目にうつる全てのことは メッセージ

 8年ほど前、58回生がまだ大学生だった頃に、58回生卒でTQCに入った後輩(Kくん・Hくん・Tくん)あたりが出ている大会をふらっと見学に行ったことがあるんですけれども、そこで隣にいらっしゃった橙武者さんに「『カンチ、SEXしよ』って流れで生まれた子がもう20歳なんですからねぇ」と言って「こらっ!」と叱られたことがあります。これを坂元裕二だとか柴門ふみだとか、SEXさせた側が言ったらそれは迫力でしょうけれども。
 人生初フェスに際して「まだ失うものがあったなんて!」という名言をはかれたそうです、昨日のユーミン。そのRIJFのMCで若い観客に向けてユーミン曰く「私のCDが売れたのは皆さんの親が恋愛した頃、私も随分お世話しました。今皆さんがここに居るのは私のお陰(大意)」と。SEXさせた側が言っとるがな。ラスボス感ぱねぇ。
 「荒井由実松任谷由実とが同一人物」というMCに驚愕していた若い観客が少なからず居たということですから、そういう時代です。Twitterを検索してみると、「Dragon Ashからのホルモンで疲れきってユーミンで少し休めると思ったら、これまでの誰よりもでかい爆発音とともに降臨」とか「自己紹介で清水ミチコですって言って爆笑」とか「音が届くエリアみんなが一斉に歌い出したから本当にひたちなか海浜公園がやさしさに包まれてた」とか色々あってこれを読むだけでファン冥利(?)です。ただ、「圧倒的な歌唱力」っていうのだけは、あぁ、フェスって、やっぱり遠くて音はよく聞こえないんだなぁ、と。

 健康気象、直後に入浴というのがいつもの流れですが、今日はワイドショーでユーミンのフェスの映像を観ました。歌唱シーンでは「ひこうき雲」と「真夏の夜の夢」とが流れました。他の演奏曲は「やさしさに包まれたなら」「卒業写真」「守ってあげたい」「夕涼み」「Hello, my friend」「春よ、来い」「Sign of the Time」(年代順)だったそう。所謂「神セトリ」ってやつなんでしょうが、たった9曲でいいなら、一度も曲目を被らせることなく最低でもあと3回は「神セトリ」でのフェス出場が出来そうですね。

 入浴の後でホテルを出発してネカフェで書き物(北口店を選択)、本日最初の観光はお茶の水へ移動して「お茶の水 おりがみ会館」です。ここは純粋に母君のお土産を買うという買い物目的で訪れたのですが、思いの外見るものが多くて時間があっという間に経ってしまいました。
 先ずは折り紙ショップに行って、2000点を超える品揃えに圧倒されながら、母君へのお土産を選びます。母君は折り鶴だけしか折られませんが、折られる数が尋常ではないので直ぐに折り紙が無くなってしまうのです。大体、一般に我々が連想する折り紙を縦半分横半分の1/4にカットして、1枚の折り紙から4羽の鶴を折られます。鍋包丁が持てない握力でも、紙を折ることならできるということ。
 館内の観光客は私の他に家族連れが3組でしたが、フランス・アメリカ・フランスと全て外国からの方々でした。そこへ、館長の小林氏が降りてこられ、10分間のデモンストレーション。子どもたちは大喜び、大人たちも写メをとって思い出作り。小林氏の手からは、様々な種類の鶴や、ヒヨコ・龍などの子どもが喜びそうな動物、そして様々な種類の花が生み出されます。びっくりするのは、片言の英語でギャラリーににこやかに話しかけながら、一度も手元を見ることなく次々に折り上げていくこと(矢野顕子さんの弾き語りみたいです)。店員さんがこっそり「館長は喋ってなくちゃ折れないんです」と教えてくださいました。ただ、折り紙の世界も協会(派閥?)だの権利だの色々煩いんだろうなぁ、というのが、私に向けて日本語で話すときにだけ色々な方面に批判の言が吐き散らかされるところから伝わってきます。愛すべきうるさ型のお爺ちゃんでした。様々な折り鶴を図録のように収め、その折り方を日本語・英語両方で紹介した本が売ってありました(小林氏の本です)。購入したらその場でサインをしてもらえます。この本は、見ているだけで楽しいだろうから、今回の旅行における母君へのいちばんのお土産になるでしょう。
 ショップと別のフロアでは、染め師の方々(今日はお二人)が和紙を1枚ずつ染めておられるその職場を見学することもできました。これが楽しい。お一人は金色、お一人は黒色、30cmほどの刷毛を使って1枚1枚黙々と染め上げていかれる。染め終わった紙は、天井に等間隔に張られた麻縄にT字型の棒(撞木)でかけていく。バカみたいな言い方ですが、実に器用。

