調子外れは寂しいものである。

 幸田文『雀の手帖』読了、★★★★★。昭和32年の随想コラムは春100日間100編の新聞連載、話題は「いろはにこんぺいとう、金平糖は甘い、甘いは砂糖、砂糖は白い……」式で兎がはねるように転がり、所々で「おっぺされて」「ちゃっこい」「目の性」など時代地域の生活を象徴する言葉を啄むのも楽しい読書。「おしゃべり」と題した一編では主婦が日々の仕事に追われて遠のきがちな「知る」ことへの必要性が説かれますが、中に「人に訊く、書物、辞書に読む、足で歩いて手に取って、それからそれへとたずね、そして考えを纏めるのはつねに誰もがする方法である」という一節があり。この「誰もがする方法」は雀の慎ましやかが書かせた言でしょうが、筆者はその後この「誰もがする方法」で再建法隆寺から山々の崩れまでを目にするに至るわけで、「百まで踊り忘れず」では言い尽くせない凄みの萌芽にほぅ、となります。

 ゆっくり起床して、入浴、母君の朝食。学校では1限に文系東大(09年馬場あき子)の演習を行いましたがこの添削は月曜返却でゆったり。その他デスクワークを色々と行いつつ、4限の時刻(12時~)に自宅往復をして昼食を作成。半ドンの放課後には東大・京大志望組は土日をフルに使った冠模試を受験しますが、監督業務のない私は15時過ぎにとっとと帰宅。一昨日に続いて「ジキニン」を飲んでから2時間の仮眠(これで身体の「違和感」が消えたように感じました)。
 入浴後に母君の夕食をお出ししてから買い物。血痰ネーミングスーパーマーケット「You Meタウン」の野菜コーナーに蕪が出てきました。「もりき」はまだ高いと買い控える値段で、鍋で(大根の代わりに)蕪を食べさせてもらえるのはもう少し先になるでしょう(大根よりも蕪派の私のために時々仕入れてくれるのです)。

 夜は肉料理「I」でカウンター読書。幸田文山本周五郎山本周五郎は、新潮から再編集の文庫が出始めたんですね。今読んでいるのはミステリーで、「周五郎少年文庫」の語を冠した『探偵小説集 殺人仮装行列』という本です。買いはしませんでしたが、『日本婦道記』の(作家の意向を無視? した)31編収録完全版も発売されていました。