さあ ダバダバ ダバチ ダバダバダバ さあ ダバ ダバチテ

 4時起床、書斎で作業、入浴、母君の朝食作成。
 始業前の職員室で授業の板書計画。今日は1限がセンター(09年の栗原彬)、2限が文系東大(08年の竹内敏晴)、4・5限がセンター、6限が学年会議、放課後7・8限が文系京大特講(15年阿部昭)です。母君の朝食は3限の間に自宅往復で、夕食は18時特講終了後に帰宅して作成ですね。

 卒業生と話すと、コンパの後とかサークル合宿とかで深夜の缶蹴りに興じた、という話をちょいちょい聞きます(具体的には、この10年で5回以上は聞いてます)。酒の席には缶がアホほどあるから、酔ってテンションが上がった時に誰かがやってみねぇ? 的なノリになるということでしょう。
 09年のセンター本試験は栗原彬「かんけりの政治学」。何しろホモ・ルーデンスですから、遊びを分析するとその向こうに人間と人間の造りあげる社会との本質的意味が見えてくる。藤田省三「或る喪失の経験」における隠れん坊の象徴的意味分析を引いて、子どもたちが缶蹴りに興じることの象徴的意味を考察する。これは読んで面白く、解いて難しく、解説して楽しいタイプの問題。C~E組で授業を行い、120人程度の生徒の答案を採点しましたが、今のところ満点が1人も居らず、平均点も30点をちょっと上回る程度でしょう。
 雑に言うと、隠れん坊は「皆で社会に帰る」遊び、缶蹴りは「皆で社会から逃げる」遊び。隠れん坊の時代は、子どもたちは社会(共同体)に帰りたかった。缶蹴りの時代は、子どもたちは社会(管理社会)から逃げ出したい。モラトリアムの大学生が缶蹴りに興じるのは、まぁ酔っ払ってて訳わかんないんでしょうけれど、何某か意味深なものがありますね。
 名付けるなら「管理社会(ディストピア)からの脱出」。子どもたちは大きくなって、ディストピアの中で希望を見つけられるのでしょうか?

 3限の間に自宅往復で昼食を提供し、昼休み・6限の会議終了後の空き時間・京大特講の生徒解答中の時間、を寄せ集めて2限の東大の答案を添削。17時半に特講が終わった後、東大の答案添削を最後まで終わらせ、京大の答案を抱えて自宅に戻ります。
 風呂のスイッチを入れてから夕食を作成、母君が召し上がっておられる間に入浴、夕食後の母君が私と入れ替わりでお風呂へ行かれたら洗い物をして書斎で京大の答案添削(25%終了)、19時に母君がお布団に入られたのを見届けてから自宅を出て、今日は19時半に小料理屋「A」入り。キーマカレーにえのき茸はダメよ、と言われたのはこの時です。

 サクッと飲んで20時半に店を出た後、ふと思い立って徒歩10分、ライブバー「A」に入ったら本日最初の客でした(20時オープン)。明後日はここで、定期的に開かれているスペシャルイベント、元チェッカーズのベーシスト・大土井裕二氏を囲んだ有志(カバーバンド)によるライブが行われます。普段なら(次の日に仕事があるので)参加出来ないのですが、今回は連休初日ということで参戦可能。で、明後日のチケットを購入するために訪問した次第。
 カラオケ若しくはマスターの生伴奏で歌いたい放題なのですが、流石に誰も客が居ないときに一人で歌ってもねぇ……と思ってたら滅茶滅茶酔っ払った20代~50代の会社員6人が入ってきてどんちゃんが始まりました。バイトのHくんと2人で「あの人巧いね」とか「お、水樹奈々、若い!」とかこそこそ喋ってたんですが、一集団にマイク独占されるのも癪なんで(←負けず嫌い)、フジファブリック「東京炎上」と子門真人「ホネホネロック」とを。毛色の違った曲を入れると、知らない人たちでも喜んで盛り上がって下さいます。

 22時過ぎに帰宅、そのまま就寝。