ネコじゃないモン!

 (1999年以来何度か場所を変えつつ日記を書き続けて)この「はてなブログ」に移ったのが2013年3月31日で、その日から数えて今日が2000回目の更新です。日常性のEASY!

 入試過去問を解いて英語パイセンに添削依頼をしてきた理系某くん、英語小説の下線部和訳問題だったのですが、その解答「母は誰かが棚に釘づけになっているのを見たら、(自分の棚を)褒められたいと願い、きっと棚に飛び乗るだろう」というのに爆笑。「きっと」までは合ってるんです。ここまでを完璧に訳せる英語力があるのは凄いと、厳しいパイセンですら褒めておられます。それなのに、なぜ最後の「Jump in」が「(棚に釘付けになっている誰かとの)会話に飛び込む」ではなく、「棚に飛び乗る」になるのか。そんなことあり得んやろ、と。母は猫か、と。キャットウーマンかと。入江たか子かと。
 英「絶対あり得んよね? 何で棚に飛び乗る? ピョーンって? いやいやいやいや。だってさぁ、どうする? お母さんが急に棚の上に飛び乗ったら」
 私「褒める」
 英「wwwww(悶絶)」

 あんまりに面白かったので、まともに話したことのない某くんのもとへ出向いてお話をする。
 私「流石にさぁ、『棚に飛び乗る』って書いた時には、自分でもあり得ないと思ったでしょう?」
 某「はい」
 私「だったら、何故それ以外の可能性を考えないのさ」
 某「いや、あの、ワンチャンあるかなぁ、とか……」
 語尾を濁していますが、違うとほぼ解っていてなお他の可能性を検討しなかったのは、視野の狭さ故ではなくて労を惜しむ故のこと。ワンチャンなんてないことは、某くんも解ってたんです。でも、あって欲しいという儚い願いをあるかも知れないという予感にすり替えた。
 私「だって、自学で解いた過去問でしょう? 制限時間がないなら、考えようと思ったらどれだけでも考えられる。それなのにそうしないのは、要は『メンドクサイ神』への信仰を内面化してる証拠じゃない? 落ちるよ?」
 某「確かに、言われてみたらその傾向はあるかも……」
 誰かに指摘されたことがなかったんですかね。「自己認識出来たなら大丈夫かな」と言って別れたんですけれども、心に抱く「メンドクサイ神」様への信仰、これの棄教は至難の業です。

 昨日に続き外部模試。授業がなく試験監督のみ。その後、標準実施日前で自己採点ができなかった一週間前のマーク模試について自己採点を行い、学年集会ではセンターの願書を記入。放課後、理系某さんの医学部小論文について添削の結果をお話しする面談も。

 明日の2種類の授業の板書案をそれぞれ作成してから帰宅。入浴、母君の夕食作成、洗い物。その後訪れた「もりき」ではパーティー以来初来店だというHさんと幹事お疲れ様の乾杯。