そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人

 本日は、67回生高3の修了式、つまり卒業式を前にした最後の登校日です。これ以降、高3は登校の義務がなく、3週連続で開催されるテスト会への参加を自由に決めれば良いという形。修了式は4限授業の後で行われます。要するに、高3諸氏がF校で授業を受ける最終日ということ。私は文系東大コースの授業があって、扱うのは16年の内田樹反知性主義者たちの肖像」です。

 3時起床の書斎で二次対策授業・自主提出の過去問の添削を。東大・京大・一橋大・神大・九大……。その後、16年東大・内田樹反知性主義者たちの肖像」の板書準備。
 東大入試、15年の池上哲司『傍らにあること』は「自分」とは何か、16年の内田樹は「知性」とは何か、を定義する文章です。「我思故我在」である以上、東大の出題に一貫性があるのならば両者の定義は同じものになるはずで、果たして同じであったことに16年入試を見た私は感動しました。そこには「他者」が関わり、最後にはF校の校是であるところの「和而不同」に至る。授業で説明するのは初めてですが、上手に伝え(まとめ)られるでしょうか。

 1・2限で東大文系授業(ギリギリ時間内に話をまとめられました)、その後添削。自宅往復で母君の昼食を作成。5・6限に修了式と卒業式予行。
 夕方まで添削をした後で帰宅、いつも通り家事をこなして、夜は二日市「月空」に出て読書独酌。