熱い手紙

 松岡正剛佐藤優『読む力 現代の羅針盤となる150冊』読了、★★★。新書で150冊ですから、紹介する本について総花的になるのは本を開く前から分かっていました。博覧強記のガチンコ対談(どちらかというと松岡氏が聞き手になったインタビューに近いか)、読書に人格をかける(絡める)佐藤氏の弁がアツい。

 母君との朝食にお付き合いして出勤は8時半ギリギリ。本日は中高とも半ドンの授業で午後は「男く祭」の片づけの最後の点検。明日が日曜出校の代休で休みになります。
 若しかしたら、「男く祭」主宰学年の責任感から生徒同士で連絡を回していたのかも知れません。昨日はたっぷり21時まで「後夜祭」があったのに、朝のSHRには全員が揃って読書をしたり小テストの勉強をしたり。今日から「日常性の維持(意地)だ!」という熱は伝わって来ます(とは言っても、揃うのが精一杯のようで、みんな大分疲れている様子。人によっては寝落ちする前の赤ちゃんみたいな表情です)。
 こういう日の授業は「大体成立するもんじゃないよねぇ」と初めから諦めモードの先生も少なからず。時間割地理先生は、生徒が寝たりしないように出来る限り「強面中心のラインナップ」で時間割を組まれた様子です(私も時間割を4年やっているので「何となく」分かります)。無論、私は「授業無し」(私が時間割でもそうします)。あ~、楽チン。

 4限授業の後は、学年集会。言われなくても生徒はそうするのでしょうがそれでも言うのが教員の責務だということで、心機一転の必要性を学年団から。「男く祭」の準備期間が1週間も短かったハンデは、まぁ成功したからこそ言えるんですけれども、今日からの受験生活が1週間も長くなるというアドバンテージに転じます。この事実を早めに自分のものにした人が勝ち。私は、現代文から年に一度の宿題としての「男く祭」体験記の説明を。自身の職責全うを文字による客体化で自覚消化出来ればそれが宴の始末、自信を持って新しい青春をスタートできます。

 中央ステージは、バックの装飾が剥がされて骨組みだけ。これぞ祭りの後だ、と写メったのと同時に隣からシャッター音が聞こえたので振り向いたら、実行委員長の某くんが立っていました。
 私「あら偶然」
 某「祭のあとですから」
 私「僕は祭のあとの方が好きなんですよねぇ、何となく切ないから……って、作った人を前にして何だけど」
 某「しかもパンフレットが一冊だけ残ってて芸術的です」
 私「?」
 某「見えません? ステージの中央、パンフレット」
 私「あ、ほんとだ。そっちの発言の方が気が利いてる」

 今日の朝の生徒が全員耳を揃えて朝のSHRに集まれたというのは、明日が代休だってのも影響していると思ってるんですよ。今夜と明日の夜、それぞれ別口から飲みの誘いが来て、しかもそれがどちらも福岡天神だったんですけれども、どちらも「先約あり」を理由に断ってしまいました。私は「先約あり」以外の理由では(金欠とか体調不良とかの理由では)飲みの誘いを絶対断らないと決めているのですが、今回の「先約あり」は、今夜については本当ですが明日については嘘です。
 何というか、今夜と明日の夜とは、高3担任団は天神に居ない方が良いと思うんですよ……いや、何か特段の理由があるって訳じゃないんですけれども、お互いのた……じゃない、えっと、風水的な? 理由で。

 あ、今夜の「先約」は、「男く祭」の教員有志打ち上げがですね、K市で。生徒は打ち上げ禁止なのに教員だけとかずるいぞ、と仰有るなかれ。だって、ず~っと働き詰めでらっしゃった生徒指導部のお二人(世界史先生・体育先生)を慰労しなかったら、それはいくら何でも「嘘」でしょう?
 あ、生徒は勿論打ち上げ厳禁です。えっと、風水、じゃなくて教育的な? 理由で。