 思わぬ長居をしてしまった後は、本郷三丁目(昨日も行きましたが)まで歩いて昼食の「瀬佐味亭」へ。排骨担々麺を肴にビールを注文したら、サービスで煮卵をつけてくれました。東大に行った卒業生に「先生は『瀬佐味亭』を知ってるんですか?」と聞かれますけれど、あそこは確か私が在学中に(今とは少しずれた場所に)オープンしたお店で、駒場時代の同級生の女子が最初期のバイトで入っておられた記憶があります。店内のジャズはマスターのご趣味、よく煮卵をサービスして貰ったので「今でも変わってないんだなぁ」と思った次第(マスターの小父様? お爺様? はいらっしゃいませんでしたが……)。

 突然ですが、私のテレビゲームの思い出は、任天堂ではなくセガから始まります。具体的に言うと、「SG-1000Ⅱ」から「セガ・マークⅢ」。アラフォーが初めて触れたのが所謂「第3世代」というのはみな同じでしょうが、セガから入ったのは少数派なのではないかと思います(私は、たぶん1985年からかと)。
 マイカードの「シーソー」「ワンダーボーイ」「どきどきペンギンランド」あたりが私のテレビゲームの原体験。「どきどきペンギンランド」はペンギンが好きだったのでタイトルも購入した時の喜びも覚えていますがゲーム自体の内容は忘れました。他の2つは内容までよく覚えています。「シーソー」は自分でステージを作れるエディットモードがあってそれをずっと繰り返していた記憶(所与の材料とルールの中での創作が好きなのは、現在の国語教員の仕事の源流ですね)。「ワンダーボーイ」は「高橋名人の冒険島」の元になった作品で、後年ファミコンへ移行してから「冒険島」を初めて見た時は「有名人が盗作をしている!」と憤ったものでした(移植とか版権とか全く知りませんでした)。
 「マークⅢ」ではもう絶対「ファンタジーゾーン」です。シューティングゲームには全く興味がないのですが(例外は「絵描衛門」と「コナミワイワイワールド」内のステージくらい)、これにはハマりました。ファンタジーとか言ってますけど、倒した敵が砕けてお金(コイン)になるんですよ、リアルこの上ない。その金で武器を買うんですが、武器を売るショップは、どこか知らない世界から風船みたいな形で飛んでくるんです。隠喩が過ぎます。

 何の話をしているのかというと、三越で「1980年代展」を見たという話。主にカルチャーの観点から(のみ)集められた資料の出品には、泉麻人森永卓郎とが大きな役割を果たしているようで、彼ら2人が1980年代を切り取ったらこうなる、という展示でした。この2人だけで「よくぞここまで」の網羅・時代復元がなされたことに驚嘆するとともに、「だからこそ」の欠落も強く感じられるという構造(このことについてもお二人は絶対に自覚的でいらっしゃると思う)。この「だからこそ」を来場者に感じさせるのが展覧会の力で、その点では十分なものだったんじゃないかなぁ、というのが感想。40分ほど滞在しました。

 コレドの「無印良品」で着替え用のTシャツを1枚、その後で偶然通りかかった「SUSgalaery」で真空チタンのタンブラーを1つ購入。これは母君がお茶や冷たい飲み物を飲むための(持ちやすい)カップが欲しかったからで、タンブラー1つに20000円を払いました。午前中に購入した折り鶴の本ほどではありませんが、これもお土産の目玉になるかなぁ、と。
 その後、昨日と同じスクリーンで『カメラを止めるな!』の3度目鑑賞。やっぱり面白い。全国拡大ロードショーらしいので、福岡に戻ってもう一度観ることにしましょう。六本木ではまだ残っていたパンフレットは、日本橋では売り切れていました。

 高田馬場に移動。夜の待ち合わせまでは1時間ちょっとあったので、駅からいちばん近い銭湯を探して入浴・サウナを楽しむことに。ちょっと前から、空き時間に銭湯に行くのを楽しみにするようになっています。今日の銭湯はこれまで訪れた中で最も小規模の作りで、浴槽は7、8人でいっぱいになるので、5分浸かって15分サウナに行って5分浸かってという風に、浴槽を交代で使う必要があるみたいでした(いつもなら、15~20分は浸かっておきたいのですが)。銭湯のマナーはよく分かりません。
 銭湯に行くたびに風呂上がりのコーヒー牛乳への強い誘惑に襲われるのですが、今日を含めほぼ全ての場合そのあとに飲み会を控えているので、1口目のビールで「かぁーっ!」となる快感を味わうために水分を我慢するのが常のことになっています。多分、コーヒー牛乳を飲んでいたとしても「かぁーっ!」となるかとは思いますが。

