大人のための国語授業

 本日海の日、は一日仕事のK市地区保護者会講演。K市地区は、去年の国語科恩師先生のご講演を(呼ばれてもないのに無理にお願いして臨席の上で)聴かせていただいたという大恩がありますので、今年度の講演依頼は万難を排しての気概でお受けいたしました。K市地区は必ず校長先生もお呼びすることになっており、今年度は校長先生が初年度ですので、毎年2人の講演は校長先生と私の2人で行うんですね。名古屋大学教授でメディア露出も多数の言語学者が先に講演をなさり、アルコールも出る会食を挟んで(飲まされた状態で)私が講演をするという、若造を完全に殺しにかかったプログラムなんですけれども、去年の大恩がありますので……。

 朝イチの西鉄ミスドでコーヒー読書。講演メモも作成しました(我ながらこれ程とはの悪筆なんですが、これを読める程度の素面で壇に上がらせてもらえるのかが心配ですが)。プロ中のプロであられる言語学者の前で「入試国語力のつけ方、教えます」だって。やっちまったなぁ。
 タクシーで会場のホテル「S」に出向き、幹事である我らが高2のお父様お母様にご挨拶。

 保護者会、先ずは校長先生の講演。日本語概説、「は」と「が」の話から語用論まで、大学時代の「概論」を思い出しながら聴講。これはまさに「講義」で、がっつり専門的な話(時に、レジュメプリントのどこを見ればよいかお母様方が混乱される程の)を力技で聴かせたという感じで、場数をこなした方ならではですね。

 さて、校長先生による乾杯の音頭でランチコース歓談。私、保護者会の経験はたくさんあるんで知ってる。講演(仕事)が終わったあとに注がれるお酒って、滅茶苦茶美味しいんですよ。安堵感が肴ですから。でもですね、この後40分の講演を控えて注がれるビールなんてのは……あ、やっぱ美味しいわ。関係ないわ。何だったらお気遣いの幹事団が私のために冷酒なんて準備して下さっててこれがまた洋風のコース料理にも合うわ。
 隣の校長先生は歓談世間話が高尚、というかこれが専門家という話題は博多弁の「たい」と「ばい」との違いは何か。「山笠があるけん博多ばい」に違和感はありやなしや。私は博多人ではないので機微が解りません。いずれにしても、「ばり」は「very」の訛りとかいう嘘で県外人を騙して遊んでる私なんかとは構えが違います。

 で、結論から言いますと、講演40分は(お聴きになった方の感想は解りませんが)何とか想定通りのことを時間に収めて話せたかな、という感じ。やっぱり若干脳に酒霧がかかってたので、小ネタの2つ3つはすっ飛ばしてしまったかも知れませんが、幹は大丈夫だったかなぁ、と。
 2週間で3箇所の保護者会、同じ話を(時間を伸縮させながら)3回やったのですが、その中で私が驚いたこと。事前に自己紹介文を提出するわけですが、その原稿に「趣味=読書・作問」と書いたら皆さんが「作問?」と片付かない顔。講演では、出題予定のない模試・入試の問題を作るのが好きだという話をしました。例えば、今読んでる青木奈緒『幸田家のことば』(好著)。読みながら、校内模試(文系専用随筆)に使えそうな文章が2、3箇所あって、それとは別に祖母・幸田文の「おふゆさんの鯖」に言及の箇所はそれを出題した京大過去問を扱う時の資料になるし、同「藤」に言及の箇所はそれを出題した東大過去問を扱う時の資料にもなる、等々を考えながら読むのです……という例を挙げて、出題しないままになっている問題は数々あるという話をしたんですが、それに「どよめき」と表現して良い程の感嘆の声が起こったんですね。とりあえず「クイズ研究会の延長ですね」という一笑いで収めましたが、どよめくほど驚くことなのかと逆にこちらが驚き。或いは「趣味=読書」で想定したような「純粋な」本の読み方をしていないように聞こえて意外だったのかも知れませんね。私としては普通の読書のつもりです。それどころか、作問は読書が面白かった故の「シェアの欲求」なんですから。
 さて、最後。会の後で校長先生に声をかけられ。長「先生は青木奈緒ばすいとうと?」 私「はい。長く読んでいます」 長「よう会うとよ」 私「あっ、NHK!」 長「そうそう、よう着物ば着てきとんしゃあよ」 校長先生も青木氏もNHKで放送用語委員会の委員を務めておいでなのでした。やっぱり交流が凄いなぁ。

 保護者会終了後は、パートナーの出張を送り出した事務嬢さんをお呼び出しして、飲み会からカラオケ。ヱビス瓶ビールを含む2時間飲み放題が1200円という昼酒万歳アル中ホイホイみたいな居酒屋で、初手から「ラッキーヱビス」を引き当てテンションマックスです。FKC(F校カラオケ倶楽部)番外編のカラオケボックスでも、8月オツカル様との曲目(中森明菜和田アキ子・KIRINJI等々)を練習出来たし。
 ただ、保護者会から(一旦帰宅入浴した時間を挟んで)10時間っつーのは飲みすぎ遊びすぎ太りすぎで、前回の福岡の反省はどこへ行ったのかと自らに問い、答えられず。