どこにも止まらないで風をきり走る

 未明の書斎で板書準備(高3文系二次漢文、高1外進A組)、入浴、朝食作成と昼食の買い出し(本日は3・4限の両方が授業で自宅往復が不可能です)、出勤は7時半。2~4限と6限が授業で、5限が会議でした。

 卒業生2件。
 67回生Kくん(外進A組から理系に進んで我らB組、要するに私が3年間担任でした)から、東大現代文・漢文の添削依頼。浪人中の添削は、予備校生活に慣れて余力(例えば卒業した高校の教員に添削を依頼するなど)に回せる時間が掴めた辺りに連絡を、と言っていたのです。郵送の往復、早速最初の問題をご自宅に郵送しました。今後、4、5人から依頼が来るでしょう。
 明後日土曜日には、56回生Iくんに招待されて彼の結婚式・披露宴に出席します。会場はホテル「N」ですので、薬院から徒歩で行けます。で、56回生の担任団だった化学先生に「土曜日にIちゃんの結婚式があるんですよ~」とお話ししたら、「えっ、俺はその時間、56回生のKの結婚式やん」と、ほぼ同時刻に近隣のホテル「O」でKくんも結婚式・披露宴を挙げるということを教えていただく。2人とも外進A組で、Iくんは文系からJR九州、Kくんは理系でお医者様。よくよく聞けば、Iくんの結婚披露宴がKくんのよりも1時間ほど早く始まるそう。化学先生は「二次会で合流しようってなるかもね~」と仰って居ましたが、私の頭の中には「ワンチャン、披露宴の梯子ってあんじゃね?」という思いが兆し……っつっても、Iくんとは卒業後もちょいちょい飲みに行ってるんですが、Kくんとは卒業後に「もりき」で一回飲んだだけなんですよねぇ(副担任だったし彼は理系医学部組だったんで在学中もそんなに付き合いはなかったし)。

 6限の授業終了後、16時から年休を取って帰宅。母君の夕食を作ってから、今夜は帰りが深夜になることをお伝えしてから出発。飲み友達にしてK市の母でもあるところのHさんと、井上陽水のコンサートに出掛けます。西鉄電車とタクシーとを乗り継ぎ。タクシーの運転手さんは、井上陽水やその娘さん(福岡でラジオ番組をお持ち)やのことに随分お詳しい方でした。大麻の逮捕歴の話にはHさん目を白黒されてましたが。

 井上陽水「光陰矢の如し 少年老い易く学成り難し」@福岡サンパレス
 ①あかずの踏切り ②アジアの純真 ③Make-up Shadow ④5月の別れ ⑤青空、ひとりきり ⑥新しいラプソディー ⑦移動電話 ⑧海へ来なさい ⑨心もよう ⑩帰れない二人 ⑪女神 ⑫カンドレ・マンドレ~闇夜の国から~ダンスはうまく踊れない~飾りじゃないのよ 涙は~とまどうペリカン~ワインレッドの心~ジェラシー ⑬少年時代 ⑭リバーサイド ホテル ⑮最後のニュース ⑯夜のバス ⑰氷の世界

 サンパレスから天神で戻るタクシーの運転手さんから「『能古島の片思い』は演りました?」と訊ねられるようなご当地で、50周年記念ツアーのセットリストはほぼベスト盤です(新曲「cure」すら披露されていません)。意外な選曲は①・⑦・⑯くらいかな(⑯はメチャクチャ格好よかった!)。MCも半分以上が福岡時代(要するに歯科医目指して浪人しまくってた頃)の話でした。相変わらず人を食った言い回しで、⑨の直前のMCでは私の斜め前に座ったおじさんが「何を言いたいんだ!」と溢したのが聞こえたくらいです(そのおじさん、直後に「心もよう」が始まった途端ため息をつきました)。陽水のライブは5度目だか6度目だかですが、メドレーを聴くのは初めて。生まれた子どもに捧げたというエピソードを初めて知った「海へ来なさい」が沁みましたね。
 「帰れない二人」は思わず一緒に口ずさんでいたHさん、帰りの電車でもK市に戻ってから入った肉料理「I」でも、良かった良かったと感激絶賛。70にして声の衰えは隠せもしないけれども(とても魅力的な声であることは変わりないとしても)、それでもあれだけの曲数・時間を(途中休憩はありましたが)走り抜けた気力体力が凄い。

 今年は2月の中島みゆき、3月の松任谷由実、そして5月の井上陽水と、すんごいものを立て続けに観てます。思い出して浸りつつ、幸せな入眠。