あなたのことを かけて来るのを 待ってる人がいる

 未明の書斎で特講(東大理系現代文)添削。東大の添削をしていると、時々「お前は私か?」という解答を書いてくる生徒がいます。今年は理系に一人でうちのB組の某くん。今日の宇野邦一は28/40で7割。私が恣意的に解答を書き、それに即して恣意的に採点をして、それでコンスタントに6~7割を持って行くんですから相当な力量(適応力)です。
 来週の第3回校内模試の採点が楽しみになってきました。校内模試は、受験当日終了後に解答解説を配布するので、採点前にそれらを生徒に公開することになります。そうしたら、私が予め書いた解答よりも深い記述をしてきた生徒には満点以上(例えば8点中9点とか)をつける他はありません。嘗て、そうですね、6年前の61回生くらいまではそういう解答が稀にありました(設問一つが満点以上でも、大問全体では満点に至ることはありません)。今でも、そういう解答を期待して待っています。

 朝は年休。SHRは副担任の超ベテラン英語先生に代行を依頼しました。まさか、就職初年度に私が副担任についた先生と逆の立場になる日が来るなんて。
 母君の「S」病院検診の介添。タクシーですーっと移動して、受付、レントゲン、9時の予定が8時50分に診察が始まり、異常(悪化)なし投薬治療継続の判断、会計後の薬が出来上がるまでに30分かかって(1回分ずつ個包装してもらうため普通より時間がかかります)、9時半オープンの西鉄K駅内スーパーで母君の昼食弁当を購入。自宅までのタクシーに母君をお乗せしたら、私は近所の書店を覗き、ミスドで特講の得点集計(間に合いませんでした)の残りを終わらせました。昼食は近くの喫茶で煮麺、その後にタクシーで学校着が11時半。母君異常(悪化)なしは良いこと。受診日が辛うじて台風にぶつからなかったのも幸運でした。

 6限の学年会議まではノルマがありませんでしたので、デスクワークを淡々と。学年会議では久しぶりに何人もの個人名が出て彼らの指導(受験的な意味です)をどうするかという話が熱く交わされました。「こういう会議をしなきゃ!」とは最強数学先生のコメントですが、私は「台風が近づいてるからみんな興奮してるのかなぁ」とかアホみたいなことをぼんやりと。
 生徒某さん(高1A時担任、現在は別のクラス)をお呼び立てしてちょっと気になっていることを確認してみたら、まぁ育ちの良い方だからでしょうが去り際に「気にかけて下さって有り難う御座います」と言われて苦笑してしまいました。10年以上前、副担任を務めていた56回生のTくん(←やや偏屈)から「池ノ都は不必要に干渉しないところは良い」とお褒め戴いた人間ですので。7年も担任をやったら、何かと変化があるんでしょうかね。

 さて、明日は休校(つまり明日から3連休)だから、放課後の京大特講を終えたら(母君に夕食をお出しして)がっつり飲みに行くぞ! と思ってたら職員室に獲物がやって来ました。こないだ教育実習に来た63回生Mくんがちょっとした事情で里帰りしていたのをつかまえて夜に飲みに行く約束。
 さて、京大文系現代文特講は、京大医学部卒の医師・歌人上田三四二「地上一寸ということ」で京大過去問の中でも私が一、二を争うほど好きな文章(阪大でも出題されたことがある新聞エッセイです)。上田三四二に関しては、嘗て校内模試で62回生に『無為について』から「武器について」を全文出題したり、学年担当をする前の67回生(当時中1)の確認テストで『短歌一生』から「底荷」を全文出題したり、折に触れて授業資料として印刷したり、自分で味わうだけではなく後続の人々に是非読んで欲しいと「布教」を続けているのです。というわけで、過剰に思い入れが溢れないよう、意識的に自己を抑制しつつ解説を終わらせたのが17時20分。

 入試や校内模試には、基本的に好きな書き手の、是非読んでもらいたいと思う文章しか出題しません。入試に関してはどの問題を作成したのかは明かせませんが、例えば高3校内模試、中1確認テストなら、すぐに思い出せる有名どころだけでも、上田三四二内田樹青木奈緒・霜山徳爾・内田百閒・福田恆存北林谷榮小池昌代(←これが05年の東大文系で出たやつ)・梨木香歩林達夫熊野純彦最果タヒ……。
 入試問題用に提出して没になったものの書き手には、幸田文水木しげる森銑三・松岡清剛……あと、珍しいところでは叶恭子お姉様の文章も。あの時は、文章が素晴らしかったのは勿論ですが、入試問題に「叶恭子」の文字が出たらちょっと面白いかもという下心は確かにありました(反省)。勿論、たった5人(5種類の文章)しか没がないなんてことではありません。入試は厳しい。私、初めて問題を担当した年(新米も新米だった頃)には7、8回くらい没を食らいました。当時は涙こそこらえましたが不本意不本意(実際、その内1題だけは今でも「出して良かった」と思っています)、だったのですが今の目でそれら問題を見たら「そら、没だわな」と。自罰的ですが、没問、全部保存してます。今だったら恥ずかしくて(というより、こんなののために国語科の先生方のお時間を取らせるのが申し訳なくて)とても会議に持って行く気になれません。大体、多分没だろうなぁ、などと思いながら会議に問題を提出したあの時の自分の心構えが恥ずかしい。自分でダメだと思っているような愚作が他に通じるはずもなく、ただ「努力はしたんです」というポーズのためだけの急拵えに他の先生を巻き込む、書きながら顔が赤くなる思いです。
 こういうのは仕事をしているならば少なくない人が通る道やも知れませんし、15年後の自分が去年今年の自分を見たときの感想もまた同類のものなのではと予想します。が、何はともあれ、あの時の没の嵐は堪えました。常時読書が問題を探す目になって、中学入試語彙文法・作文もしくは聞き取り・評論・小説、高校評論・小説・古典、の全てのジャンルに関して1つ以上はストックを持っておくようにしているのもあれ以来です。

 さて、特講後はすぐに自宅に戻って母君に夕食を出して入浴、着替えてタクシーでMくんと待ち合わせ場所へ。何を食べたいかと聞いたら洋食との返事だったので、がっつり洋食を出す「B」へ。近況を聞いたり来年からのご予定について聞いたり。いずれF校の数学科に来たら……と直接は言いませんが、「そんなに東京が良いの? 僕は泣いちっちだ」と口をとがらせてみたり。
 2軒目のライブバー「A」で軽く飲んでからお別れ、私はコンビニ惣菜を幾つか買い込んで(明日買い物に出られるかどうか分からないので念のため)、帰宅。

 PCでメールを確認したら、高橋徹也の『夜に生きるもの/ベッドタウン -20th Anniversary Edition-』の発売日は10月26日に決定したとのこと。発売日より順次出荷とのことなので、私が受け取るのは再現ライブのための上京から帰ってきた後ですね。まぁこういう点に関しては、確かに東京が羨ましいところではあります(5日発売の『おっさんずラブBlu-ray Boxも、届くのは7日です)。アルバムはライブ会場でも売ってるだろうから、同行の67回生2人に買ったげようかな(CDが聴ける環境で生活しているのかは知りませんが)。