風よ このあたりはまだか

 本日、「第49回 男く祭 Re:set」、2日目のシティプラザ会場(学校関係者限定公開)。昨日の日記にも書きましたが、高校所属ながら高1A副担任という身分なので臨席すること以外の仕事はほぼなく、コーラス委員くんから命じられてステージに立つという役割がなければ、最初と最後とだけ顔を出して後は中抜けしてても気づかれないレベルです。
 母君に朝食をお出しして、昼食はコンビニのパンとサラダとで我慢して戴き、シティプラザへは徒歩25分の移動。道すがら、スマホでコーラスの音取り音源を聴きつつ、誰も居ない通りでは普通に歌いながら不審者の様相。ホール入り口前の広場に生徒が(高校生600人だけではなく、中学生500人も)集合して、担任の先生と担当の高3生徒とで整列を促しています。ここでも副担任の仕事はないですね。中3学年主任の同窓同僚数学(出世競争完敗!)が隈取り塗ってんのかというほど壮烈なフェイスをしている理由を尋ねたら、可愛やお子様の体調が悪いそうで、奥様(体育若手先生)と交代で寝ずの番だということ。家族の命を支えるというのは大変なことです。

 さて、シティプラザ内の一般生徒立ち入り禁止エリアを職権乱用でぶらついてみたら、楽屋8には「太鼓男子」とか、楽屋10には「太鼓女子」とか貼り出されており、普段は「藤原竜也様」だとか「鹿賀丈史様」だとか書かれている場所にそんなの(失礼!)が書いてあるわけですから、まぁ凄いイベントなんだなぁ、などと。実際、この非日常祝祭、初体験の高1Aはびっくりするだろうなぁ。
 さて、今回のステージは学年主任国語科先生がプロでいらっしゃるだけあって全編が演劇仕立て。平成の30年を1年ごとに振り返るコーナーでは、aikoの大ヒット曲が流れた後で2000年エリアに入り、高3生が「私達の平成が始まった」と高らかに宣言。そうか、彼らは「aiko後」の子どもたちなのね。1998年を生きてないのね。宇多田ヒカルのデビューも椎名林檎のデビューもMISIAのデビューも知らないのね。若ぇよ。と老いを痛感。
 太鼓、スプツニ子! 氏による講演(昨年度の牧村朝子氏の系譜でもありますね)、コーラス大会。私は高3の長身くんから学ランをお借りして、41人(クラス40人・担任英語先生)と一緒に登壇。突貫工事の練習でしたが、何とか歌詞を間違えずに歌えたことに安堵。結果は、僅差(詳細は口止めされています)でB組に破れて2位でした。来年こそは、と思っても来年は40人がクラス替えで散り散りになってるんですよねぇ。高2・高3とレベルが上がっていくのはいつものことですが、今年は高3A組が「津軽海峡・冬景色」を歌っていたのが面白かったです(こういう曲を選ぶサービス精神が素敵)。

 昨日同様、遊びに来ている卒業生とお話。67回生我らB組から慶應大学に進学したKくんにサークルを訊ねたらダンスサークルというお返事。
 私「どどどどどどど、どチャラいっ!」
 K「鬼だ……」
 あのね、「慶應大学でダンスサークル」なんて聞いて「どチャラい」という反応にならない訳がない。「作麼生」にはすかさず「説破」とか、「もうかりまっか」には膝蓋腱反射で「ぼちぼちでんな」とか、そういうのと同じなんだから、そんなに哀しそうな顔をするもんじゃない。高2の時の3分間スピーチで「医学部進学の兄貴がチャラい件」について話したKくんですから、まぁそれを聞いてた担任からからかわれるのはちょっと可哀想だと思いますけれどもぉ、でも合わない教え子に焼き鳥奢ったりする訳がないってのは解るでしょう?

 コーラス大会以外は最後までお客さんだったのは、私だけではなくて高1のメンバーも同じなのかな(来年度からは、作り手側に回って楽しんで下さい)。全プログラムの終了後、高1Aの生徒教員42人は、会場近くの公園に集合して帰りのSHRと記念撮影と。雨がパラついてちょっとバタバタしましたけれども、最後をきっちりお〆になる担任とそれにきっちりついて行く40人との連携が(毎度毎度67回生高1Aと比べちまうぜ!)。
 入学式の日から「男く祭」まで、4月の3週間における高1A担任の仕事量は尋常ではありません(おそらく、質における難しさにおいても)。私は、3年前の67回生高1A担任だったこの期間の記憶をほぼ失っています(blog書いてて良かった! というか、よく書く暇があったな)。今回は、担任に最も近い副担任の位置からそれを客観視させていただいたのですが、やはり異常。もしもあの時、私が母君と同居していたら不可能な仕事でした。出勤が(朝食作成後の)7時半でよく、昼休み1時間は(昼食作成のため)自宅往復ができ、終業後は(夕食・入浴のため)18時までに帰宅が可能、というのは副担任だからこそ許されることで担任には至難(67回生高3担任の時は、学年団の先生方のご配慮もあって欺し欺しやりましたが)、高1Aの担任となれば絶対不可能で、例えば私が今やれと言われたら母君を即日施設に預ける必要が生じるでしょう(平成令和の日本ではそれが普通なのかも知れませんが)。

 タクシーで帰宅後、母君の夕食作成、お風呂のお手伝い。母君がお布団に入られたタイミングでタクシーを飛ばし、本日夜は合唱部顧問地理先生、63回生合唱部NNMYくん(以下、NNくん)・NKHMくん(以下、NKくん)・NRKYくん(以下、NRくん)・Hくん、と6人で宴席、会場は最近お気に入りの炭火焼き「I」。
 Hくんは4人の中で私が担任を経験した(中3)唯一の生徒でピアニスターで私に漫画家のもぐら氏を教えてくれた人、NNくんは同姓同名の生徒が学年に二人いた内の身体の大きな方ででも高校在学中よりちょっと痩せてて以前はTwitterブイブイ言わせてたと噂に聞いていた人(今は知らないですが)、NKくんは4人の中で唯一の外進出身で数学徒で大学で一時行方不明になってたらしい人、NRくんは保健委員でこないだ卒業旅行のお土産にネクタイをプレゼントしてくれて経産官僚Tくんの唱える「保健委員飲むとすんごい説」の例外らしく飲んでも普通だった人。61回生が創立した合唱部は、彼ら63回生が在籍していた当初の頃と大きく変化しています(女子部員の割合など)。合唱部が(というか、F校が)今はそんな風になっているんですか、と4人とも驚きの表情。彼らが卒業してからまだ僅か4年ですが、その間に中学共学化が完全に完成(合唱部顧問地理先生は、完成学年である我ら67回生の主任でいらっしゃいまsちあ)。ここからF校は大きく変わりました(多分)ので、20歳そこそこの卒業生から見ても彼我の断絶は大きく感じられるのでしょうね。