友だちなら そこのところ うまく伝えて

 上野千鶴子さんの東大入学式でのスピーチが話題に。先ず思い出したのが「女子オリって、何なんでしょうねぇ?」という67回生(文一1年生)Aさんの顔でしたが、それよりも何よりもニュースを見て真っ先に突っ込んだのは「東大入学式が『大荒れ』なわけねーだろ」ってことでして(見出しがそうなっていました)。
 「大荒れ」と言ったら、スピーチに対して「ナンセンス!」みたいな怒号が飛び交うとかブーイングの嵐とかそういうのを言うわけでして。幾ら大学生(東大生)の精神年齢の低下が著しいとは言え、迎えられた側として臨席した入学式で暴れる・反抗するほどの馬鹿はいない。だったらどの程度の馬鹿が居るかというと、入学式が暇だからずっとスマホを弄って(Twitterやって)る程度の馬鹿がいるだけです。
 で、その手の馬鹿の中にはフェミっぽい文言に対してはこういう言い回しで揶揄したら良いみたいなのをすっかり身体に落とし込んでるのが少なからずいるから、自分の頭では何も考えずにただただ阿呆陀羅教みたいな調子でプロトタイプ文体のフェミニズム呪詛を垂れ流すとかしてる訳ですよ。で、きっちりそれをキャッチした報道関係の人々が、それが阿呆陀羅教だというのを知ってか知らずか「おっ、東大生が荒れてる」と判断して(っつか、知ってか知らずかじゃなくて、知っててやってるんでしょうねぇ)……書いてて情けなくなってくるな。
 上野さんとしては、言いたいことを言ったらニュースがそれを拾って拡散してくれた訳ですから思う壺だったでしょうし、あれは読まれる価値がある原稿だから(入学式の場で聞いて理解できなかった東大生……聴く側の理解力が原因の場合も、上野さんのスピーチにおける抑揚音量イントネーションに難があったことが原因の場合も……を含めた)多くの人々に読まれることを私も願うばかりです。
 あと、フェミへの呪詛に混じって散見された意見が「入学式なんだから講義みたいなスピーチなんぞせずに祝えや」というもの。退官して学生に直接的な知的刺激を与えるチャンスがそこしかない来賓が、日程的に既に講義が始まった後のタイミングで開かれる入学式において、多少講義めいた話をするだけで拒否反応を示すってどんだけ狭量なんだろう。一対一の師弟関係ですら「啐啄の機」が強調されるくらいなんですから、一対多の教育は殆どが「早すぎる」か「遅すぎる」かな訳で、だからこそ教員は教育の場においては「種蒔く人」として「早すぎる」に賭けるんですね。まぁ、入学式は只管祝う場であって教育の場ではない、と親が言うなら子も口を揃えるでしょう。その場合は、どんなスピーチも「遅すぎる」ものになるしかないですね。

 10時にアポイントがあり、その時刻に合わせて出勤。「男く祭」で販売するクイズ研究会の部誌(タイトルは「復活のF」)の印刷を頼まれているのです。自宅での昼食作成を挟んで、午後は血痰ネーミングショッピングモール「You Meタウン」で授業で使用する音源(平家琵琶)のCDを購入してから学校入りし、授業のプリントを作成。高1内進(B~E)組古文の教科書教材は『平家物語』からで初回は「祇園精舎」。柳沼重剛「書き言葉について」(09年京大入試)の一節を印刷して紹介した後、『平家』ですから最初は「聴く」ことに徹するというコンセプトで、平家琵琶からKANA-BOONまで音源数種を準備。

 夜は近所の中華料理「H」で独酌読書。独り客カウンターで「麻婆豆腐をお願いします」と言ったらバイトさんに「えっと、麻婆丼ではなく?」と聞き返されたのはこれで2度目。えっと、食べに来たんじゃなくて、飲みに来たんです(ちょっと恥ずかしいですね)。
 リビングで、遅まきながらドラマ『昨日なに食べた』を視聴。漫画版の第1話を読んだときは「どわわわわわあああっっ」となりましたが、免疫が出来てますからね、ドラマは凪いだ心持ちで鑑賞することが出来ます。第1話は様子見。