其処に欲しいものなんかない これ以上何も奪わないで

 定期テスト監督は「性悪説」に立って生徒を睥睨するという内規がありまして(確か監督業務専念とかいう文言)、私は「性善説」派なのでこういういや~な風習は偉くなったら絶対取っ払おうと思っているんですけれども、そもそも偉くならないことが解っているので、同期が偉くなったら飲み会で裏から手を回そうと考えています。
 
 小川剛生『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』読了、★★★★★。
 「あらわれないのが透明人間」というのは阿久悠の天才によるフレーズで、確かに(例えば私は高橋英夫の文章で最初に読みましたが)兼好法師が純粋な隠者ではないのは有名な話。ですが、じゃあ彼は何者なの? と言われて説明は出来ない。ところへ、筆者小川氏が膨大な資料渉猟により兼好と俗世権力との人脈を逐一洗い出しつつ定説を覆し、最後は「遁世」の「吉田兼好」像の捏造者を指摘。その研究と筆致(時に筆誅)との緻密にはひたすら「凄ぇ!」の連打で、これは同じく中公新書の名著・中野三敏写楽 江戸人としての実像』に比する仕事なんじゃないかなぁ、と読書の感触。ただ小川氏、その名(剛生)の通りに全てが堅く、F校の文化勲章受章者・中野氏の文章に漂う「道楽」(遊び)は皆無に近いです。
 まっぴぃとやりとり。ま「そこここで賛辞を耳にしますね!」 私「いや、だって凄いもん。ただ、『すげぇ!』『興味深ぇ!』はあっても『面白ぇ!(笑)』はないかな」 ま「その二つがあれば十分楽しいね。よし買ってみよう」

 定期は1限の監督。その直後に年休を頂いて帰宅。本日は昼に自宅に炬燵が届きます。ですので、それ用に自宅の大掃除をしなくてはなりません。
 現在リビングの中央にあるテーブルは部屋の隅に寄せて、未読の本(100冊弱)とや最近聴いているCD(50枚弱)とを並べる棚として利用。敷いていたカーペットはクリーニングに出して(序でに20着前後の服も)、炬燵用の敷き布団を代わりに敷きました。その前に、家中の床を掃除機で掃除、してたらトイレと浴槽とを掃除したくなって脱線、で汗をかいたら序でにお風呂に入っちゃおう、と風呂上がりに飲む飲み物が無いから近くのセブンへ、どうせ行くなら隣の中華屋「H」で大好きな麻婆麺の昼食……と、家の中は片付けられていくんですけれども行動はどんどんとっちらかって行きます。
 引っ越し直後か、みたいにすっかり生活臭の失せたリビングに炬燵が届いたのは14時。運び込みから設置まで全て業者の方が(2人で)やってくれたので私は見てるだけ。木目の天板が気に入った横長のもので、家具・家電を買う時に「デザインが気に入って」というような心持ちになることが珍しいので、それを見ているだけでじわじわと嬉しかったりする独身のあはれ。

 16時頃、炬燵を見学がてら母君がご来宅。リハビリステーションから自宅までは自転車で20~30分というところですが、寒いし時間が遅いので今日はタクシーで来て貰いました。カイロやらコーヒーやらの手土産を受け取って、炬燵に座って貰ってちょっとだけお話……しながら「しくじったかなぁ」と思ったのは母君の拍子抜けしたご様子で、どうやら私が昼までに終わらせた掃除だなんだをご自分がおやりになるつもりだったようで、だったら別に来なくても良かったかも、というのを隠しはなさってますけれどもそこは母子ですから。
 結局、近くの惣菜屋で夕食を買ってきて2人でぼそぼそと食べた後、2時間ほどの滞在で母君はステーションへ戻られました。母君が寝られる布団は用意しており、何だったら泊まってもいいという事前の話でしたが、どうやら正月までお預けのようです。そもそも「世話を焼かれる(←受け身)」のが性に合わない方ですので、ご自分の仕事が無いなら今日はいいや、と割り切られたんでしょう。お帰りになる口実は、塗り薬(抗癌剤の副作用で足先の肌が荒れるのです)をお忘れになったというもので、まぁこれはでも半ば本当の話かな。正月滞在の時には忘れないようお願いしました。

 夕食は摂ったと言いましたが、小鳥かというくらい殆ど何も食べない母君のご相伴ですから私の食べた量も「もりき」の突き出し程度、結局夜は「もりき」に行ってホッケの半身を焼いて貰いました。母君が泊まって行かれるなら、今日は休肝日になったんですけれどもねぇ。あと、マスターとも話したんですけれど、ホッケって、いつの間にか無茶苦茶値段が上がりましたよね。