唄い続ける それは生き延びるために

 母君に朝食をお出ししてから出勤、昨日に続いて本日も職員研修会で、午前中2時間(9時~11時)、午後2時間(13時~15時)の日程は毎年毎年「間に2時間も休みがいるかぁ?」って感じなんですが本日だけは有り難い、先日倒れた母君が急遽主治医Y先生の診療を受けることになって、12時にかかりつけ「S」病院へ行かなくてはならないのです。
 午前の部が終わってから、タクシーで自宅に寄り母君を拾って「S」病院へ。12時で午前の診療が終わる時間に無理矢理ねじ込んで戴いたのでしょうか。先日の嘔吐の様子、深夜に「S」病院で点滴を受けた以降は何もなく貰った吐き気止めも一度も使っていないこと、等々をお話。その後、少し前からY先生のお話に上がっていた緩和治療について本格的に考える時期かも知れないという話に。薬(タルセバ)がきいており首から下には異常がないものの、小脳の転移がいつ何を起こすか分からない。緩和ケア病棟との繋がりがなかったら例えば突然倒れた時に直ぐに病棟入院、というのも難しい。今のうちから「繋がり」を作っておく意味でも、緩和ケア病棟の先生に定期的にお会いするのが良いのではないか、というのがY先生のご提案。Y先生は4月に「S」病院に移られる前はF校親玉大学の大学病院にご勤務で、大学病院の緩和ケア相談に紹介状を書いて頂きました(9月5日に診察です)。4月のY先生転勤とともにかかりつけを大学病院から「S」病院に変えて以来ですから、母君にとっては半年ぶりの大学病院ということになります。
 病院近くのうどん屋で昼食の後、タクシーで自宅に寄り母君を降ろしてからそのまま学校へ。職員研修会の後半には30分ほど遅刻しました。研修後は国語科会議。

 夕方に一旦自宅に戻り、母君の夕食を作成。郵便受けに、国語科恩師先生からのお手紙が。以前お送りした資料について、あれだけ遅れる愚で大変なご迷惑をおかけしたにもかかわらず丁寧な御礼が書かれていて恐縮してしまいました。先日朝日新聞で入選なさったという俳句「八月は 真空日本 ゆやゆよん」の色紙が入っており。「日本」の「日」の字が日の丸になっていました。さて、鶴見俊輔ではありませんが、この「日本」は「ニホン」と読むのか「ニッポン」と読むのか(椎名林檎嬢は「お守り言葉」の文章を読まれたことはないでしょう)。在職中から家事一切をこなされておられた先生は今は「主夫」を名乗られてお出でですが、先日私が俄料理を始めたと漏らしたのに対して手紙に絵入りで「レンチン茶碗蒸し」のレシピを付して下さいました。これは、明日早速作ってみます。

 「もりき」独酌、思わず「うををっ!」と声を出してしまいましたが、遂に「秋味」の瓶が入荷です。昨日閉まっていたのはこの「秋味」の買い出しをしていたからということでそういうことなら仕方ない。一口飲んでうっとり、コクが違います。明日から生徒も登校して本格的業務に突入、それに対してちょっとは「行かないで夏休み」(byユーミン)的な気持ちがなかったわけではないですが、この一口で霧散です。一番好きな「秋味」、それに続いて二番目に好きな「冬物語」、二学期はビールに伴走してもらいつつ走り抜けます。
 帰宅後、書斎で高橋徹也ベッドタウン』を聴きながら夏休み最後の缶ビール。高3の二学期、まさに丁度20年前にこのアルバムを聴いてぶっ飛んだ頃の私は、音楽を聴きながらお酒を飲むなんて発想はまるで持ち合わせていなかったのです、陶然。