気持ちは伝わる

 高3担当若手(っつってももうじき10年選手なのかな)数学先生と。
 私「本日、私の漢文特講、最終回でございます!」
 数「わぁ、お疲れ様でした~。僕も土曜で終わったんですよ~」
 私「なんだかとっても疲れたぞっ!」
 数「すいませんでした~。お手数おかけしました~」
 私「これはお互いの慰労をせねばならぬなっ!」
 数「行きましょう行きましょう!」
 私「じゃ、明日夜、身体を空けておくように」
 数「はいはい」
 団塊世代の前世紀(全盛期)みたいな会話、という比喩は正しいのか否か。行く場所は「もりき」(鴨を食べます)だから、団塊のちょっと下の溜まり場です。

 高2現代文は、渡辺一夫「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」を終え、藤田省三「『安楽』への全体主義」へ移ります。2つの文章を連結する資料プリントは林達夫現代社会の表情」の一節。「理性の言葉」を装った「命令の言葉」なるフレーズを昭和16年に発表した(発表できた)知性。
 藤田省三「『安楽』への全体主義」は、今や教科書に載っていないんですね。授業に際しての本文は、ちくまの評論選から持ってきました(評論選に載っていない後半部は原著から)。内容の普遍性は疑うべくもないから論を措くとして、文体が高校生に通用しないと思われてるんだったら残念。個人的には、内容が真摯なら必ず通じるという信憑があります。

 と言うわけで、特講最終回! これにて高校3年生は二次対策にひとまずの区切りをつけ、センターの勉強に移行します。
 さて、最終回の題材は14年『資治通鑑』。これはやる前から辛気臭い得点が出ることが容易に予想できる難問です。何故にこんなものを最終回に持ってくるのかと言うと、それはセンター後の二次対策にやや易しめの問題を配して「あれっ、俺(私)たち、伸びてね?」という錯覚を誘発するため。

 ……終了後の解放感たるや、あんた。共に自宅徒歩5分、2大常連店の「もりき」「肉や一ノ剱」が店休の月曜日ですので、自宅徒歩10分の居酒屋「A」にて肉豆腐鍋の独酌読書。解放感は凄いんですけれども、まだ完全終了ではない。気持ち的にはそうなのですが、まだ添削が残っています。