苦渋を砂のように噛んで 最後に振り返るとそこに

 健康起床、入浴、お気にのネカフェ。

 本日最初に向かったのは(ホテル→ネカフェの流れまでは「出発前」扱い)神保町で、10時半着。丁度春の本祭りが開催されていて、古書街の通りには多くの出店(ワゴン)が並んでいます(何冊かは拾い物がありましたが、掘り出し物というほどのものはなく)。昼に66回生(春から東大生)のIくんとお会いする約束になっているので、彼に送る本をここで買おうという算段でしたが、狙っていた霜山徳爾『人間の限界』は「春陽堂」に1冊1620円で置いてました。Iくんは理系ですが心理に興味があるという話でしたから、難解且つ詩的な随想でも楽しんで下さるのではないかなぁ、と。

 そのIくんは午前中に駒場キャンパスで健康診断だそうで、約束の時間に正門前に到着したら、予想通り構内にはテント列が並んでいます。理系が健康診断なら文系が諸手続からのテント列という流れなのかな。昼食は渋谷の予定ですが待ち合わせを駒場にしたのは、駒場から渋谷まで歩いて行く道を体験して貰おうと思ったから。駒場の裏門から松濤を通ってBunkamuraの方面までは歩いて10分強というところですね。正門から裏門へ向かうキャンパス内で、時代錯誤社がアジ芸を披露しながら「逆評定」を売っていたので、Iくんに買ってきて貰いました(自分で行くのは恥ずかしかったので)。既に「逆評定」を買われたというIくんが野矢茂樹先生の名前を知らなかったのですが、66回生はセンターの過去問で野矢さんの問題をやらなかったのかな。
 駒場裏門~松濤(今回の上京では3度目)~渋谷駅。「和洋中」で「和」を選んだIくんに、「肉(かつ吉)」か「魚(漁十八番)」かを選んでもらったら「肉」との答えだったので、迷路のような渋谷駅(ただでさえ広くて入り組んでいるのに工事中ときた)を潜って渋谷警察署方面へ(こちらの出口は、明日のオツカル様とのランチデートの方面ですね)。
 殆ど外食をしない(ご家庭できちんとした食事をする)というIくんは注文から戸惑ってお出ででしたが、そういうのもこれからの独居で慣れていくようになるんでしょうね。新しい部屋に住み、諸手続を終えて、サークルも決め、今は時間割の組み立てを熟考中。A~Fのどれを選択しよう、なんてワクワクは20年前の私の頃から全然変わってないんでしょうね。Iくんとは漢文(週1回の東大特講)だけの付き合いだったので、昔のF校の話だったり現代文の授業だったら紹介したような色んな雑談だったりを披露しながら、気づけばあっと言う間に2時間近くが過ぎてしまってました。これは飲み屋の時間の使い方……って、Iくん(定食注文)と違って私は昼に米は避けたかったので、結局単品のヒレカツにビールを注文してるんですね。未成年相手に昼から居酒屋気分ってのも、まぁ旅の恥ということで一つ。

 Iくんから「理想の教員は」と単刀直入に訊かれて絶句してしまいました。私の場合、教員とは「F校教師」のことですので、「理想のF校教師は」という質問に対して答えるという前提で、国語科恩師先生のことをご紹介しました。IくんがF中に入学なさった時には既に恩師先生はご退職なさっていたのでIくんは先生のことを全く知りません。さて、これは困った。私の答えは具体的な一人の人物なのに、その人物を知らない人の為に特徴を分析断片化しないといけない、語れば語るほど本質(というか全体像)からズレていくことになります。
 私「何でも知ってて話が面白くて板書が美しい」 I「僕には先生(私のこと)がそう見えます」 私「縮小再生産、劣化コピー、モノマネ芸人です」
 ん~、時は流れるとかいう感慨程度で済ませては駄目ですね。西原理恵子倉田真由美に「あんたの進んでる先に私はいないよ」と言ったアレです、っつっても解ってくれる人は少なそう。どうも、恩師先生が関わるとテンパってしまいます。先生を知る人から「似ている」とか「真似している」と言われたら、嬉しいと思う気持ちは確かにあるものの、人にそう言わせること自体が先生を貶めている申し訳なさがそれを諫めるんですね。

