山家には 少し早めの 鯉のぼり

 63回生文系A組を担任していた4年前、クラスの「遅刻八部衆」が一、今は京大文学部のBくんが脱遅刻! を決意して購入した自転車に乗ったら初日に校門前で車に接触した。
 私「神様が遅刻以外は認めないって言ってんのかよ!」
 ……と、病院に走る車の中でツッコんだあの朝。あれ以来2度目なのですが、救急車に乗りました。今回も私は付き添いで、今回車の中で横になっているのは母君です(2人家族で私以外なんだからそら母君に決まっていますが)。時間は深夜1時。

 「もりき」で飲んで帰った後、既に旅行疲れでお休みの母君に続いて私も22時就寝、だったのですが夜中に不穏な物音で目が覚める。倒れる音とぶちまける音とですから、大体様子は想像がつくもので、寝室のドアを開けて廊下を見たら案の定の光景でした。リビング転倒嘔吐(トイレまで行かれようとして間に合わなかったのか躓いたのかどちらかだと思われます)、偉いもので家具絨毯その他は全てよけており汚れているのはフローリングだけです。最初の感想は、「あ、掃除が楽そう」でした。寝起きなんてそんなもんです。
 さて、一目見て意識レベルがはっきりしているのは解りましたが、ご自分でも何が起こっているのか解らない程度には混乱なさっている様子。そういう時に私も同じではどうしようもなくなるので、仕方なく動転混乱するのは諦めました。
 私「手をお貸ししたら、立つことは出来ますか?」
 母「……多分無理。足が動かないし、寒くて」
 消え入る声、確かに身体中が細かく震えておられます。
 私「救急車、呼んで良いですか?」
 母君が頷いたので、正直この程度で救急車を呼んで良いものなのかどうかは解りませんでしたが、寝室に戻って携帯を手に取りました。

 以下、詳細は覚えていませんが、やりとり。
 救「119番消防です。火事ですか? 救急ですか?」
 私「はい、救急です」
 救「住所はどこですか?」
 私「はい、K市K町(以下略)」
 救「それは××マンションですね?」
 私「はい、そうです。部屋の中です」
 救「どなたがどうなさいましたか?」
 私「母が嘔吐で倒れて動けなくなりました。電話は、同居している息子がかけています」
 救「意識はありますか?」
 私「話は出来ますが、立ち上がれないというのでお電話を致しました。母は現在肺癌の治療で抗癌剤治療を続けている最中です」
 救「解りました。現在、既に救急車はそちらへ向かっていますので安心して下さい。その肺癌の治療について詳しくお話し下さい」
 私「4年前の秋に発症です。手術後は小脳の転移が続いたのでガンマナイフを2回、全脳照射を1回、これが昨年の5月で以降抗癌剤治療を続けています。現在はK大学病院に掛かっています」
 救「解りました。間もなくそちらに到着します。搬入先はS病院になりますが……」
 私「あ、偶然。この4月の次の通院から、大学病院からS病院へかかりつけが変わるんです。主治医の先生が転勤なさったので」
 救「……今日、お母様が食べた物は何ですか?」
 私「えっと、そういえば一日バス旅行だったんでした。そこで(以下略)」

 ここで、マンション入り口のインターフォンがなったのに応答。2人の救命士の方が担架を部屋に運び込み、見事な手際で母君を担架に乗せ(布みたいなのに刳るんでヒョイっ、と)、「ご一緒にどうぞ」と担架を運び出します。あ~、吐瀉物の掃除は後回しかぁ……と2人の後を(財布と携帯とだけをポケットに入れて)ついて行きます。
 2度目の救急車に乗ったあと、ず~っと気になっていたことを口に出しました。
 私「あの、すみません、私、酒気帯びでして」
 救「あぁ、そうですか」
 まぁ、確かに病人以外のことなんざどうでも良いですよね。

 体温や血圧やと一通りの検査が救急車の中で施されるのを眺めながら、驚くのは本当に救急車って止まんないのねということ。ずっと走り続けて、普通に車で移動したら絶対に10分じゃきかないS病院までの道を、本当に5分で走ってしまいました。乗り込むときに「S病院までは5分程度です」と言われて「流石に」って思いましたし、病人を乗せているからでしょうが正直体感する車のスピードは「遅いなぁ」だったんですけれども、止まらなかったら確かにそうなるのか、と納得。後で何人かの知り合いに、「ゆっくりながら止まらないのが一番早いってのが本当によく解りました。救急車って、人生ですよ」と話しては呆れられました。

 さて、S病院に到着後、母君は検査室(処置室?)に運び込まれ、私は待合にぽつん。即座にスマホ数独ゲームをダウンロードして、待ち時間を没頭で潰します。こういう時はこういうのが一番正しい。
 呼ばれて診察室に入ったら、夜勤の研修医(だから年若いです)さんが検査の結果を説明して下さいました。要旨だけ述べると、検査結果は異常なし。母君が昨日召し上がった物はメニューを含めて詳しくお伝えしているので、研修医先生は若しかしたら昼食の刺身などが、とお言葉をかけて下さいました。ですが、恐らく、要は食べ過ぎと旅行疲れだったんじゃないかなぁ、と。はしゃいで食べ過ぎて(多分、2~3日分の食事量です)、夜中にコパァ、と。子どもと一緒じゃないか! と心の中でツッコんだ上で改めて思うのは、やっぱり親孝行ってのは簡単じゃないんだということですね。

 「終ったら帰れよ」じゃありませんが、健康(検査異常なし)なら母子が病院にとどまる理由はないわけでして。母君は病衣一枚(汚れた着衣は全て病院で処分)でタクシー帰還後、自宅の寝室で昏々。私は襖一枚隔てたリビングで掃除、掃除、掃除! 旅行疲れと食べ過ぎとだけなら何よりですが、明日の私は普通に仕事で良いんですかねぇ。

 あ、そうそう、S病院には私を財布扱いして会う度に飲んだくれてる58回生Fくんが4月から研修医勤務してるんだった。今日の応対がFくんだったら帰りに両目を潰して「お前は何も見ていない」ってするところだったんですけれども、違う方で本当に良かった。
 あと、待合に居合わせた居酒屋「B」のマスターに黙礼されたのは滅茶滅茶気まずくて、これは行きつけを作りすぎた罰なんですかね、恥ずかしいったらありゃしない。

 3時前に再就寝。

 ……きちんと目覚めるかどうかすら心配したと言ったらどつかれてしまうかも知れませんが、とにかく母君が普通に(不調無く元気に)目を覚まされたのに安心したのが8時。朝食も普通に召し上がってお出でです。言動を見るに夜中のことは殆ど記憶に残っていない(霧がかかったような状態にある)ようで、それならそれでお教えする理由もありません。頻りに「昨日の旅行が楽しかった!」と仰るのは照れ隠しなのか本心なのか。
 取りあえず、昼過ぎまでは自宅書斎で仕事をして、大丈夫そうだったので学校に行って職員室でしか出来ない仕事をやって、夕方前に帰宅して母君の夕食・入浴・睡眠を見届けて、ダッシュ片道5分で肉料理「I」の晩酌往復(飲むよ、こんな時でも)。

 「日常性の維持」へ徐行運転です。というか、明日は職員会議で一日学校ですからね。