5分後に「林先生の番組を観なきゃね! 林先生がいいのよ!」と国語教師息子の顔面に唾を吐きかけるのが還暦力というやつかや。

 夕方に学校に出て、16時からの会議は瞬殺。で自宅に戻ったら、いつの間に買ってこられたのやら母君は既にチキンラーメンで夕食を取ってお出でで(だから昼間のディスカウントストアで丼を買ってくるようにお命じになったのね)、鍵はお渡ししといたとはいえ徒歩5分のスーパーに往復する体力があったというのが意外。目的があれば動けるのかしら、などと考える頭の中に羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』の一節が過ぎるのは流石に親不孝が過ぎるな、と反省(はい、2つの「過」を読み分けて下さい)。
 母君は早々にお休みになったので、私は「もりき」で独酌です。頑として私の自宅に身を寄せることを拒んでいた母君が今日急に自宅に入ると言い出したとお話ししたら、マスターからそれは「老人・病人あるある」だと言われました。「よく当日に生活用品揃えられたね」「偶然仕事が空いてたからね。でも、そのせいで行くつもりだった役所に全然行けなかった。もうね、明日明後日が地獄だから」