今ピンチがチャンスにチェンジ ほんの数センチが生む急展開

 スキー研修2日目。
 そう言えば、昨日、ホテルの部屋にいたら早速ピンポンダッシュされたんですけれども、生徒パンフレットにはどの教員がどの部屋に居るかは書かれてなかったはず(全部屋「教員」とだけ書いてあるはず)。私の部屋だと知ってたんですよねぇ、さすがに。これ、賭けだったとして、別の先生だった場合、人によっては地獄絵図になってたかも知れませんから。

 朝食、スキー、夕食、入浴、寝る。
 生徒の日程は、基本的にはこれだけ(昼食は、午前・午後のスキー訓練の休み時間に班ごとにインストラクターと摂ります)。私は、午前中に2時間ほどスキーをやってから、とっととホテルに引きこもりました(これで、私の今回引率におけるスキーはおしまい)。ランチはホテル内のレストランでスープカレー。部屋に戻って部屋風呂で温まった後は、先日行った高2の現代文のテストの採点をガシガシ。川田順造「手づくり幻想」などという懐かしの教材を使ったんですけれども、今回は珍しく漢字から手こずっている様子(スキーが楽しみで勉強が手薄になったのかしら、と思ったほど)。「邪推・標榜・偏屈・元凶・感傷・執念」、6つ全部を正しく書けた生徒は半分もいません。平均をとったら、1人1題以上間違えてるんじゃないでしょうか。途中、14時にオープンする大浴場に行ったのを挟んで、12時から16時まで採点。
 大浴場、オープン直後に入ったのですが、先客が20人と言わず居て流石大ホテル。ヨーロッパの人には、小さなものからケバケバしいものまでタトゥーを入れている人が少なくありませんでした。東京オリンピックが始まったら、温泉や銭湯やサウナで「入れ墨禁止」っていうのはもう通用しなくなるのかなぁ、など考えながら。

 さて、スキー研修引率の日記なのに、ここで急に話が変わります。16時に母君からかかって来た電話で、額面通り「人生が変わる」事態に直面してしまったからです。
 息子「……あの、何と仰いました?」
 母君「だから、ここ(リハビリ施設)を出て、そっちの家に引っ越します」
 息子「お一人暮らしのお部屋をお探しだと仰ってましたが?」
 母君「それはそれで、身体が動けるようになったんだし一刻も早くここを出たいから。だから先ずそっちに移って、その後のことはその後で」
 息子「お引っ越しはいつ?」
 母君「明日でもいいくらい」
 息子「……私、今、北海道に居りまして」
 母君「でしたね」
 息子「今から生徒と夕食ですので、明日の朝またお電話を差し上げるということで宜しいでしょうか」
 母君「解りました」

 ……正月の3泊みたいな「お客様」ならともかく、私と2人で暮らすのはお嫌だ、と仰ってたのは他でもない母君ご自身で私も完全にそういうものなのだなぁと受け容れていたものですからこの不意打ちには本当に驚かされました。もし本当に2人暮らしが動き出すというのならば、私がF中の中学寮に入った時以来ですから25年(四半世紀)ぶりということになります。
 親不孝の謗りは完全甘受、でも最初の感想は正直に言って「選りに選って高3担当の春からピンポイントかよ」というものです。全脳照射治療終了直後(昨年5月)の車椅子から考えたら劇的回復、主治医の先生も自立生活問題なしという折り紙をつけて下さいましたが、それでもまだまだ今の段階の母君のお身体は癌と抗癌剤との影響とで実年齢(還暦)の+15才前後というところでしょう(多少気弱にはなってお出でですが、精神の働きは実年齢のそれです)。正月滞在3日だけでも、ここには書けない(お互いの)苦労がありました。もうしばらくリハビリを続け、矍鑠と動けるようになってから私の自宅近くに部屋を、と仰っていた母君は必ずそうなさると思っていたのですが、心変わりの理由はよく分かりません。
 ただまぁ、理由は分からなくても決定には従うのが息子の務めであるわけです。風呂やキッチンの操作一つでも解らないことだらけの自宅生活に、母君が快適を感じて下さるだろうか、どのようなことをお教えしないといけないだろうか、と電話を切ってから頭はぐるぐる、ぐるぐる。何しろご自分のことで私を煩わせることを異常なほどに嫌がられる母君ですから、私は煩わされてなどいないという体で母君のお手を引く必要がありますが、はてさてそれが巧く出来るでしょうか。
 しかも私は学校の教員でその上今は担任を持っている身ですから、人生の優先順位が「学級→国語→私生活」にならざるを得ず母君のことはどれだけ頑張っても「三の次」までしか持ってこられません(国語科恩師先生からは「時間を使うこと、身を切ること、身銭を切ること」の3つが仕事上必須だと教わりましたが、「身を切る」の「身」には我が身だけならず身内も含まれておりましょう)。63回生高3を担当していた10月に母君が肺癌のステージⅣだと主治医先生に聞かされた時には(勝手に母君の余命を数ヶ月だと誤解してしまい)動転の余りの馬脚で「3月まで永らえますか? 忌引きが取れないんです」と問い返してしまいました。そして実際に高3の教科指導は時間との勝負なので11月の母君の手術に唯一の家族として立ち会う待合室でも東大特講(あれは理系の漢文だったかな)の添削をしていました(気晴らしにもなりましたね)。これは親孝行親不孝の問題でもなく、仕事量の是非の問題でもなく、他人の人生に(多少は責任を持って)関わるなら誰でもそうなるという話なんじゃないかなぁと考えています(職員室の諸先生方を見るにつけそう思えます)。
 そして、だからこそ「選りに選って高3担当の春から」という感想。別のタイミングだったら、母君に対してもう少し時間も身も身銭も捧げられるのです(って、今から言い訳めいたこと言ってては始まらないですが)。

 ただ、まぁ、25年ぶりの2人暮らしというものがどういうものになるのか、それが全く予想もつかないという事実に(多少は)面白みを感じないわけでもありません。単親が小学生の息子から父・母両方の役目を一方的に押しつけられるという25年前の片利(偏利)関係とは違った関係、新しい2人の関係が(暮らしが)どのようなものになるのか。これはあれか、「8割の力」とか言い出した私に神様が「ざけんな」って言ってるのかも知れませんね。ずっとバタバタ喘いでた方が良いんだよてめぇは、と。
 さて、だったら引っ越しはいつがいいのでしょう。私が立ち会う・手伝う必要がありましょうから一日身体を空けられる日です。100%確実なのは25日の日曜、国立二次の真っ最中は高3の添削が一切回ってこない職務の「エア・ポケット」。この日なら確実に一日フリーが可能です。母君はあと3週間を待てると仰るでしょうか。これもまぁ、明日のお電話で相談ですね、等々考えながら、ベッドに腰掛けて頭はぐるぐる、ぐるぐる。

 夕食から消灯時の点呼、その後の引率団打ち合わせまでは昨日とほぼ全く同じ。ホテルの部屋で、本当はよくないですが(生徒は寝てくれていて問題は起こさないと信じて)缶ビール。北海道の観光地は全力で「SAPPORO CLASSIC」推しですね。
 さて、明日の電話、どんな風になるのか。