 渋谷→池袋の山手線もIくんと同行で、軽く誘ってみたら快くついてきて下さったIくん、ジュンク堂本店の広さ品揃えにびっくりなさっていました。ジュンク堂と神保町古書街とは、本が好きなら大学時代に何度も訪れることになるでしょう……あ、あと大学図書館も。

 結局、Iくんと別れたのは16時を大きく過ぎていたので、ホテルに戻って本日二度目の湯浴みをして着替えたら、直ぐに出発しないと間に合わない時間になっていました。新宿東口アルタ前でオツカル様と待ち合わせて、今日は夜デート、戸川純ライブ~カラオケの流れです。
 私「駅の中をどう動いたらいいか解んなかったからさ、『歌舞伎町 出口』で検索しちゃった」
 オ「それ、『歌舞伎町への出口』(順路)と『歌舞伎町からの出口』(人生)と、2種類の意味があるからね」
 ほんとに、なんでこんなに頭良いんだろうね。

 地下アイドル界隈のヲタ活で歌舞伎町~新大久保あたりの地図が完全にインプットされているオツカル様の先導で、先ずは軽い腹ごなしのラーメン……じゃなくて油そばだ。人生で初めて食べた油そばは、ローストビーフが大量に乗った珍し系。勿論、瓶ビールを1本ずつ飲みながら。ライブへ向けて軽めのガソリンです。

 戸川純(1日早い)バースデーライブ@新宿LOFT
 ①コレクター ②NOT DEAD LUNA ③リズム運動 ④lilac ⑤憤怒の河 ⑥諦念プシガンガ ⑦玉姫様 ⑧ロリータ108号 ⑨極東慰安唱歌~フリートーキング ⑪ヒステリヤ ⑫大天使のように ⑬赤い戦車 ⑭蛹化の女 ⑮あなたがパラダイス ⑯肉屋のように ⑰バーバラ・セクサロイド ⑱バージンブルース ⑲電車でGO ⑳レーダーマン

 先ず、入場時に観客全員にホイッスルが配られたのにびっくり。確かに「電車でGO」の時に客席数人が曲に合わせてホイッスルを吹くという「芸」はありましたが、あくまで少数有志のゲリラ活動だったはず。どうやら善意のファンの準備らしいのですが、絵恋ちゃんという地下アイドルとの対バン交流がファンに与えた影響なのでしょうか。今日は「好き好き大好き」は披露されませんでしたが、今では「好き好き大好き」の歌詞に続けて観客が「オレモー!」と返すやり取りが定着してきたとはオツカル様の談(これもアイドル界隈から流入した現象ですね)。私は吹きませんでしたが、オツカル様は曲中ベストなタイミングでホイッスルを鳴らしてました(結構うるさい)。
 次にびっくりしたのは1曲目が「コレクター」だったこと。ここ10年ほどご病気で喉の調子がお悪かった戸川さん、一昨年ほどから回復しつつあるように聞こえていたんですけれども、いきなりファルセット全開の曲を持ってくるというのはご本人にもその自覚(自信)が出てきたのかなぁ、など。
 そして今日最もびっくりしたのは⑫です。戸川さんが完全黒歴史扱いにしてベスト盤への曲収録を頑なに認めない『大天使のように』から、ちょっと前に⑤が解禁された時にも驚きましたが、まさかタイトルチューンまで披露されるとは。私がファンになったのは1998年なので今年が20年目なのですが、少なくとも何十回と観たライブでこの曲が披露された記憶は全くありません。
 デビュー曲⑦を当時の秘話と共に披露したり、沢田研二のカバー⑮(歌詞アレンジあり)等々、ファンサービスに徹したライブは⑲で終了の予定に急遽⑳を差し込むサプライズまで。⑳絶唱で完全に喉を潰したのを聞き届けたので、オツカル様を促してアンコールを待たずに会場を出ました(アンコールは予想通り「パンク蛹化の女」だった模様)。

 会場を出た後は、「カラ鉄」歌舞伎町店にてオツカル様とのカラオケ。終電まで2時間の曲目リストを更新するのがこの日記の私的楽しみ……なのに、痛恨、会計時に曲目一覧を受け取るのを忘れてしまいました。ですので、私が歌った歌は記憶にあってもオツカル様の曲目が分からない。このようなへまは二度としないと心に誓いつつ、仕方なく私の歌った14曲だけ、以下。