 でもって、「かぁーっ!」というのを声には出さない虚栄心が働くのはこれ私が担任を務めた卒業生が相手だからで、今日の相手はもう何度目だよ「日常性の維持」っちゃあ言うけどこうも毎回毎回無遅刻無欠席だとお前のためにセッティングする店の候補がもうねぇよというEくんと、そのEくんがせめてちょっと変わった趣向をと気を遣って誘ってくれた(いや、知らんけど)Tくん。ともに63回生高2~高3A組で私が担任を務めた外進出身の男子で(A組の外進出身は彼ら2人だけ)、クラス44人中で外進が2人だけというアウェイな状況において自分の立ち位置を確固たるものにできた(上にきちんと現役で東大に行けた)んですから大した2人です。因みに、アウェイ2人が他の内進組と完全に打ち解ける機会になったのは2013年4月27日(63回生が高2の時代)の「男く祭」備品移動中の「AV女優バスケット」で、何言ってんだ「AV女優バスケット」って何だよこのオッサン頭おかしくなったんかと思われた読者の方がいらっしゃいましたらどうか当該の日付のエントリをご覧くださいませ、頭おかしいのは生徒の方だから。

 さて、共に現役で東大に進学し、大学での高い留年率を誇るF高卒業生の典型に陥ることなく(いいのか、教員がそんなこと書いて)トントン拍子に4年生、スペック高いから企業もほっとかないよね、というコースで有名企業の内定をゲット、素晴らしい!
 私「えっ、『ハイ・チーズ!』って言わないの?」
 T「はい」
 E「何て言うか先生に教えてやってよ、っつかやってよ、あのポーズ!」
 T「ヤだよ、なんで今!」
 私「いいからいいから、『ハイ、チーズ!』の代わりに、内定者ずらり並んでシャッターチャンス、はい掛け声!」
 T「One MIZUHO!」
 私「わわわ、わんみずほっ! 意識高ぇっ! くそ高ぇっ! っつかポーズもやってんじゃん!」
 E「(大笑)」
 私「最後オ段だし、口こんな(←O型)なってるしっ!」
 T「(不本意)」
 Tくんとは高校時代も卒業してからもそんなに絡んでないんであんまり失礼なこと言ったら可哀そうなんで、「口こんななってるしっ!」の後の「ダッチワイフみたいだしっ!」っていうのはカットしました(カメラ止めました)。でもって、これで大笑いしてる方のEくんが内定をもらった大企業が同じく内定者同士で「ハイ・チーズ」をやる時の掛け声が「今までにない出会い~」だってのにも大笑いです。これが恥ずかしくないってのは一周回ってんじゃないのか。まぁ確かに、最後がイ段だから笑ってるみたいな表情にはなるかも知れんけれども。

 最近日本酒にはまり始めたというTくんと、ダイエットのために豆腐が食べたいというEくんとのリクエストを合体させて選んだ一次会のお店は高田馬場「もめんや」でしたが、馬場で二次会をやるなら話のネタになる場所はここ、ゲテモノ集まれ「米とサーカス」です!
 店内に貼られた「お〇〇ぽビンビン! キンタ祭り」のポスターに笑わされながら最初に注文したのはヤギの睾丸、からのイナゴ佃煮、グソクムシ素揚げ、まぁそういうお店ですね。ここでもビールをガンガン呷りながら、ノリのいい店員さんと応酬なぞしつつ。

 私「ダイエットっつーのはどこへ行ったんだよ? Tくん、ギブアップで帰っちゃったじゃんか」
 E「いや~、まぁ、飲むとなったら〆まで行きたいじゃないですか~」
 高田馬場から池袋に向かう電車内(乗車直前にTくんは逃亡……これが正解だと思う)にて。三次会とまでなったら申し訳ないけれども私のホテルの側に来てもらう。というわけで、〆のラーメンは「韓二郎」にて。ここでもビールを2杯。しみじみと思うけれども、Eくん、大企業(ブラック体育会系)でも絶対にやっていけると思う。でも、太ったらもう遊んでやらんぞ。

 ホテルに戻ったら、Tくんからメールが届いていました。今日の御礼を、「池ノ都先生 夜分遅くに失礼します」という書き出しで。これに私が「就活か(笑)」のタイトルで「予測変換だけで打てたんじゃないかというテンプレメールだ」と返したのは愛あるツッコミだと思ってね。我ながら「意識低い系」ですし、その後「楽しかったんで次の機会も是非!」とか書き加えるところはチキンですけれども。ってか、TくんはともかくEくんは出世払いを約束してるんだからさっさと初任給を貰いやがれって話だわ。狙い目は来年度の黄金週間か。

 健康睡眠。