若いふたりの ことだもの

 4時起きの書斎でデスクワーク、入浴後に母君の朝食を作って出勤。書斎のBGMはユーミンの『流線型'80』で改めて名盤。「かんらん車」が40周年、45周年どちらのベストにも入らなかった(合計で90曲も選ばれたのに!)のはやっぱり釈然としない。50周年があるかって言われたら微妙ですしね。

 本日は授業なしなのでデスクワークのみ。授業・特講準備、生徒某さんのセンター分析(お手紙)、校内模試の得点集計、等々。昼には自宅を往復して買い出しと母君の昼食作成。放課後は午前中の分析結果を受けて、B組某さんとセンター試験小説に関して30分の面談。15時半からは京大理系現代文特講が2時間、これは先週文系で扱った上田三四二「地上一寸ということ」が出典で本日一番心地よい仕事。
 17時半に講義終了の後、添削は職員室に残して帰宅。自宅に持ち帰らなかったのは、明日が模試監督で日曜出勤(9時→17時)だからです。監督中にやるつもり。自宅に戻ってから、母君の夕食を作成。今日は、余った鯛の刺身、マロニー、椎茸、白菜、を使って湯豆腐。少し前までとの対照もあるのでしょうが、頻りに「寒い」と仰る母君は、暖かい物を喜ばれます。肉料理「I」から持ち帰った牛すじ煮込み(新メニュー)は母君には少し味が濃すぎた様子。

 本日は19時から飲み会で、お相手は多分2年ぶりくらいに会う56回生の異端児Nくん。今は工場でエンジニア、高校時代はよく学校をサボってバイクで走り回ってましたが、今夜は何とオンタイムどころか何だったら待ち合わせ時刻の3分前にやって来た!
 私「信じられない!」
 N「ですよね~、でもほら、俺もう社会人ですよ? って、会社じゃ『遅刻魔』って言われてますけど。2回遅刻しただけなのに」
 私「2回て。年に?」
 N「月に」
 変わってねぇ。

 予約のお店は一週間ぶりの小料理屋「A」。我々2人が話している(Nくんの在学中や卒業後の話)内容をお聞きになったママさんは、「F校にもこんな人がいるのね~」と呆れるやら感心するやら。
 家族関係のゴタゴタはここには一切書けず(面白かったけれども)、お祖父様のとある日本記録も(本人はメチャメチャ面白がって何なら尊敬している風でしたが)自粛すべき内容で、書けるのはNくん自身の仕事と趣味との話。
 現在は工場でエンジニアをしながら趣味で爬虫類と輸入植物とを愛好するグループの代表(オンラインのグループ)的なことをやっているそうで、ばんばん届くという輸入植物の中にイケナイものが入るようなことだけはしないで欲しいと私はリアルに心配、とこれは本人に直接言いました。「ワシントン条約」とか言い出すし。仕事面では町工場リアルすげぇの連打で、使い捨ての食品容器を製造する従業員20人の工場が今は「銀だこ」の持ち帰り容器と「セイコーマート」の牛丼容器との契約が取れた影響で日に10万個レベルの機械フル稼働だそう。

 二次会は文化街。Nくんに「今、文化街でオススメは?」と訊いたらスナック「F」の名前を挙げましたが、そこは主任管理職レベルの先生がお忍びとか接待とかで使う店、「クソ高いじゃん」と言ったら「リアルに高いけど、そのくらい出さないと碌なとこがないっすもん」だって。流石、文化街勤務(お母様が開いたスナックの店員として)経験が長い男は違うな、と。
 ライブバー「A」のマスターはNくんとも顔なじみで久々に会った様子。前述の通りスナック歴もあり且つバンドマンでもあるNくんはマイク余裕で、カウンターに並んで三昧の二人でした。遠くに座ったアマチュアバンド打ち上げグループに張り合って遊ぶ夜。

 で、2軒で終わるのかなぁ、と思ったらNくんママから「今夜から新しいお店に入ります!」というメールがNくんに届き、そのスナックがまさかの国分町、「もりき」マスターも付き合いのあるママさんが経営のお店だ(私も一度Hさんに連れられて訪問経験あり)という偶然。何しろ自宅徒歩3分ですから、スナック「M」での三次会が決定です。
 ザ・場末! のカウンターがいっぱいだったので(流石国分町の迷彩服常連さんも数人)、ボックス席に座ってNくんママにご挨拶。一軒目の「A」ではビールから日本酒、二次会「A」ではハイボール。ザ・場末! は当然ウィスキー一択なのでここでもハイボールをもらいながら、再びカラオケを検索する38歳(47回生私)と29歳(56回生Nくん)と。
 カウンターに座っている常連さんは40代~60代、ママさんは70歳オーバー。さて、こういう時にスナック店員歴のある若者は何を選ぶか、とNくんが選んだのは中村雅俊恋人も濡れる街角」、村下孝蔵「踊り子」、因幡晃「忍冬」、流石で御座いますカウンターのお客様が一瞬黙ってこちらを観る、若者らしからぬ選曲と高い歌唱力とでカウンターからのチラ見が止まりません。であれば、F校カラオケ倶楽部レパートリー担当であるところの私の役割はカウンターの向こう、ママさんがお喜びになる曲を選ぶべきで、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」、北原謙二「若いふたり」、三橋美智也「哀愁列車」。カウンターきょとん顔、ママさん大喜びで手拍子。古い歌を「現場」で覚えたNくんからしたら、夜の店で大人相手に働いた訳でもない単なるカタギ(?)の国語教員がこんなのを知ってる理由が不思議な訳で「どこで覚えるの? 俺も覚えたいわぁ」だそう。あのね、おじさんが若い頃はテレビで『ものまね王座決定戦』ってのがあったし、『昭和歌謡大全集』ってのもあったのよ。

 本日の放課後、校内模試漢文を返却したのですが「蓋し」の読みが崩壊していて驚く。文系一番のあなた、二番のあなたも知らないの?
 「或る人が言いました。何を見ても宿酔いのように見える今の世の中の、由紀さおりの歌は、一杯の酔い覚ましの水のように爽やかだ。蓋し至言というべきで御座います」
 これは、1970年のレコード大賞由紀さおり「手紙」が披露された時の前奏ナレーション。こういうのがTVでばんばん流れてて、「蓋し名言」程度の言葉なら子ども時代の我々世代だって知っていたのです。

 などということを思いながらベッドで寝落ちたのが1時過ぎで、だから明日は9時17時の日曜出勤だってのに何やってんだよ俺、ってなもんです。っていうか「明日」じゃなくて最早「今日」じゃねぇか、みたいな午前様あるあるなツッコミ、出来ればしたくないんだよぅ。楽しかったけど。