 ①フレデリック「KITAKU BEATS」(2016年)
 我らB組某女から教わったバンドのアルバム曲が、あまりにもフジファブリックで「銀河」でKANA-BOONだったので速攻覚えて歌ってみました。キーが高い!
 ②フランス・ギャル「夢みるシャンソン人形」(1965年)
 中学生の頃から大好きな曲だったのですが、追悼の意で初めての選曲。フランス語は分からないので、テロップは無視して日本語(岩谷時子訳詞)で歌います。スマホって本当に便利。
 ③中島みゆき「希い」(2017年)
 中島みゆきっぽい曲(「陽はまた昇る」)を歌う高橋優っぽい曲を敢えて中島みゆき本人が作ったらこんな感じになった、という感じ、と前置いて歌ったらオツカル様に「実に」と言われました。
 ④サカナクション新宝島」(2015年)
 縛りを無視して(2015年の10月以来)2回目に歌ったのはベスト盤発売記念なんですけれども、ちゃんと別の曲を練習してくれば良かったと後悔。ドリフターズ風のPVを初めて観ることが出来たのは儲けものでした。メンバーの中に、ビジーフォースペシャルの紅一点みたいな女性が居るんですね。似て蝶
 ⑤井上陽水ウナ・セラ・ディ東京」(2001年)
 懐メロは、店舗によっては演奏のボリュームが極端に小さくなったり音質が悪くなったりすることがあります。が、21世紀のカバーを選んだならば良音かつ今風のアレンジで歌うことが出来るのでベテラン世代にはオススメ。取りあえず、全然好きではないですが徳永英明の偉大は認めざるを得ません。
 ⑥由紀さおり「恋文」(1973年)
 歌い出しの前に「純和風の歌だけど、歌詞は『アズナブール』から始まる」と紹介したらオツカル様に受けました。イントロで笑ってもらったらもう歌わなくても良いみたいな気持ちになります。
 ⑦ハルメンズ「フリートーキング」(1980年)
 この歌も縛りを無視してもう3、4回目。勿論、戸川純ちゃんが今日のライブで歌ったからですが、滅茶滅茶にがなり上げて歌ったら声が枯れてこれ以降低音が出なくなってしまいました。
 ⑧YAPOOS「あたしもうぢき駄目になる」(1995年)
 連続で純ちゃんボーカル。今日の戸川純ちゃんのバースデーライブでは、ファンになって以降の私が少なくとも20年間一度もライブで聴いたことがなかった「大天使のように」が披露されました(『大天使~』はベストアルバムに絶対曲を入れない「黒歴史」アルバムなのですね)。信じられないことがしかし現実に起こったんです。が、「皆憎」のきっかけになった『HYS』の、しかもこの曲がライブで披露されることはこの先無いのではないかと思っています。
 ⑨チェッカーズギザギザハートの子守唄」(1983年)
 K市ではチェッカーズは「寄せて」歌わないといけないみたいな不文律がある(少なくともライブバー「A」では)ので、それが出来ない人間は遠く遠く離れた土地に来て初めて選曲が可能というね。
 ⑩松任谷由実「遠い旅路」(1977年)
 ユーミンならどの曲でもいけるし好きな曲は続々とあるので、オツカル様とのカラオケがあと100回200回と続いても、ユーミンだけはストックが絶対に切れません。
 ⑪エレファントカシマシ「good bye mama」(1998年)
 エレカシはアルバム『愛と夢』しか知らない(「今宵の~」も歌い出しから分かりません)ので、その1曲目を。キーが高い!
 ⑫敏いとうとハッピー&ブルー「よせばいいのに」(1979年)
 低音が出なくなっているので、この歌でもキーを原曲より2つ上げないといけませんでした。喉が痛い。
 ⑬はやぶさ「りふじんじん」(2016年)
 メンバーが一人活動休止になったというニュースをこないだ見たので、「頑張って」のエールのつもりで、縛りを無視して2度目の歌唱。
 ⑭玉置浩二「無言坂」(2012年)
 絶対やってるセルフカバーと当て込んで検索したら果たしてヒットしたのですが、演奏が原曲と違って滅茶苦茶ジャジーになってて歌い難いことこの上なし。今度リベンジしよう。

 オツカル様とは明日も一日デートです。
 終電山手線で池袋へ。健康睡眠。