誰に読んでほしいんだその連投 孫引きのまた聞きをナナメ読みしただけの

 早朝3時に目が覚めて、書斎で日記を数日間分更新。本日から高2は第3回定期テスト、高3は第3回校内模試です。明後日出題の高2現代文定期は昨日問題が「降ってきた分」を原稿化、印刷室に回しているのでそれについては仕事がありません。高3の校内模試は、現代文第6問(最果タヒのエッセイ)を出題、これは文系全員と理系京大志望者が解答します。
 仕事は、朝と昼(試験中半ドン)とのSHR定期テスト監督(1コマ)、ちょっとした職員会議。15時過ぎに、高3が受験した校内模試現代文の答案を受け取ったので、その採点を……。

 しようとして驚く。おいおい、京大理系志望者が25人前後も居るの? 普通の学年は大体5人程度ですから、その数の多さたるや。しかも10月の第3回定期テストを受験するというんですから、その志望は「本気」だと思って良いわけですよね。というわけで、文系50人と合わせた75枚の答案を採点……。
 し始めて驚く。おいおい、文系の不調はまぁ「例年並み」の範囲でおさまってるけれども、理系の答案は二次試験の答案の書き方そのものを知らないそれなんじゃないのか。「なぜか → ~から」「どういうことか → ~こと」という解答の文末処理のミスが異常に多い、詩人のエッセイの比喩表現その他文体を全く洗い落とすことなくそのまま引用して解答を書く、というか「どういうことか(説明せよ)」という問題の傍線部の表現をそのまま解答に孫引きする答案まで。
 採点は瞬殺。それよりも何よりも講評の文章を考える方に力を注いで(というか気を遣って)、前述に挙げたような答案の「作法」が入っていないという指摘、二次試験で求められている解答の書き方がどのようなものなのか(というか、国語の二次試験とはどのような営みであるのか)という説明、を出来るだけ短い文字数で書きました。高3生の出来具合の評価は「良い・やや良い・例年並み・やや悪い・悪い」の5段階で「やや悪い」。校外生(浪人生)が高3生に平均で負けた時だけ「やや悪い」をつけると決めている私はこれまで高3生に対し「やや良い」「例年並み」以外の評価をつけたことはなかったのですが、今回は初めて。
 ただ、これは読解力・記述力というよりも「作法」と「構え」との問題なので、そういう「お約束」なのだということを身体に落とし込んでしまえば(数回の添削で良いでしょう)解決する話ですので、評価は厳しいですがそれで受験生の力そのものを断罪する気はありません(理系ですし、英語・数学・理科をどのように学習しているかの方が10倍は大切でしょう)。

 相澤理『「最速で考える力」を東大の現代文で手に入れる』読了、★★★。有名な予備校の先生が書かれた本。東大入試(文理共通現代文第1問)を例に、文章の読解、及び設問に対する端的な記述法を解いたもの。読解・記述のテクニックや心構え等、これは私が書いたんじゃないかと時には誤認しそうになるほどウンウンと肯けることが書かれています。なのに★★★なのは、肝心要の解答例が水準に届いているとはとても思われないものだという理由。本書の中で、本書が予備校の国語講師の間で評判が悪いと(誰にでも解るような手解きが他の講師のお株を奪う仕事を減らすから的なことを匂わせつつ)書いてあるんですが、評判の悪さの一因は解答まで正しいと読者が誤解する可能性がある点なんじゃないかと。ただ、解答の不十分は致し方ない部分もあり、本文の(全てではなく)部分抜粋に終始している中で解答を組み立てなければならないという制約を(ページ数の都合で)かけざるを得ないというハンデが重たいんじゃないのかな。大体、正しい解答を書くということよりも、飽くまでタイトル通り「最速で考える力」の涵養の方をより重要な目的にしているのだと考えたらそれで良いわけですし。