興奮したカブトムシよりは遅い

 3時前に起床して書斎で添削……の前に、ふとした違和感を覚えて母君のお部屋へ。寝ておられるのですが、お布団に入られた時と服装が替わってお出でです。ゴミ袋を見て、母君が夜中に粗相をなさったことを知りました。以前部屋で倒れられて救急搬送された時以来パッドはつけて頂いていますし、トイレの中には身体が拭けるようなウェットタオルも置いてますし、まぁお手洗いが間に合わないこともあるよなぁ、とここでは違和感を飲み込みました。そんなことより特講の添削があるからです。一応、洗濯カゴの中は漁って、ズボンのどこにも汚れが無かったのに「おおっ、パッド偉大なり」と驚いたり、しまいにゃ臭いまで嗅ごうかというくらい近づけてズボンを凝視している自分に「わしゃストーカーか」とツッコんだりしてから書斎に入りました。

 特講の添削後に、入浴・朝食準備、7時過ぎに着替えて出勤、という流れはいつも通りで、夜中の出来事については知らない風で家を出ました。その後、母君は洗濯機に籠の中の洗濯物一式を放り込んでスイッチを入れられた様子。
 3限が空いていたのでそこを1時間の昼休みに充て、自宅に戻ってさぁ昼食の準備をしようかとした時には、母君はベランダで洗濯物を干しておられました。やっぱり気になって洗ったんかねぇ、とベランダから室内に戻って来られた母君の方にひょいと目をやった時に、その瞬間が訪れました。
 っつっても別段何かショッキングなことがあった訳ではなく、和室内に入られた母君がゆっくりゆっくりその場にしゃがみ込まれた後、私が冷蔵庫の中の総菜をチンして温めた味噌汁をお椀に注いで母君の炊かれた白ご飯をお茶碗によそって急須の中の日本茶を湯飲みに移してそれら全部を載せたお盆をダイニングのテーブルに置いてまでする間の10分弱、ぴくりとも動こうとなさらないのです。ちょっと変かなぁと思って「どしましたの?」と伺ったら「判らない」という弱々しいお返事。「判らないとはどゆことですかね」と熱射病的なものへの疑いの兆しも感じつつ近づいて行ってから気づいた、あ、これ、立てないんだわ。3月頭と同じだわ。

 3月2日に「N」病院を退院するときに突然足が動かなくなった(足の動かし方を身体がど忘れしたような感じ)のと全く同じことが起こっているようです。取りあえず肩を貸して強引に立っていただいて、殆ど引き摺るようにリビングのソファにお連れして座って頂きました。右足、左足を交互に出すという動作が殆どお出来になりません。
 3月頭の時は2、3日で歩き方を思い出されたようですが、二度目の今回はどうなのでしょうか……というかこの状態でトイレに行きたくなったらアウトやないかね、ってか昨日の粗相はその兆しだったのかぁ……とか考えながら洗い物、食後の母君を取りあえずお手洗いにお連れしようと肩を貸したら出来るだけお一人で移動なさりたいようで、身体を離してみたところ壁伝いならカタツムリより速いスピードで移動できるご様子。

 這ってでも良いから2時間後くらいには一度お手洗いに、とお願いして仕事に戻り、4~6限の授業は気が気ではありませんでした(大体いつも授業ではキョドっているので、外面的には違いが無かったと思います)。仕事上がりに全力で自転車を漕いで帰宅したところ、この5時間の間に失敗は無かったご様子で、「お手洗いには行かれました?」と伺うと「行った」とのお返事。ただし、これは私が連れて行った時のことを指しているのかその後に自力で一度(以上)行かれたという意味なのかは判りません。
 私の入浴後の母君のお風呂はですから完全に「介護」です。辛うじて浴槽を跨げたっつーのが奇跡みたいで(私が後ろから支えながらではありますが、浴室内で母君が右足を上げられた時には「あら、お上手」と思わず口走ってしまい母君を笑わせました)。その後、夕食を作って薬と一緒にお出ししましたが、食欲その他身体の異常はないご様子。痛みが無いというのが有難い話で、現在はただただ立ち座りの時の力の入れ方・歩く時の足の動かし方が身体の記憶から蒸発しているという状態です。

 トイレ→洗面所(つかまり立ちしながら自力でハミガキはできました。ちぱちぱ)→お布団、と肩をお貸ししてお休みの準備を整え、和室・リビングの電気を消して「お休みなさい」のご挨拶の後は……
 ……まぁ、飲みますよ。そら飲みます。自宅徒歩2分の焼鳥屋「T」を選んだあたりいっそ親孝行って言ってもいいくらいですよ。ビール2本、焼酎(キープ)3杯、帰宅。
 一応、寝室の自分のベッドではなく和室と一続きになったリビングのこたつ(まだこたつ布団はかけたままです)にて睡眠。トイレに行きたくなったら起こすよう、お休みのご挨拶のときにお願いしています。歩き方を思い出されるまでは、リビング睡眠が続くかな。ってか、歩き方を思い出される日が来るのか知ら。